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檸檬読書日記 紫陽花は音を奏で、彼女は死んで生き、萩原朔太郎はゾンビ。 6月17日-6月23日

6月17日(月)


野生感溢れる紫陽花。もりもり。


そして儚げ紫陽花。うっすら。

この前初めて知ったけれど、白い紫陽花は「ハーモニー」という名前らしい。ハーモニー。意外。君、そんなハイカラな名前だったのか。



寺山修司『さみしいときは青青青青青青青』を読む。


「なみだは、この世でいちばん小さい海である」





6月18日(火)

雨だー!ありがとうございます。
恵の雨と言うけれど、本当にその通りだなあ。



江國香織『絵本を抱えて部屋のすみへ』を読む。エッセイ。

大人になった今だからこそ響くような絵本の紹介を集めたもの。

どちらかというと、静かめの本が多く、子供の本を探している人よりも、大人がしんみりと読むのに向いてる本が多い気がする。絵もカラフルよりも大人しめな美しいものが多く、見て楽しむような。

趣味が同じなのか、持っている・持っていた本が多く、その点でも楽しめた。分かってらっしゃると。
知らない本もまた魅力的で、読みたくなった。
自分が持ってる本も懐かしくなったからまた読んでみようかな。



米原万里『打ちのめされるようなすごい本』を読む。


(略)現在地球人口七人に一人を占める飢えている人々の目からは、飽食の日本人は貴族に見えるかも知れない。心の片隅にそんな眼差しを持ち続けたいと思う。


うむ、確かに。
でもいつまで続くだろう。



急に人が来ることになってバタバタ。
でも良い時期に来てくれた。あげられる野菜がたくさんあるから良かった良かった。





6月19日(水)

素晴らしい組み合わせを発見してしまった。天才かもしれない…(言い過ぎ)


カステラに、陣太鼓(餡子に求肥入り)に、クリームチーズ。
それに無糖のアイスティーというね。完璧。



あげた野菜を美味しいと言ってもらえた。嬉しい。嬉しいからもっと押しつけてしまおうかな。(え)



エドガー・アラン・ポー『黒猫 ポー傑作選1』を読む。
「モレラ」を読み終わる。

彼女は死んで生き返る。そして彼の愛を手に入れる。


(略)何時間も何時間も、私は彼女の傍らで、音楽のような彼女の声に聞き惚れていたが--やがて、その旋律は恐怖の色を帯びるようになってきて--わが魂に暗い影が落ち--この世ならざる調べに蒼褪め、内心、震え慄いた。こうして喜びは不意に恐怖となり、最も美しいものが最もおぞましくなったのだ。


「最も美しいものが最もおぞましいものになったのだ。」

まさにそんな作品。

彼女は彼を愛していた。彼も彼女に好意を抱いていたが、それは愛ではなかった。そして恐怖さえ抱いていた。
彼女は彼の愛が欲しかった。だから彼女・モレラは、死して彼の愛を手に入れようとする。

「私は死にますが、生きるのです」
「モレラ!」
「あなたが私を愛してくれた日はありませんでした。けれど、生きて嫌ったこの女を、死してあなたは愛するでしょう」

死とともに娘が産まれた。彼は娘を愛した。モレラにそっくりな娘を。けれど娘は、次第に言動さえも彼女に近づいてきて…。

これは鳥肌ものだ。最後にも、ぞくりと震わされる。

1835年時点で自分の最高傑作とポーが言っていた通り、これは本当に傑作。
ポーの作品は、参考にしているものがあるからか、どこか既視感を覚えるものが多い。ただ、似たどの作品よりも、ポーの作品は飛び抜けている気がする。
恐怖を操るのが本当に上手い。ただ恐ろしいだけでなく、知的さがあるから、余計にゾワゾワさせられる。

この作品は、『川端康成異相短篇集』のような、落ち着かない気持ちを抱かせる作品が好きな人にはかなり刺さりそう。



noteで、本が読めなくなってきている、と書いている人がいて、分かるーと読みながら頷いている。
これだけ読んでいるのだから、読めないもないだろうと突っ込まれそうだけど。
読めるけどピンとこないというか…何読んでもモヤモヤする。これだ!というものがないというか、今読みたいものが分からないというか…。探すために目は通すけど、スラスラ読めなくてどれも時間がかかる。
まあいずれ元に戻るだろうけど。結局待つしかないんだよなあ。





6月20日(木)

なんと!『ガチアクタ』アニメ化するのかあ。嬉しい。大久保篤のような狂気じみた絵がたまらなくたまらないんだよなあ。海外のステッカーみたい。

『SAKAMOTO DAYS』もアニメ化するようだし、楽しみだあ。これは読んだことないけど、気になっていたから嬉しい。観て面白かったら漫画買おうかな。



伊坂幸太郎『マリアビートル』を読む。

ようやく読めた。映画化されて話題になった時に買った気がするけど、大分放置していた。

まさに娯楽小説。
殺し屋同士のバトルと心理戦。それに割り込む狡猾な中学生。に、また巻き込まれる元殺し屋たち。

この方の作品、確か1冊か2冊くらいしか読んだことないけれど、わちゃわちゃバラバラしていたものがどんどん繋がって、次第におさまっていく感じが、毎度本当に凄いと関心してしまう。あっぱれ。
最後はドキドキで手が止まらなくなる。最初はだるだると読んで結局3週間もかかってしまったけど、最後は気になって気になって一気に読んでしまった。

登場人物たちはどれも個性豊かで、視点がコロコロと変わるけれど、だからか見飽きない。特に天道虫は、殺し屋なのにかなりの不運体質で、その運のなさはコミカルで面白い。けれどピンチには強いというね。最高な設定。
2人組の殺し屋、蜜柑と檸檬もお笑いコンビみたいで愉快。
ただ、ただ!中学生の王子(名前)だけが…!モヤモヤする。最初から最後までモヤモヤ。まぁおそらくこの本を読んだ人の殆どが同じ感情を抱くと思うのだけれど。
でも、王子の言葉は結構的を得ていて、それが興味深い。非道徳的思考の人物に語らせているというのが凄いなあと。上手いというか。世に出るものの場合、そういうのを反対の立場の人に語らせると色々問題になりそうだけれど、敢えてというね。凄いなあ。売れている作家って、こういうのが上手いよなあ。

最後のおまけではニヤリとさせられ、全てを回収する巧みさには惚れ惚れとする作品だった。
他の殺し屋シリーズも読んでみようかな。



『アンネの日記』を読み始める。

日付は最初、6月12日から始まっている。
本当はそれに合わせて読もうも思っていたのに、バタバタとして忘れてたいた。
でも今日の日付、6月20日まで一気に読んで、今日から同じ日付通りに読み進めていくことにする。

自分が持ってるいるのは、最新の「増補新訂版」。
『アンネの日記』には、2種類の原稿が存在し、最初に出されたのは、その2種類を合わせて短縮したものだとか。その後に出たのが「完全版」で、これは省かれた箇所をを入れたもの。
そして「増補改訂版」は、新しく発見された日記をさらに加えたもの、らしい。所謂超完成版。だから1度読んだことある人も、また読んでも興味深そうと思ったり。

この日記は、アンネが戦後に本を出した時の基礎資料にしようとしていたらしく、日記というよりも物語のよう。
最初は、自己紹介や人物紹介から始まっているのも物語のよう。
架空の人物、友達キティーに宛てたという体だから手紙のようでもあるけど。

そういえば、少し前に読み終えた少女ダダの日記でも、日記は誰にも話せないことを語る語り手(友)としていた。
何でも話せる、受け止めてくれるものが必要だったのかもしれない。誰もが大変な時、良い子でいなくてはいけない、弱音を吐いてはいけない。それでも自分を保つために、受け止めてもらえるものが必要だった。それが日記であり、架空の友という存在。だったのかな。
公開してもしなくても、日記というのは大切な習慣なのかもなあ。



良い土地がもらえそうな予感。
畑が出来るところは勿論、竹林があって、米が出来るところまであるらしい。理想的すぎる。
特に田んぼは、1からだと大変だけたど出来てるところがあれば、後は水が使えるか確認するだけだし、もしなければ最悪掘って水を引っ張ってくれば良いから、1からよりは簡単。
果物も柿と蜜柑があるらしいし。良い。

木とか色々植えたいなあ。
枇杷、檸檬、ブルーベリー、ラズベリー、林檎、柚子、金柑、栗、梅。ここら辺があれば色々使える。
桃栗3年柿8年枇杷は9年でなりかねる、梅は酸い酸い13年、柚の大馬鹿18年。だから、今からなら住む頃には丁度よくなってる、かも?

後は手入れの必要のないものとか。
フキ、ミョウガ、紫蘇、赤紫蘇、三ツ葉、セリ、とかちょこちょこっと植えて置いたら、勝手に広がっていい感じになるかも。
あ、小松菜、かき菜、のらぼう菜とかの葉っぱ類も、種撒いとけば住み着いてくれるかもしれぬ。
わあ、夢が広がるー。

ただ問題は、家。建て替えが必要らしいんだよなあ。そして雑草。まあそりゃそーだ。
とりあえず今度実際見させてもらおうかな。どちらにしても、まず田んぼだけでもやれたらいいなあ。自然農法で。





6月21日(金)

1度はやめたけれど、やはり欲しい、読みたいと思って買ってしまった。

『シャーロック・ホームズとジェレミー・ブレット』

ジェレミー・ブレット演じるドラマ版『シャーロック・ホームズ』が好きで、もう何十回も、数え切れなくくらい観ている。だからもうこれは買うしかないと。
写真も多いし、作品それぞれのエピソードや、共演者の話など盛りだくさんで、これは間違いなく面白い。

シャーロック・ホームズ自体も好きだけれど、ジェレミー・ブレットも好き。後半はふっくらしてくるけれど、最初のシャーロックは彫刻みたいで美しい。
でもジェレミー・ブレットだけでなく、シャーロック・ホームズに出てくる女優たちは、美しい人多い気がする。

途中からワトソン役の人が変わるけれど、それは何故かとか書かれているのかな。個人的にワトソンは後半の方が好き。柔和で。(とかいいつつ、最初変わっていたことも気づかず、ワトソン役変わるんだよねと言われ、よくよく見たら変わってて本当だ…!となった)

同時期に出たらしい、ポアロ演じたデヴィッド・スーシェの本も気になるんだよなあ。
シャーロック・ホームズ以上に、ポアロは観ている。前半は50回は余裕で観ている気がする。(観ているというか、本のお供に聞いているというか。殆ど音楽的感覚で流しているだけだけれど)
んー、迷う。

とりあえずは『シャーロック・ホームズとジェレミー・ブレット』からだな。
せっかくだから、1から見直してから読もうかな。



『ブレヒト全書簡』を読む。

カフカの小説『審判』(本の中では『訴訟』と書かれていた)のオペラ化を、ブレヒトがある人に勧めていたようで。それで公演もされたのだとか。へー。
違う人がやっていたらしいが、その脚色はお気に召さなかったよう。ほぉ。



『萩原朔太郎詩集』を読み終わる。

事前準備として『青猫』だけ読もうと思っていたけれど、せっかくだからと結局全部再読してしまった。

『青猫』だけでいえば、彼の作品集の中で最も死の匂いが強いなと思った。
それで尚且つ凄いのが、死の匂いが強いというのに生の匂いが全くしないということ。
寧ろ死が生を呑み込んでいる。全てのものが死に変えられ、落とされている。

大概死が含まれたものは、同時に生も感じられるのだけれど…。特に死の匂いが強ければ強いほど、また生の匂いも強くなるというのが、今まで多かった(萩原朔太郎以外の作品の話)のに、『青猫』はその自分の常識がまるで通じない。
この人、本当に凄いよ。これを生きている人間が書いて生み出しているのだから。もしやゾンビだったのだろうかと疑いたくなる。周りにぶむぶむふむと蝿が飛んでいたりしてね。

『青猫』以外は、今回順番に読んで分かったけれど、最初の頃は小難しい感じだったんだなあと思った。
年代が新しくなるにつれて、言葉が現代に近付いてきて読みやすくなっているような。
だから萩原朔太郎は、有名な『月に吠える』よりもその後に出た『青猫』の方が、最初に読むにはいいかもしれない。特に詩に馴染みがない人は、その方が取っ掛かりやすいかもと思ったり。

これで準備は万端なんだけれど、いつ行けるかなあ。萩原朔太郎記念館。前橋文学館。

準備は万端になったけれど、今見たら『青猫』の企画展は終わってた。笑う。





6月22日(土)

この時期、枇杷ばかりを探してしまう。
オレンジ色の実を見つける度に、良いなあと。羨望の眼差し。
誰かいれば言えるけど、基本的にいないから…残念。
大概ある家は採らないよなあ。勿体ない。

枇杷の木は「医者いらず」と言われているところもあるほど万能らしい。熱、内蔵の病気、炎症などの怪我一切に役立つそう。
特に種は癌にも良いらしい。苦いけど、朝晩と1個ずつ、毎日2個をガリガリ食べて癌が消えたのだとか。(勿論他の食事も気をつけて)
固くなった葉も、酒につけると色々使えるし…くぅ、枇杷の木欲しい。

夢にみる ぽこぽこ実る オレンジの 枇杷が私に 降り注ぐのを



米原万里『打ちのめされるようなすごい本』を読む。


一八〇〇種ほどの日本産のダニのうち、人を刺し吸血するのは一%余りであるにもかかわらず、種全体がこれほどさように不当に悪者あつかいされている。圧倒的多数のダニは、生態系サイクルの中で生物遺体解体という地味だがかけがえのない働きをしているというのに。自分もそのおかげで生かされている同じサイクルのメンバーとは露知らず、パラノイアックな潔癖症を患う大都会住民が示す、ダニに対する異常で滑稽な拒絶反応の数々を紹介しながら、著者はダニに関する無知と偏見を一枚一枚剥がしていく。


そんなに数がいて、困る存在は1%という驚き。


ダニに対して興味津々となったところで、ダニを食うダニとか、ダニの結婚とか、古糊をつくるダニとか、蟻の家畜にされるダニとか、面白いダニの習性や変わり種を紹介してくれる。


青木淳一『ダニにまつわる話』、ちょっと読みたいかも。
本を所持している以上切っても切り離せない存在だから、知っておいて損は無い、かも?



悲しいことがあった。
あまり行かない本屋に行ったら、レジがセルフレジに変わっていた。

一気に萎えてしまった。本屋でセルフレジなんて…。勝手に温かいイメージを持っていただけに、温度を奪われたようだった。
別に自分は、店員と話がしたい訳ではない。積極的に関わりたい訳でもないし、寧ろ自分のことを覚えてほしくないとまで思っている。認知されないように、コソコソと目立たないようになるべく印象を薄くと気をつけるくらいには覚えてほしくない。(それはそれで怪しくて覚えられそうだけど…)
それでも、本屋は人を介したいなあと思う。
本には、温度があってほしい。

スーパーとかなら分かる。混む時は凄まじく混んでしまうから。でも本屋は…。そんなに混まないよなあ…。(書いていて悲しくなるけど)
人手不足も分かるけど…。見回る要員がいないと、万引きされてしまうからというのもあるのだろうけど…。
でもなんだか、切ないなあ。こんなこと思うのは、自分だけなのかなぁ。そんなふうに感じるのは、自分だけなのだろうか。

本を自分でピッてやるのが凄く虚しく感じるのだけれど…。それなら本屋で買わなくてもとか。(でも本屋で買うけどね)

んー、なんか悲しいなあ。
そうやって本屋も、紙の本もなくなっていくのかなあ。
もうそういうことになったら、新しく出る本の媒体なんか買わずに、自分が持っている本たちで楽しんでやる!(ヤケになってる)

お願いだから紙の本を、本屋で買ってくれー(色んな人に念をおくる。むむむ。(こわっ))





6月23日(日)


パクチーの花。
可愛らしいけど、匂いは凄いパクチー。結構強烈。
パクチーは食べられなくはないけどあえては食べないから、ほとんど使わず直ぐに花になってしまう。
まあパクチーよりも種欲しさに植えてるから良いんだけどね。コリアンダーはそこそこ使うから。カレーとかね。



石井千湖『文豪たちの友情』を読む。
「太宰治と坂口安吾」編を読み終わる。

この2人、仲良しだったのかあ。知らなかった。

有名な、芥川龍之介の名をノートにひたすら書いていた事件(?)や、檀一雄を人質に残して戻ってこなかった「待つ身が辛いかね、待たせる身が辛いかね」事件が載っている。


散々迷惑をかけられても見捨てきれない魅力が太宰治にはあったのだろう。


きっとそうなのだろう。女も男も関係なく、1人にしておけない困った君は好きになってしまうものだよね。分からなくもなくもなくも。

中でも、井伏鱒二との話が面白かった。
太宰治は、『富嶽百景』で井伏鱒二がおならをしたと書いたらしく、井伏鱒二はそれに対し、してないと笑っていう。太宰治にも抗議したら


(略)「いや、二つなさいました。三つなさいました」って、わざと敬語を使ってね、話をごまかす。ぼくが放屁したら、三ツ峠の山小屋のヒゲのじいさんがクスッと笑った、というんですよ。


そんなことを言われ、井伏鱒二はしょうがないなあという感じ。
子供っぽい太宰も、親のような寛容な井伏も、なんか良い。2人のたわいないエピソードにほっこりした。こういう関係性って良いよなあ。

あれ、坂口安吾は?
『不良少年とキリスト』が読みたくなった。





ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
急激に暑くなってきているので、どうか体調には気をつけてお過ごしください。皆様の健康を心から祈っております。
ではでは。

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