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檸檬読書日記 『跡を消す:特殊清掃専門会社デッドモーニング』を読む。 6月19日-6月25日

6月19日(月)

唐突に空芯菜を蒔いていないことに気づく。
慌てて種まき。よしよし。
空芯菜は優秀なんだよなあ。病気に強く、虫にも強い。そして、折って採っても、また生えてくるから何度も何度も採れる。最高ですね。
癖も少なく、独特なシャキッと感も堪らない。炒め物に最高。


MOMENT JOON『日本移民日記』を読む。

日本に10年住み、ラッパーとして活躍する韓国人の著者が、日本で体験したことや感じたことを綴ったエッセイ。

読みながら、ハッとさせられることが多い本だった。
日本に住み日本人だという凝り固まった思考では、気づけなかったことに気付かされた。

例えば「日本語版上手いですね」という言葉。
一見、褒め言葉であり、言う側も善意として使っている言葉。だけど、著者は複雑な感情を抱くのだとか。
勿論最初は嬉しかったらしいが、10年も住んでいて未だに言われるのは違和感があるらしい。特に「何年住んでいるんですか?」と聞かれた後に「日本語上手ですね」と言われることが。

おそらく「日本語上手ですね」というのは、言っている側には悪意はなく、会話のきっかけとしての挨拶みたいなものなんだと思う。
(多少は、そう言っておけばいいだろうという感じもあるのかもしれないけれど…)
だが悪意がなく善意であっても、日本人は日本語に対して見えないプライドがあり、そういうものが無意識に出ているのかもしれない。

日本の中でも、訛りがある地域の人が標準語を喋っていると「訛りがないね」と言ったりする。
差別とまではいかなくても、標準語が絶対な雰囲気はある気がする。同じように、日本人が話す日本語が本物、という意識が無意識であれどこかにあるのかも…。
そのどうしようもない壁を思わせるのが「日本語上手ですね」という言葉なのかもしれない。

本の中では、日本にも差別があることも書かれていて、悲しくなった。
ロシアのことで、日本に住むロシア人を差別や罵倒したニュースを見て、日本にもやはり差別があるのだと知り分かってはいたけれど、やはりずしりと来るものがあった。
けれど、きっと差別というのは、日本だけではなくどの国にも存在するものなのだと思う。
日本で、他の国の人を差別する人がいるように、何処に行ってもアジアや日本人を差別する人はいる。
それくらい自国ではない国で住むのは、何かしらの困難が付きまとい、そのくらい自国に対しての執着と他国に対しての壁が大きい気がする。

他国に住むのは、差別の他にも言葉や文化の問題もあって、本当に大変なことなんだろうなと思う。けれど、困難な上でも住み続けるというのは、それほどその国を愛しているということと同意な気がする。
もしかしたら、自国の人よりもそういう人の方がその国への愛情が大きいのかも。なんて、思ったり。

そもそも10年も住んで永住権があり、その国の言葉を話しているなら、もうその国の人でいいと思うのだけど…。
そして、両親がどの国の人でも、その子どもが他国で産まれたら、もうその子はその国の子でいいのではないかと思うのだけれど…。なのに何故こんなにも難しいのだろう…。

んー、つらつらとしていくうちに、だんだんと何が書きたいのか分からなくなってきた。
けれど、日本人として考えさせられるような、考えなくてはいけないことが多い本だった。
ただ頭の弱い自分としては、専門的なことも多くて半分くらい分からなかったのが残念…。自分の理解力のなさが恨めしい。




6月20日(火)


ヨーグルトと葡萄。
結構綺麗に盛れた気がする。


パイ・インターナショナル『日本の風景が織りなす 心に響く情景のことば365』を読む。

日本の美しい景色と共に、季語や行事、四字熟語や言葉などを学べる1冊。

この本は、楽しみ方が2つある。
これが本当に日本なのかと驚くほど綺麗な景色を眺められること。そして、日本ならではの季語や言葉、日本の行事などを知れることだ。
それも1月1日からはじまり、写真で流れていく季節を感じられるから、見ていて楽しい。(あれ、そうなると3つか?)

特にググッときた言葉をいくつか。

4月12日「明日ありと思う心の仇桜」

明日はどうなるかわからないという夜の無常を、はかなく散る桜の花にたとえて説いた言葉。明日も咲いているだろうと思っていた桜の花が、夜のうちに嵐が来て散ってしまうかもしれないという親鸞聖人の言葉。

桜の花の儚さとぴったりな言葉だな。
本当に、明日は何があるか分からないから、いつ何があるか分からないから、やれるときにやらなくてはなあ。

6月3日「恋の蛍」 

恋い焦がれる思いをホタルの光にたとえた言葉。恋するホタルは焦がれる気持ちがあまりにも強く、燃えつきてしまうだろうと歌った平祐拳の和歌がある。「天彦よ 雲の籬(まがき)に言伝む 恋の蛍は燃え果てぬべし」

なんと素敵なのだろう。
ただ「籬」が何か分からなくて調べたら「格子戸」だった。「雲の格子戸」素敵だなあ。だから天彦なのか。

11月18日「夜の底」

底知れない深い闇、夜の深い闇のことをいう。川端康成の代表作『雪国』の冒頭「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底か白くなった」が有名。

ほほう。川端康成は相変わらず言葉選びが抜群だな。『雪国』まだ読んでいないから、読みなくなってしまった。

写真だけでなく言葉も興味深く、日本の景色や日本の言葉の素晴らしさを再発見できた本だった。



6月21日(水)

モロヘイヤは優秀だなあ。
3年前くらいに採った種で、毎年出来ている。偉い。
虫にも強いし、取っても取っても直ぐ成長するから、長くたくさん楽しめるのも素晴らしき。
あのネバネバ感も堪らぬ。茹でてポン酢も美味しいし、味噌汁に入れてもネバっとして最高。
早く大きくならないかなあ。


たなかのか『すみっこの空さん』3巻を読む。

知識の塵の中に蟄居(ちっきょ)していても宇宙の秘密を知悉(ちしつ)することはできない

「蟄居」家の中に閉じこもって外出しないこと。
「知悉」ことごとく知りつくすこと。

つまりは、知識の中に閉じこもっていても、宇宙の秘密を全て知ることはできない。

なるほどなあ。
確かに、知識だけは豊富で、全て知った気でいても、実際に感じない限り本当に知ったことにはならないのかもしれない。
つまりは頭でっかちではいけません、っていうことなのだろうか。うーん。なるへそなるへそ。

「そうか…空さん『こい』ってどんなものなのかわかった気がするよ
『すき』のはんたい語は『きらい』で
『きらい』のはんたい語は『すき』だけど…
…でも『すき』っていうことばが『こい』っていうことばになったら
それは名前といっしょで
はんたい語がなくなるんだね」
なるほど…プラトンにもわかったような気がしました
簡単に「嫌い」に裏返ってしまう反対語のある「好き」が消えないように特別になるように
きっと「好き」になる気持ちに願いをこめてつけた「名前」が「恋」なのでしょう

んー、素敵だなあ。
恋に反対語はないかあ。恋というものに対して、まだ曖昧で知らない子どもならではの純心さが沁みる。



6月22日(木)

去年、唐辛子がたくさん採れた。だから今年はいいかなあと思っていたら、母親がそれでも一応作ってと言うので、種を蒔いてみた。

唐辛子は種では難しいと聞くから、出なかったら出なかっただなと思いながらザッと蒔く。
そしたらびっくり。出るわ出るわ。
3種類、鷹の爪と韓国唐辛子と青唐辛子を蒔いたのだが、3種とも出るわ出るわ。もう良いんだよ、という思いに反して、ぴょこぴょこ出るわ出るわ。
2、3本あれば良いかなと思っていたのに、1種類につき10本くらい出てきてしまった…。えっ、そんなにでるものなのか?難しいという逸話は?と戸惑っている。

どうしよう…。でも折角出てくれたしなあ。何の問題もなく、全部すくすくと順調に育ってくれてるしなあ。
誰かほしい人いないかなあ。
嬉しいけど困りました。


前川ほまれ『跡を消す:特殊清掃専門会社デッドモーニング』を読み始める。

くらげのように気ままにフリーター生活を送る浅井は、ひょんなことから特殊清掃をしている男・笹川と出会い、特殊清掃専門会社「デッドモーニング」で働くことになる。
特殊清掃とは、孤独死や自殺等で亡くなった者達の部屋の掃除をすることだった。

「人間も溶けるんだよ。そして、流れ出た液体がはっきりと跡を残すんだ」

人が溶けることを初めて知った。
腐敗することは知っていても、溶ける発想が不思議となかった。
最終的に土に帰るのだから、当然のことなのだけれど、生きていると「溶ける」という事実が凄く不思議に思える。
自分のペラペラな皮膚を見つめても、到底溶ける感じがしない。

それでも、機能が全て停止した瞬間から、形を保てずに溶けてしまう。
そうして、自然に帰っていく。そう思うと考え深く、生物って本当に凄いなと思う。生物って面白い。



6月23日(金)

スタバで飲み物を奢ってくれるということで、久々にスタバに行った。
「1番大っきいやつ頼もうよ」
と言うから、ウキウキと注文する。
だけど慣れてない上に、2人とも語学がからっきしなせいか、1番大きいサイズの「venti」が読めない。
「ベン、ベン、ベン…」
と、ベンを無駄に連呼する始末。挙句の果てには
「1番大きいサイズで!」
と、勢いよくかなりダサい注文をしてしまった。
店員さんに「ベンティーですね」と言われて、初めて知る。ベンティーかぁ。そのままだった。

とりあえず無事に受け取れて一安心。だけど飲んだものの、2人とも日頃甘いものをあまり摂取しないせいか、過度な甘さに驚く。
「甘っ、甘っ!」
と笑いながら飲む。
そして3分の1飲んだ辺りから、2人とも急激に手が止まる。慣れていないくせに、1番大きいのを頼むんじゃなかった…という空気が流れる。
一向に進まないで、見つめても減るわけないのに、ただじっと見つめて話だけが進む。
捨てるのも勿体ないから、今日はずっと傍らにスタバの飲み物を置いて過ごすことになった。
昼に買って、夕方近くにようやく飲み終えました。
アイスを頼んだけど、終えた頃にはぬるっぬるになっていた。

そもそも自分は、水分をあまり取らない。だから基本的に飲み物はずっと同じだし、飲み終わる頃にはぬるい状態なんだけど…。
あまり喉が乾かないし、寧ろたくさん飲むのがきつい。
1日で頑張ってペットボトル1本を飲むかなという具合。(昔からほっとくと全く水分を取らないし、朝に入れた飲み物を夕方とか夜まで飲んでいるから、しょっちゅう親に怒られていた…。乾かないから忘れてしまうんだよなあ)
そんな奴が、ベンティーは無理があった。(頼む前に気づけよ、という話だけど…)
なんだかいける気がする、というよく分からない自信が湧いてしまったんだよなあ…(遠い目)

でも海外では、ベンティーサイズが通常なんだよなあ。凄い。
海外行った時、普通サイズを頼んだらベンティーサイズが出てきたと見せてもらって、驚いた覚えがある。(もしかしたら、その人が注文を間違えた可能性もあるけど)
凄いなあ。そもそも、水分を大量に飲める人が凄い。
でもこれから熱中症が危なくなるから、飲まなきゃなあ。


前川ほまれ『跡を消す:特殊清掃専門会社デッドモーニング』を読む。

「優しい言葉って、何だろうね?」
「俺にはもうわかりません」
「僕は思うよ。最初から優しい言葉なんて存在しないんだ。あるのは優しく聞こえる言葉だけ」
「そうですかね……」
「でもね、どんな不器用な言葉だって、叱られた時の言葉だって、いつか思い出した時に、その言葉が胸のどこかを温めていたら、それは本当に優しい言葉なんだ」

優しい言葉というのは、難しい。
自分が優しい言葉と思っていても、相手には残酷な言葉だったり、嬉しくなかったりもする。万人に優しい言葉だと思われている言葉も、使い方や人によっては、違ったりもする。

だから本当に難しくて、確かに優しい言葉なんてものは、存在しないのかもしれない。
もしかしたら、優しい言葉はこれっていうものはなく、言う側の気持ちが関係しているのかもしれない。
本当にその人を想い、気持ちがこもっているなら、それは優しい言葉になるのかもしれない。
そういう言葉は、その時その瞬間には届かなくても、いつかきっと届く日がくるもので…。そうだと良いなあと思う。自分の言葉が、そういうものだと良いなあ。いや、そういうものにしていきたい。



6月24日(土)


餃子!
計50個頑張りました。ふぅ。
のろまのせいか、1時間弱かかってしまった。

最近、重信初江『からだにおいしい魔法のつくりおき 発酵白菜レシピ』の発酵白菜で作る餃子がお気に入り。発酵白菜にたっぷりのニラに、少なめのひき肉が良き。
白菜自体に味がしっかりしているから、醤油やポン酢なしで、酢胡椒ラー油で食べるのが最高。

それにしても、ニラが凄い採れる。
秋冬はそうでもなかったのに、春になってだんだんと気温が上昇してから、成長が早い。採っても採っても直ぐ生えてくる。優秀だ。
ニラ玉キクラゲも好きだから嬉しい。


前川ほまれ『跡を消す:特殊清掃専門会社デッドモーニング』を読み終わる。

特殊清掃、自殺や孤独死で亡くなってしまった部屋の後始末をする仕事があるのを、この本で初めて知った。
そのままにしておけるはずがないのだから、当然なのだけれど、警察などがやるのかと単純に思っていた。

普通の清掃とは違い、とても過酷で、腐敗で蝿やウジが湧き、溶けることで亡くなった時の形がくっきりと残る。それを綺麗にし、跡が残らないように消していく。
想像するだけで震え、自分ならきっと足がすくむだろうなと思った。
それでも一生懸命に死に向き合い、想いを込めて生きた跡を消していく。その姿に、胸が震えた。

この物語で個人的に良いなと思ったのは、現実的なところもあることだった。
跡を消した後、それぞれに前に向こうとする。その考え方がそれぞれで、納得いくようなばかりではない。だけど寧ろそういうところが良かった。
人生は上手くいくばかりでも納得いくばかりでもない。そういうのがあるからこそ、この本は物語の世界に入り込むことが出来た気がする。

切なくも、朝を迎えたような温かい本だった。


アメリカ兵は撤退し、中国は元々自分のものだったと言い出している。
近づいてるなあ。くらくらする。
何故仲良くできないのだろう。分け合えないのだろう。
この世は全て、1つとして誰のものでもないと思うんだけどなあ。



6月25日(日)

嵐山光三郎『追悼の達人』を読む。
「二葉亭四迷」編を読み終わる。

くたばってしまえで同じみの二葉亭四迷ですね。読んだこと、ないなあ。
ロシア文学にお熱だった模様。ほう。

二葉亭はもとより軍人志望であり、ロシア語を学んだのは、ロシアが日本を侵略するのを防ぐためであった。

やはり相手を知るには、そして1番の盾は自ら言葉を学ぶことなのかもしれないなあ。会話が出来なければなにも始まらないもんなあ。

ロシア語を学ぶうちにロシア文学の魅力にとりつかれ、その延長で『浮雲』を書いた。日露戦争は二葉亭が、かねてより予想していた通りにおこった。二葉亭のめざすところは政治、思想にあり、二葉亭はロシアに送りこまれた日本軍のスパイだったという説はそこから生まれた。

ほう。
二葉亭四迷が魅力されたロシア文学とはどんなものなのだろうか。断然興味が湧いてきた。。
ロシアの歌は好きだけれど、あまり文学は見たことなかったな。とりあえず二葉亭四迷が訳したツルゲーネフでも読んでみようかな。

後、中国語勉強しようかな。

唐辛子三兄弟の貰い手が現れた。良かった。
そっちへ行っても元気に育つんだぞ。




今回は、自分でも書きながら何書いているのかよく分からなくなったことが多々だったから、読みずらいものになってしまった気がする…。
そして長い。
次はもっと理路整然としたものにしたいなあ。

ごちゃごちゃとしているこのような文を、ここまで読んで頂き、ありがとうございました。
ではでは。

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