檸檬読書日記 芋粥は飽かんが、本は飽きぬ。 9月4日-9月10日
9月4日(月)
祖父の家に行った。
1人の時間があったから、せっかくだからと祖父から自転車を借りて古本屋と本屋に行った。(お小遣いもちゃっかりもらってしまった。ニマニマ。有難い)
そしたらあるわあるわ。
積読本凄いことになっているのに、思わず買ってしまった。(これでも結構我慢した)
『猫の文学館』だけは古書ではなく新刊だけど、探していた本だから嬉しい。この中の、夏目漱石「猫の墓」を読みたいがために、1巻までも買ってしまったよ。でも2巻買うなら、1を買わない訳いかないよなあ。(そうか?)
内田百閒も気になってたから出会えて嬉しい。良かったら、これを機会に色々読んでみようかな。
それにしても、祖父から電動自転車を借りて初めて乗ってみたのだが、最初全然進まなくて驚いた。数分漕いで、ただ電源入ってなくて重かったと知って、また驚いた。そりゃ重いわ。
でも電源入れても、軽いわ軽いけど結構進まない。
漕いでも漕いでも一定の速度しか進まず、何か不思議な感覚。そして走り出しは急に発進するから、意外と危ない。
坂は楽なのかもしれないけれど、結構考えものなんだなあ。
9月5日(火)
筒井康隆『旅のラゴス』を読む。
行先を想像するだけで一瞬で集団移動が出来たり、壁をすり抜けたり、人を惑わす赤い蝶がいたりと不思議な世界で、奴隷になったり王様になったりしながらも旅をする男・ラゴスの話。
繋がった短い話がいくつかあり、繋がっているもののどの話も独立しているように、1つ1つそれだけで完結している。
どの話も個性的で良いのだが、個人的には「王国への道」がお気に入り。
何も無かった村で、ラゴスがあらゆる分野の本を読み、その知識で村を王国にまでしてしまう話。
ラゴスは日がな一日、外に出ることもなく本を読む。小説だけでなく、哲学、農芸、経済学、医学、化学あらゆる本を読む。なんとも羨ましい生活をおくる。
自分にとっても本は麻薬だ。薬であり糧。
だから止められない。
この本も、まさに麻薬的小説だった。
『旅のラゴス』は冒険小説ではあるが、中に「歴史」がつく気がした。冒険歴史小説。
特に「王国への道」は、まさに歴史を辿るようで、興味深かった。
特に興味深かったのは科学の面。この世界では、1度技術が発展したものの、リセットされている。
最近時々思う。科学が発展したことは、本当に良い事だったのだろうかと。
発展したことで、人の生活は確かに楽になった。
けれどその楽を代償に、たくさんのものが失われ壊れさている気がする。
自然は壊され、汚され、その影響で異常気象や災害が増え、回り回って結局人の生活にも影響を及ぼしている。
ただ、発展して良かったこともたくさんある。
でも、今は過剰だ。
昔は豊かさのためや楽しいから生み出していたという感じだが、今はお金のために生み出している気がしてならない。だからどんどん自然に優しくなくなっていく。
医学も発展して、病気を防げたり治せたりと、寿命を伸ばせるようになったと聞く。けれど、本当にそうなのだろうか。
それ以上に、発展し添加物や農薬だらけになることで、病気が増え健康が損なわれている気がする。人の体が弱っていている気がしてならない。
それに寿命は決まっているらしい。それなら…。
ただ医学の全てが疑問という訳ではなく、切って悪いものを取り除いたり、移植や、体をいじる(他にいい表現が思いつかない…)治す技術は、発展して良かったと感じる。
でも薬やワクチンは…。うーん、どうなんだろう。
とりあえず、今までの代償がどうくるのかと怖くてならない。
『旅のラゴス』は最後、曖昧に終わる。
結末がどうなるかは分からない。けれど、曖昧だからこそ、想像を掻き立てられ、読み終わってしまったのに、自分がただ途中で本を閉じてしまっただけで、未だにラゴスの旅は続いているのではないかという錯覚を覚える。
全体的に短いながらにも、内容は濃く、最後まで余韻を残し刻んでくる素晴らしい1冊だった。
なんだか無性に旅がしたくなった。
今回で初めて筒井さんの作品を読んだが、気に入ってしまった。今度他の作品も読んでみよう。
やしまたろう『からすたろう』を読む。絵本。
周りと馴染めない「ちび」と呼ばれた少年の話。
しんみりとさせられる話だった。
けれど悲しい訳ではない。最後は報われ、周りと溶け込むことが出来る。
だけど影のある絵だからか、終始夕日の中にいるような、終わる前兆のような切なさがあった。
どこに居ても、馴染めない者はいるものだ。
少し違うというだけで、弾かれてしまう者はいる。
けれど主人公は、悲観するのではなく、視点を変え、そして「生きる」ことを放棄せず、毎日毎日「生きる」ために日々をおくる。
この本を読んで、何気ない日常をきちんとおくることや、繰り返すことの大切さを教わった気がする。
からすたろうは、何があっても毎日学校に通い「皆勤賞」をもらう。
でも最近、子どもたちの重荷になるからと「皆勤賞」がなくなると聞いた。(はたまた、もしかしてもうなくなっているのだろうか?)
それってどうなのかなと、自分は少し疑問に思う。
自分は毎回取りたいと思って頑張っていたけれど、結局1度も取ることは出来なかった。だから自分にとって「皆勤賞」は、憧れだった。それに健康という証拠で、とても良いことなんじゃないだろうか。
けれど自分が羨ましかったからそう感じるだけで、他の人にとっては小さなことなのかもしれない。でも、目に見えて実感出来る形で何かを得られたという経験や、反対に取れなかったという経験は、とても大切なことなのではないのかなあ。
『からすたろう』を読んで、より感じた。
今は少し、子どもに対して過保護すぎるのではないかなと感じる。
人によって、才能や興味も違う。
何がその子にとってきっかけになるか分からない。だからこそ閉じてしまったり先回りして回避してしまうのは、勿体ない気がする。(まあ、子どももいないくせに、知ったようなことを言うなという感じだが…)
守るだけでなく『からすたろう』に出てくる先生のように、理解し手助けしてくれるような人と出会えるのは、きっと幸せなとこなんだろうな。なんて、思ったり。
2度見どころか3度見してしまった。
自分の紹介した本に興味をもってもらえた。嬉しい。
ただ、そもそもの本自体のポテンシャルが高いからで、自分の紹介文などあまり関係ないのかもしれない。そう分かってはいるけど、ニマニマが止まりませぬ。嬉しいなあ。
こうやって増えていって、本が多くの人に読まれるといいなあ。届いて、たくさん本と人を繋げられるといいな。
引き続き頑張ろう。
9月6日(水)
最近常々思う。自分は愛が重すぎる。
それで何度も失敗しているから、慎重に何度も大丈夫だろうかと確認してから浴びせていたのに、最近はガタが外れている…。
好きが止まらない。
1度好きになると駄目なんだよなあ。なのに1度も恋愛の好きにはならないから、もう意味が分からない。
でも急に冷静になって、我ながら鬱陶しいしうるさいなと思ってしまった。
これからは自重しよう。
でもそうすると今度は、嫌われてる?と思われるんだよなあ。難しい。
もう自分に好かれたくない人は、すぐさま逃げてくれないかなあ。去るものは追わない主義だから、危ないと感じたら直ぐに逃げてくれー。
それか言ってくれー。
凄く沸き立っている。
SUPER BEAVERの渋谷龍太さんの話。渋谷さんの偽アカウントが出現しているらしく、それについての本人のTwitterでの呟き。
か、かっこいいー!痺れるなあ。
自分も(一生起きないけど)あったら言ってみたいなあ。
でももしあっても(絶対にない)、自分の場合は偽物よりも劣りすぎて普通に乗っ取られそう。
後、「X(旧Twitter)」と言わず「Twitter」とごちゃごちゃせずに潔く言ってるのもツボだ。かっこいい。(べた褒め)
うーん、やっぱり早く『吹けば飛ぶよな男だが』読みたいなあ。でも、余計に勿体ないという気持ちが…。
うーん、早く続編が出てくれないかなあ。
9月7日(木)
農家にも酪農家にも援助はしないけれど、漁業には手厚い援助をするんだ。ほう。
芥川龍之介『羅生門・鼻・芋粥』を読む。
「芋粥」を読み終わる。
言わずと知れた、芋粥に飽きることを望み実現してしまった話。
芥川龍之介も、充たされるか充たされないか、わからないことに一生を捧げていたのだろうか。
たとえば、小説、芸術。
この作品、今までで読んだ芥川龍之介の作品の中で、1番芥川龍之介を近く感じた。
怒り、苛立ちが、じわじわと滲んでくるようだった。
主人公の五位は、冴えない男で、誰からも見下され嫌悪されている。
でも1番軽蔑し嫌悪しているのは、作者のように思えた。それくらい、じわじわと苛立ちが伝わってくる。
それにしても、なんとも悲しい話だ。
自分を変えてしまうほど好きすぎるあまり、飽きたいと望んだら、実現してしまった。
悲しい。
飽きたいと望んでいても、本心ではなかったのだろう。その気持ちは、何だか分かるような気がした。
好きだけれど、好きでい続けるのは怖い。こうなってしまうと、分かっているから。
全てを手にしてしまうよりも、充たされるか充たされないか、そういう曖昧でいることが、1番の幸福なのかもしれないな。なんて、思ったり。
また嬉しいことがあった。
『雨は降るがままにせよ』という本を、自分が紹介したことをきっかけに、読んでもらえた。
そしてこれがまた秀逸で、自分の感想文とは比べ物にならないほど簡潔で読みやすい。
こちらを読んだ方が、興味を持って読んでくれる人が多そうだ。
その上、毎週楽しみにしているという言葉までもらってしまった…!そんな方がいようとは…!嬉しすぎて、何か(槍的なものが)降ってくるのではないかと警戒している。(結局何も降ってはこなかったけど、注意散漫で足をぶつけた。でもそれぐらいで済んで良かった。つま先だから結構痛かったけど…)
これからも頑張ろ。
そういえばポール・ボウルズ『シェルタリング・スカイ』を探さなくては。本屋で売ってるかなあ。売ってなかったら古本屋で探して、それでもなかったらとりあえず図書館で借りて読んでみよう。
「砂漠」を踏まえて読むのが楽しみだ。
9月8日(金)
川上弘美『大好きな本 川上弘美書評集』を読み始める。
どうしよう。最初から気になる本が出てきた。
マリー・ダリュセック『めす豚ものがたり』
最初からこれはずるすぎやしないだろうか。
気になる。
カフカの『変身』が、男性が虫になったなら、こちらは女性が突然豚になった話らしい。
気になる。
積読本も読みたい本もたくさんあって困っているのに、また増えてしまった。これ以上読むと、読みたいリストが物凄いことになりそう…。
でも読んでしまったから、引き返せない。けれど危険な感じがするから、少しずつ読んでいこう。
そして2冊目
草森紳一『食客風雲録』(日本篇・中国篇)
歴史上の食客たちの来し方行く末を書いた本らしい。なんてこった。これも気になる。もうやめてくれー。本当に危険だな、この本。
でもやめない(え)
トミー・ウンゲラー『オットー -戦火をくぐったテディベア』を読む。絵本。
タイトルそのまま、オットーと名付けられたテディベアが、戦火の中あらゆる人の手に渡りながら、戦争を見つめる話。
人間である自分にも、同じに見えるのです。
でも、何故違うところばかり探してしまうのでしょう。
いつの日か、オットーと同じように、誰もが同じだと思える世界になるといいのになあ。
変わらないものがあるということに、じんわりとさせられるとても良い絵本だった。
9月9日(土)
デザート。ミニパフェを作ってもらった。
シャインマスカットに、バニラアイス、生クリームに、ヨーグルト、下は須崎屋五三焼の白カステラ。(米を食べさせて産んだ卵で作っているのだとか)
なんとも贅沢な1品でした。
カステラも米卵だからか、さっぱりしていて良き。
9月10日(日)
嵐山光三郎『追悼の達人』を読む。
「内田魯庵」編を読み終わる。
またもや知っているような、聞いた事あるような。曖昧だ。
ただ、小説よりも、『罪と罰』などの有名な翻訳をしていた模様。だから見たことある気がするのかな。
内田魯庵は、かなりの毒舌家だったらしい。
という作者の言葉が、全てを表している気がする。
その時は目立っていても、いなくなってしまうと薄れていく。
この中で気になったのが、内田魯庵が書いた『思い出す人々』という本。
二葉亭四迷、尾崎紅葉、山田美妙など(調べたら幸田露伴など)のエピソードが書かれているのだとか。面白そう。これは手に入れなくては。探してみよう。
そろそろ、秋冬にむけて種まきしなくてはと、重い腰を上げて畑を整えに行った。
そしたら思っていた以上に雑草が凄く、思った以上に熱く、1時間30分でギブアップ。ヘロヘロです。
鼻水はダラダラするわ、手は震えだすは、顔は真っ赤になるわで、少し危なかった。
いやあ、まだまだ危険だなあ。
結局雑草4分の1も出来なかった…。
でも、秋ナスのための剪定と根切りは出来たからいいか。
剪定してたら、大量にナスが出てきた。(白ナス(確か翡翠ナス?)と普通のナス)これでも採れた半分くらいの量。どう消費しようかな。
それにしても、剪定って楽しい。
バッサバッサ切ってくのが、最高に楽しい。躊躇っては駄目で、思いっきりが大事。バッサバッサ。でも少し、思いっきりやりすぎた気も…。まあ、大丈夫か。
あ、ポットの方の種まきもしなくてわなあ。
今週は、良いことがありすぎた。
ありすぎて、もしかしたら命を狙われているのか、はたまた寿命なのかとそわそわしている。もし更新しなくなったら、そういうことです。
と、冗談はさておき、今回も…いやいつも以上に長くなってしまった。
余計にこんな冗談まで読んで頂き、有難いです。ありがとうございます。
皆様にも良きことがありますよう、祈っております。
ではでは。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?