無才な障害者の苦しい現状について、書き綴る。

社会では、障害者がキラキラ輝く活躍するような綺麗事を沢山掲げている。

『キラキラするような』『障害者の活躍』

しかし、現実は逆だ。

働く障害者は、勤怠と体調管理が安定していれば、それでいい。

このほか、私は毎週、

他の従業員や客に挨拶はできているか
業務の開始と終わりの報告ができているか
生活リズムを整えられているか
業務の引き継ぎが出来ているか
時間の確認ができているか

のような、基本的な目標を定着支援とのやり取りのために書かされる。

私は、表舞台に浮上することなく、30後半にもなって中学高校生と同レベルに見なされるのだ。

仕事は、何のスキルも関係ない体力が必要な仕事。この仕事は、若いうちにしか出来ないだろう。

私は、どこかしら、強い劣等感を感じてしまい惨めさや悔しさが滲み出てくる。

肝心なコミニケーション力や才能があれば、容姿が良ければ、また、違っていたのかも知れない。
それなりにやりがいを感じ、賃金にも苦労することなぞなかったかも知れない。
配慮されるという立場に苦しまずに済んだのかもしれない。

だが、私には何もない。知力学力も低い。

自分は、障害年金すら貰えない。

私は、問題を覆す才能が何もないから、日々の苦しみをこうして書き綴ることしか出来ないでいる。

自分は表舞台で活躍しそれなりの仕事で評価されたかった、コミニケーション力が欲しかった、容姿が良くありたかった、才能能力が欲しかった。
皆と、肩を並べて頑張りたかった。
仕事頑張って、自由に使えるお金を稼ぎたかった。

無才でコミュ力や取り柄がない障害者の苦しみが、ここにあります。



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