見出し画像

檸檬読書日記 移動図書館には犬が、カフカは終わり、金木犀を吸い込む。 10月14日-10月20日

10月14日(月)

キャベツとスナップエンドウ、大根、ローマ、コールラビの種蒔。
大根とスナップは去年採った種をパラパラ。出るかな。なるといいな。



髙森美由紀『ちゃっけがいる移動図書館』を読む。

図書館で非正規として働く35歳の主人公・小田切実は、名前とは違い何も実りのない自分に、モヤモヤとする日々をおくっていた。
そんなある日、1匹の捨てられた犬と出会い、里親が見つかるまでという期限付きで飼うことになる。
「ちゃっけ」と名付けられた犬は、不安を抱くことも誰かに対して悪意を疑ることもなく、素直に受け止め感情そのままに表し、周りも自分さえも楽しく心地の良いものへとしていく。
人同士で接していると、どうしても深読みしてしまうことがある。その言葉はどういう意味なのだろうかと。そして考えれば考えるほど、ネガティブな思考に持っていかれ…。けれど犬には皮肉も嫌味もなく、そのままを受け止めればいい。その気軽さ、先のことへの焦りや不安のない真っ直ぐさ、今を生きているその姿に心が救われ、実は次第に考えを変えていく。


「私も、もしかしたら心の調子を悪くしていたかもしれません。でも、最近はお金に神経質にならなくなりました。つかみ続けるのを諦めて手放したら楽になりました。肩凝りもなくなったし、不安や焦りも薄まりました」
通帳を睨んでいたことが一〇〇年も前に思えてくる。
「紙や金属以外にも大事なものはあります」
ちゃっけが脛に寄りかかって、ブーツのひもをかじり始めた。
「あったかい生きものとか、高い梢を揺らしていく風とか、水たまりの中の空とか、ミルクティ色の枯れた草とか、葉っぱを通る新鮮な光とか。お金という紙や金属にとらわれている頭の片隅にでもそういうものを取り入れていくと、ギュッと縮んでガチガチに硬くなった気持ちが緩んでふっくら膨らんでやわらかさを取り戻すんです。それがいい感じなんです。自分は感情を持ってる生きものなんだなあと分かって、ちゃんと収まるところに収まった安定感を得られるます」


そして今まで見えなかった景色が見え、気づき、犬を通して広がり成長していく。

最初、主人公のあまりの暗さと周りの言動に、うっとやられて読む手が止まりそうになる。まさに現代的で、その身近さゆえに余計に暗い気持ちになってやめてしまおうかなと思ってしまうほど。けれど、この物語は犬が出てくるまでが耐え所。犬が登場すると、どんどん周りが変わり始め、視野が広がり、読むスピードも上がっていく。
とにかく犬・ちゃっけが可愛い。文章だけでも伝わる愛らしさに、何度もやられてしまう。
所々にモヤモヤっとするところはあれど、その度にちゃっけが帳消しにしてくれる。最後は前向きな気持ちになれる作品だった。

ちゃっけ以外で良いなと思ったのが、本が結構出てくるところ。そこまでの絡みはなく、今日はこれを借りたで出てくるのが多かったけれど、それでも実際の本が出て来るのは、本好きとしては とても良かった。
最近のものは、図書館や本屋というテーマながらも全く本が出てこないケースも多く、出てきても架空の本だったりと、寂しいような残念な気持ちになることが多かった。だからこそ余計に著者名とタイトルだけでも出てくるのは凄く嬉しかった。
知っている本が出ると、おぉ!となったり、知らない本だと何だろうと気になって新たな出会いになったり。だから本がテーマの時は、なるべく出してくれたらなあと思ったり思ったり。




大岡信『新 折々のうた1』を読み始める。


橋一つ越す間を春の寒さ哉

(待ちかねた春がやってきた。向こう岸にゆく用事があって橋を渡った。渡ってみてあらためて早春の寒さに驚く。川面から吹きつけてくる風の、思いがけない冷たさよ。)


始まりは春のうたから。
そして夏のうた、秋のうた、冬のうたと続き、季節ごとに選ばれた、短歌や俳句が収められている。

今回は個人的におっとなるものはなかったけれど、飯田龍太という名前が出てきたのはおっとなった。俳人であり、少し前に読んだ、小林恭二『俳句という遊び:句会の空間』にも登場しただけに。

今日からこれを少しずつ読んでいく。どんな歌があるのだろうかと楽しみ。






10月15日(火)

睡眠時間は6時間が良いと聞いて、それなら試してみようと思って早起きしたら、寝不足で体調をとんでもなく崩してしまった。自分にはむいていなかった模様。浮いた時間本読めると思ってニマニマしていたのに、1日を無駄にしてしまって、浮くどころか寧ろマイナスになってしまった…。くぅ。もうやらぬぞ。
寝れる時は寝た方が良い。今日の教訓。






10月16日(水)


お土産に八つ橋をもらった。梅干しを添えて食べる。お茶は番茶。
今の時期、京都いいだろうなあ。紅葉。京都は秋が良く似合う。でもその分混みそうだけれど。でも行きたいなあ。



バージニア・リー・バートン『ちいさいおうち』を読む。絵本。

『ちゃっけがいる移動図書館』の中に出てきて、久しぶりに読みたくなって、棚の中から引っ張り出す。

静かな田舎に建てられた、小さくて丈夫な家の話。
季節が巡り、次第に周りが変わっていく。遠くまで広がっていた大地は道路に変わり、家が立ち並び畑や木々を消していく。人々も忙しなく変わり、家には住む者もいなくなり…。家はそれらをただじっと見つめていく。


もう よるになっても、あたりは しずかになりません。
まちのあかりは、とてもちかく あかるくなって、
ちいさいおうちの すぐまえの がいとうも
ひとばんじゅう ついていました。
「ここは、もう まちになってしまったのだ。」
と、ちいさいおうちは おもいました。
でも、まちは あまりすきになれないような きがしました。
まちには、ひなぎくのはなも さかないし、
つきよに だんすをする りんごの木もありません。


そのうち、ちいさいおうちの まえを、こうかせんがいったり きたり するように なりました。
あたりの くうきは、ほこりと けむりによごれ、
ごうごうという おとは やかましく、
ちいさいおうちは、がたがたと ゆれました。
もう いつ はるが きて、なつが きたのか、
いつが あきで、いつが ふゆなのか、
わかりません。いちねんじゅう いつも
おなじようでした。


子どもの頃には気づけなかったけれど、こんなに深い作品だったのかと驚いた。少し切なく、けれど最後は太陽が周りを照らすような光に暖かい気持ちになり、家の微笑みに思わずこちらまで笑みがこぼれる。
とても素敵な絵本だった。何故忘れていたのだろうかと不思議なくらい。でも今だからこそ、より一層そう思うのかもしれない。







10月17日(木)

不調がなかなか治らない。もしや気圧かな。文字がなかなか入ってこない。くぅ。



『カフカ短編集』を読む。
「猟師グラフス」を読み終わる。

死んだけれど生きている猟師の話。
確実に死んではいるけれど、あの世に行く舟が道を間違え、地上に残されふらふらと。
曖昧で定まらない感じが、なんともカフカらしい。






10月18日(金)

救急車も急死も多いなあ…。結局後から来るんだろうな。だから慎重になのに、まだ勧めているよ…。もうやっているのなんて日本だけなのに。
これからはシェディングも怖い。だから余計に免疫力上げて元気でもりもり頑張らねば。負けないぞ!気圧には負けがちだけれどね…。とほほ…。



『カフカの日記』を読む。

頻繁にゲーテの日記が出てくるものだから、読みたくなる。ただ探したけれど単品では出ていないようで…。そうなると全集か…。んー。



『カフカ短編集』を読み終わる。
「独身者の不幸」を読み終わる。

とても短い。
独身者は色々とつらいことらしいという話らしい。そしてそれは自分かもしれないという。

最初にカフカ作品が出た時、あまり知名度がなかったためか、全く売れなかったらしい。6、7冊しか売れず、そのうちの1冊を持っていたのが安部公房だったのだとか。その上安部公房は、カフカが死んだ年に生まれている。凄い偶然。

今までカフカ作品は長編の『変身』しか読んだことはなかったけれど、短編もカフカ要素満載でとても楽しめた。
個人的には、カフカの作品は長ければ長いほど、もがけばもがくほど沈んでいく沼のように囚われ惹き込まれていく力が増すように思えるから、長編の方が好みではあるけれど、短編は短編で謎が多くてそれそれで沼だったり。(何を言っているのだろう)

短編なだけに、短めで入りやすい感じはあるけれど、カフカ初心者向けではないように思えた。
カフカ自身をある程度知っているか、カフカ作品(長編)を1冊以上読んでハマった人が読む方が面白く感じるというか、良さが増しそうだなあと感じた。
まあ実際のところは分からないけど。自分の頭が弱くてカフカは少し難解なところがあるからそう感じるだけかもしれないけど。
でもこの短編で合わないなあと感じても、長編も読んでみてほしいなあととと。

さてさて、カフカを読み終わってしまったから次は何にしようかな。







10月19日(土)

そこかしこで金木犀の香りがするようになってきた。いい季節だ。
金木犀の香りが好きだから、見つける度に鼻の穴膨らませてスーハーしてしまう。あぁ、良い匂い。
でも金木犀って、近くよりも遠くの方が匂いを強く感じる気がする。寧ろ近づくとあまり匂わなかったり。匂いがする!と思って、キョロキョロしてようやくオレンジ色の群れを見つけ近づいたら、全くしなくて、あれ?となったりするから、本当に不思議だ。

遠くから 薫れど近く 知らぬ顔 なんと憎らし 金木犀よ

透明な 袋に込めて 運ばれる 金木犀を 私におくれ

おれんじの 姿はあれど 薫りせず もう手を引かれ 攫われたあと



湯本香樹実・ぶん/酒井駒子・え『くまとやまねこ』を読む。絵本。


ある朝、くまは ないていました。なかよしのことりが、しんでしまったのです。


死をテーマにした絵本というのが少ない中、この絵本は大切な者がなくなったことから始まる。
仲良しだったことりを亡くし、くまは悲しみに暮れる。ことりを綺麗な箱に花と一緒に入れて大切に持ったまま、何も出来なくなってしまう。
しかしある日、爽やかな風に誘われて久しぶりに外へと出てみると、楽器を持ったやまねこと出会う。
やまねこはことりのために音楽を奏で、くまり音楽に耳を傾けながらことりとの出来事を思い出し…。

死が含まれているために、少し切ない。沁みるように悲しみがじわじわと浸透してくる。
酒井駒子さんのほの暗く影のある絵も、切なさを増幅させてくる。けれど、悲しみだけでは終わらない。暗闇を鉛筆で描いたように、塗りつぶせない隙間の白さが、闇の中できらりと光る明かりのような。残してしまった者たちの願いが届くような、前向きな終わり方でとても良かった。

どちらかというと大人向きの絵本であり、悲しみに寄り添うような素敵な絵本だった。




減税とか良く話題に出てくるけれど、正直増税しないならいい気もするけどなあ。そもそも日本の税金は他の国と比べて安いらしいし、10%はきついはきついけれど、まあまだ、まだ…。正直、本も生活必需品として8%にならないかなあとか思ったりもするけど…。そこは全力で減税してほしいけれど、他はまあ…。

ただちゃんと使ってほしいよなあ。軍事費とか防衛費とかばら撒きのために使うのはやめてほしい。後外国のためとかチクチクや薬のためとかとか。
お金を大切に、必要ならところに、国民のために、食のために使ってほしいよ。
今でいうなら石川県とかね。最初の段階できちんと整備して、そこに集中して注ぎ込んでいたら、こんな被害にはならなかったのではないかなあと思わずにはいられない。誰かも、日本国土の中の数パーセントも助けられないで、日本をそして国民を守れるわけがないということを言っていたけれど、その通りだよなあと思った。
助けに行っているのも、物資を届けているのも国民であり国民頼りというね。ここにこそぜいきんー。






10月20日(日)

なんだか急に寒くなった気がする。
冬のような風を感じつつ、そそくさとリーフレタスの種を蒔き、またもニンニクを植える。後は種を蒔いて少し大きくなったサンキュも。
収穫は、空芯菜と青唐辛子、インゲン、そして生姜。生姜が結構立派に出来てニマニマ。暑さのせいか全部は出来なかったけれど、それでも半分は出来たから良かった。



新生姜、新生姜!わーい。
今回は半分採った。大きいのだけ。小さいのはもう少し待つ。少しでも大きくなると良いなぁ。



驚いた。note大分溜まってきてしまっているなあとは薄々気づいてはいたけれど、1ヶ月も溜まっていたとは…。これはまずい。流石に溜めすぎだ。たくさんあるのは嬉しいけれど、なんとか追いつきたいなあ。



『対談 日本の文学 素顔の文豪たち』を読む。
「里見弴と本多秋五」編を読み終わる。

有島武郎の話。

有島武郎、有名な『生れ出づる悩み』を読んだような…でも大分昔で忘れてしまった。知識も薄く、だからかほぉという感じ。
勉強をした訳ではないけれど、絵が上手かったのだとか。ほぉ。






ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
寒暖差が激しく体調を崩しやすいので、気をつけてお身体を大切になさってください。皆様の健康を祈っております。
ではでは。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集