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黒歴史!アルゼンチン軍事独裁政権時代

こんにちは。

ペペです。

私はご縁あって中南米と10年以上のおつきあいがあります。日本の方々に中南米が少しでも身近な存在になるよう ”教科書では学べないディープでリアルなラテンアメリカの魅力 をお届けする” をコンセプトに書かせ頂いております!

本日のテーマは、黒歴史!アルゼンチン軍事独裁政権時代

早速ですが皆さんはアルゼンチンに酷く辛い時代があったことをご存知でしょうか。

1976年から1983年までの軍事独裁政権時代です。

プーチンのロシアと酷似

現在のプーチンのロシアは終わりの始まりに差し掛かったと言われています。"部分動員"は口ばかりで、実際的には大義なき戦争に市民を巻きこもうとしています。

ロシア各地でデモが起こり、1300人が治安当局に拘束(人権団体発表 22日までに)。

このロシアのニュースを見るにあたり、私はアルゼンチンの軍事独裁政権時代の悲劇を思い出さずにいられません。

アルゼンチンでは1970年代後半、政情不安が表面化。デモ隊や一部ゲリラと警察の衝突など治安悪化が懸念され始めていました。そこで軍事クーデターにより実権を握ったのが陸軍出身のビデラ将軍でした。

1976年からアルゼンチンは10年近くも、暗く悲しい軍事独裁政権時代を迎える事になるのです。

汚い戦争

ビデラがやったことは今プーチンがやっていることと酷似しています。徹底した取り締まりです。

アルゼンチンの軍事独裁政権下では、国家安全保障上危険であると判断された人物は強制的に秘密収容所に送り込まれ、拷問を受けることになっていました。

それだけではありません。

強制収容所で社会復帰不可能と判断された場合、秘密裏に処刑されていました。遺体の識別を困難にするため多くの遺体には石油やガスをふりかけ火を放ったと言われています。海軍では囚人や捕虜を麻酔で眠らせ、飛行機から大西洋に突き落とす「死の飛行」と言われる処刑までおこなわれていました。

あまりにも惨い酷い弾圧に数万人の市民が犠牲になったことからアルゼンチンではこの軍事政権が起こした一連の犯罪行為を "汚い戦争” と呼んでいます。

汚い戦争の犠牲者数は?

アルゼンチンの「汚い戦争」での失踪者は9000人弱であったと言われています。しかし、遺体となって発見されたなど明らかに死亡が確認された犠牲者の数や家族全員が失踪してしまった事例は含まれていないと言います。これらを合わせると、行方不明者・犠牲者は1万人から3万人近くになると言われています。

しかも年齢別では、16歳~20歳までが10.6%、21歳~25歳までは32.6%、26歳~30歳までが25.9%、31歳~35歳までが12.3%、36歳~40歳までが6.8%というように若者層の犠牲者が多数であった。

私は当時のアルゼンチンとプーチンのロシアが重なって見えてならない
ウクライナ戦争で犠牲になるウクライナの人々は勿論不憫ですが、ロシア(モスクワ)の市民にも弾圧という危険な影が迫っている事は決して忘れてはいけないのです。

ロシア国内で、抗議により拘束される市民は今後も増えるでしょう。彼らが今後どのような扱いを収容所で受けるのか全世界が注視しなければなりません。アルゼンチンで起きた悲劇は二度と繰り返してはいけないと思うのです。

最も暗いワールドカップ1978

1978年、悪名高い軍事政権が発足した2年後、アルゼンチンでサッカーワールドカップが開催されました。

軍事独裁政権下でのW杯開催に強く反発した1人が、オランダのスーパースター、ヨハン・クライフ。なんとこの大会をボイコット。

結局、優勝は地元アルゼンチンだったが、途中アルゼンチン代表の八百長疑惑があり、決勝で敗れたオランダ代表が、独裁者との握手を拒むためメダル授与をボイコットするなど歴史上最も暗いワールドカップと言われています。

プーチンの末路

ウクライナだけでなく、今後ロシアの市民にも多くの犠牲者が出そうで心配でなりません。

さてそんなプーチンに待ち受けているのは….。国際的な孤立だけではなく国内でも孤立を深めるでしょう、当然。

アルゼンチンの軍事独裁政権はマルビーナス戦争(フォークランド紛争)で、”鉄の女”ことサッチャー首相率いるイギリスに破れ、この戦争で多くの犠牲者を出したことで国民の怒りを買い、政権は崩壊。

独裁者ビデラを含め、軍事政権下で市民の拉致や殺害に関わった多くの軍人はその後の裁判で無期懲役となり、ヨレヨレの老人となって独房で"孤独に死す"という報道が近年見られます。

ビデラの孤独に死んでいった様は、プーチンの末路を見ているようで仕方ありません。

おわりに

日本も決して対岸の火事ではない。危険な独裁者を絶対に生み出してはいけない

恥ずべきことだが歴史は繰り返されています。

政治家を厳しい目で見よう。間違った方向に進んでいないか、独善的な考えを持っていないか、ちゃんと国民の為に熱意を持って仕事をしているか etc。

アルゼンチンの歴史を振り返って、ウクライナ-ロシアの惨状を目の当たりにして、市民の力を合わせて民主主義を守っていかなくてはと今強く思います。

一度狂った歯車は国民に悲劇をもたらすことは歴史が証明しているのだから!

これからもラテンアメリカの事を色々発信させていただきますので記事が面白いと思ってくださった方は是非、スキ&フォローを宜しくお願い致します。

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