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自由よ!-ルドルフ・シュタイナー『自由の哲学』9章より-
改めて、次の箇所のドイツ語を見ますと、シュタイナーの書き方が最初から最後までカントと同じ言葉を使いつつ、きれいにカントの書き方をトレースしながら反論を書いていることが分かりました。これができるだけ伝わるように訳してみたつもりです。
原文出典:http://bdn-steiner.ru/cat/ga/004.pdf
ミュンヒハウゼン男爵とキリスト①-『自由の哲学』より-
今より後われ汝らと多く語らじ、この世の君きたる故なり。彼は我に對して何の權もなし、 されど斯くなるは、我の、父を愛し、父の命じ給ふところに遵ひて行ふことを、世の知らん爲なり。起きよ、いざ此處を去るべし。(ヨハネ福音書14章30-31節)
『自由の哲学』の九章に次のような一文があります。
Aber mitten aus der Zwangsordnung heraus erheben sich
ルドルフ・シュタイナー『大天使ミカエル-人間存在の本来の秘密を啓示する者-』第六講
1919年11月30日 ドルナッハ
■Ⅵ-1 ここ数日素描してきたことからもお分かりいただけますように、人間存在(本性)を完全に理解するのに必要不可欠なのは、人間の分節化を取り上げ、なによりもまず、人間の頭部有機体と呼ぶことのできるものと、頭部以外の有機体と呼ぶことのできるものとの間にどのような大きな違いがあるのかをはっきりさせることであります。もちろん私たちは、この人間の頭部以外の有機体もまた
ルドルフ・シュタイナー『大天使ミカエル-人間存在の本来の秘密を啓示する者-』第五講
1919年11月29日 ドルナッハ
■Ⅴ-1 人間は、少なくとも人類の進化発展の最も重要かつ最も本質的な法則を受け容れることによってのみ、自分の魂の支えとなる真実の意識を得ることができます。私たちは、人類の進化発展のプロセスの中で生じたことを認識し、私たちの魂の営みの中に取り込まなければなりません。それが現代の人間の課題なのです。さて、この数日間中に既に述べたことですが、人類の進化発展そのもの
ルドルフ・シュタイナー『大天使ミカエル-人間存在の本来の秘密を啓示する者-』第四講
1919年11月28日 ドルナッハ
■Ⅳ-1 先週の講義で、ここで取り上げてきた様々な観点を踏まえて、今日はちょうど、明日、明後日には更に拡充させる手筈となっている事柄を幾らか述べたいと思います。皆さんは、これまでに行われてきたこととは異なる仕方で、既に触れた私たちのテーマを更に追求していくのに必要となることの多くの事柄を思い出すことになるということです。
■Ⅳ-2 地球の進化発展がどのよう
ルドルフ・シュタイナー『大天使ミカエル-人間存在の本来の秘密を啓示する者-』第三講
本講義をお読みになる前に、同講義の第一講・第二講をお読みいただければ幸いです。
1919年11月23日 ドルナッハ
■Ⅲ-1 一昨日ここで行った第一講で、私は、私たちが人類の一員として、差し当たり今は私たちの第四進化発展期の天体領域と呼ぶことができる領域の中で生きているということについてお話ししました。ご存じのように、現在の地球の進化発展は、土星の進化発展から次第に具現化してきました。土星の
ルドルフ・シュタイナー『大天使ミカエル-人間存在の本来の秘密を啓示する者-』第二講
本講をお読みになる前に第一講からお読みいただくことをお勧めいたします。
1919年11月22日 ドルナッハ
■Ⅱ-1 昨日は、近現代の精神生活に染み込んでしまい、実際には今日でもわずかな人にしか正しい仕方では気づかれていない、あの誤謬についてお話ししました。この誤謬を指摘することで、私たちが既に霊学的な考察のとても重要な点に立っていることを、この議論から感じとっていただけたかと思います。人類の
GA194『大天使ミカエル』補遺より-第六講の結びの言葉(1919年11月30日)
親愛なる皆さん、この点(どんな小さな衝動でも真剣かつ大きく受け止めること)において、私たちは日常の出来事をも例示しなければなりません。日常の出来事を例示することなしには、何事につけても徹底することができません。日常の出来事に光を当てないと、物事を軽く捉えてしまうでしょう。過去数週間のうちに、次のように言われた覚書がどれほどの頻度で現われたかを、一度でも考えてみてください。「人智学的指向の新しい世
もっとみるGA194『大天使ミカエル』補遺より-第四講のイントロダクション(1919年11月28日)
講義の前に、簡単なイントロダクションをしなければなりません。特に現時点で起きている様々な出来事について、とにかくある程度皆さんにお知らせしなければならないからです。私たちの友人であるシュタイン博士が書いた記事を少し読んでみたいと思います。彼は、『社会有機体の三分節』の最新号で、『新しい親和性』と題した小さな記事を書きました。
「去る11月11日、シュトゥットガルトのジーグルハウスで、司教座聖堂
シュタイナー『バガヴァッド・ギーターの隠れたる基盤』第6講の読解試案
シュタイナーの『バガヴァッド・ギーターの隠れたる基盤』原文と『ギーター』本文(私はサンスクリット語を読めないので、東方出版から出ている藤田晃氏の原典訳を参照しました)を照らし合わせていたところ、シュタイナーの第六講について注釈が必要に思われたので書いておきたいと思います。
まずは9-4・9-5にてクリシュナがアルジュナに向かって話しかけているところを取り上げます。
9-4:形態が非顕現である私
メイベル・コリンズ”Light on the Path”より――神智学(人智学)の根本原則から本来読み取れることの検証
ソクラテス:「してみると、『汝自身を識れ』ということが、克己節制するということ(σωφροσuνη:思慮の健全さ[=正気]を保つこと)だとすれば、これらの人たちは、その技術だけに頼っている限り、誰も思慮の健全な者はいないということになる。」
アルキビアデス:「ええ、そうなると思います。」
(プラトン『アルキビアデスⅠ』)
本ノートは、GA266a「超感覚的な認識を独自に得るための諸条件」第1講に
「汝自身を識れ」——社会的共同生活の理想と反社会的なものの批判(シュタイナー『歴史徴候学』第四講より)
バプテスマのヨハネが現れ、ユダヤの荒野で教を宣べて言った、『回心せよ、天の王国は近づいた』。これは預言者イザヤによってこう言われている人である。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ』」。(マタイ2章3章1-3節)
本ノートは、高橋先生がご自身の『歴史徴候学』の訳のあとがきで本講義の肝だと仰っている極めて重要な箇所について取り上げたく思います(p.112~113)
「歴史徴候学」の方法について-高橋訳の誤解と書き換えの問題を吟味する-
高橋訳の『歴史徴候学』は、原文を予め読んでおくと、いちいちどの辺が書き換えられていて違和感があるのかがすぐに分かります。そもそもはじめから、しかもシュタイナーが「歴史徴候学」の名を冠した学問の方法に関する言及が書き換えられており、それが歴史の「徴候学」を称する意味が分からなくなっています。ここではそのことについて触れておきたいと思います。お持ちの方はp.8です。お持ちの方は前後文をご覧ください。
ルドルフ・シュタイナーGA3『真理と学問』6章の読み方③
それでは汝には、「一切の知が汝そのものについての知以外の何ものでもないということ」、「汝の意識が決して汝そのものを超え出ていくものではないということ」、そして「汝が対象(客観)の意識だと思っているものが、汝が汝の思考の内的法則に従って感覚と同時に必然的に成就する「対象(客観)の定立」の意識以外の何ものでもないということ」が分かっているわけだね?(フィヒテ『人間の使命(拡張)』私訳)
読解ポイント