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はじめての下北沢、劇場、本屋、カレー

 初めての下北沢だった。都民ではない高校生二人にとって、下北沢は映画や小説に出てくるファンタジーの世界と同じような場所である。だから、改札を出てまず、ルリ子ちゃんと顔を合わせて二人で感動した。午前11時、開演までにはまだ時間があったからまず、カレーを食べに行く。カレー屋までは5分もかからなかったのに、歩いているだけで楽しいね、とちょっと大人ぶったセリフを言ってみた。

 食券を買い、こじんまりとした店内に入っていく。お店のオリジナルTシャツを着た店員さんが三人。私は野菜カレー、ルリ子ちゃんはチキンカレーを選んだ。中高一貫校に通う私たちだが、中学時代はあまり話したことがなかった。高校一年生になり、高校からの入学者がたくさん混じったクラスで、たまたま隣の席だったのがルリ子ちゃんで、本や詩や映画、の話で意気投合し、勇気を出して「舞台って興味ある…?」と誘ってみたのだ。カレーを待ちながら盛り上がったのは、いじめられっ子が主人公の物語が嫌いという話だ。もうすでに、二人だけでしか盛り上がれない内容の会話ができることがうれしかった。

カレー八月の野菜カレー


 おしゃべりしている間にカレーが到着。美しいく輝くそれを前に、静かにミニ撮影会を開催して、スプーンを手に取る。野菜とごはんとルー、完ぺきな配分でスプーンいっぱいにすくいあげ、口いっぱいにほおばる。そろって両ほほに手を添える少女二人。「んんん~」とおいしいのイントネーションで叫びながら、もうひとすくい、もうひとすくい、とどんどん口の中に運んでいく。私はカメラをとりだして、満面に幸せの表情を広げたルリ子ちゃんを写真に撮って、満足してまた食べ進める。野菜の甘さと辛いけどしつこくなくてスープカレーに近いくらいさらさらしたルーの相性がいい。もはや真剣なまなざしをカレーにそそぎながら黙々と食べる。その間に、店員さんが、一人、ちょっと散歩行ってくるわぁと言ってふらりと店先に立った。もう一人の店員さんと、雨降ってる?降ってないよおみたいなやりとりをしていた。なぜかはうまく説明できないけど、その光景を見て、下北沢だなと思った。ここに住みたくなる。なぜかわからないけれど。そんな周りの会話に耳を傾けたり、ちょっとおしゃべりしながら食べた。ルリ子ちゃんのほうがほんのちょっとだけカレーの減りが早かった。ルリ子ちゃんは最後の二口くらいをお皿に残したまま、にこにこお話してくれていた。優しい人だな、素敵な人だな、と思った。二人で同じタイミングで食べ終えた。

 それから、ちょっとだけ散歩をした。真っ白で細長い二階建てのおしゃれな複合施設みたいな場所に行った。雑貨屋さん、カフェ、お茶屋さん、香水屋さん、落ち着いていて素敵なお店が並んでいた。写真撮影が禁止と表記があって、ここにこないと体感できないのっていいな、それから、あとから思い返したらはっきりとした構造は思い出せなくて、夢の記憶みたいになるのかな、と思いながら、お店からお店へと歩いて行った。開閉必須な扉が少ないその建物は、風通しの良い昔ながらの日本式の建物を思わせた。

 本多劇場に向かいながら、古着屋さんものぞいた。でも、普段古着を着ない私にとって未知の世界すぎてよくわからなかった。その結果、入っては出て、を繰り返し、買うことはなかった。古着の街に来て一着も買わなかったのか、と数日後小さな後悔をするとは知らずに。

 本多劇場に到着する。チケットを大切に握って入場する。劇場内は想像より小さくて、その小ささになんだかどきどきした。二人で緊張するね、と声を潜めて話して、独特な空気感に身を投げる。大きな劇場で演劇を見たことは何度かあったのだが、これほど舞台と客席の距離が近く感じられるのは初めてだった。

「かもめよ、そこから銀座は見えるか」
とても難しい内容だった。行った日に書いたメモを眺めながらこれを書いているのだが、解釈と事実が混在しているし、今感想を書くと、新鮮な気持ち、ではないし、時間をおいて考えた結果、でもなくなっていしまいそう。今はまだ自分が納得できるところに帰着できてないから、もう少し時間をおいてから改めて文字にしようかな、と思う。でも、今確実に言えるのは、俳優、スタッフ、劇場、観客の空気感、そしてそれらの一体感が素晴らしく、生の良さを存分に体感し、違う世界に行くことできた、ということだ。また、本多劇場に行きたい。岩松さんの舞台観に行きたいな。

 私たちはなんだかわからないけど、すごい世界に来てしまったという高揚感に背中を押されて、とりあえずカフェに行こう、話はそこからだ、となった。カフェまでの道のり、会話の6割は「え~」と「あ~」だったと思う。言葉を失うほどの感動とはこのことである。カフェについて、いつもの1割程度に機能が制限された脳みそでドーナツを注文する。ヌテラとスモア、それから家族へのお土産用にカシスとココナッツを選んだ。ルリ子ちゃんは、私ほんとにいっぱい食べるけど、大丈夫?と前置きしてから、三つ頼んでいて、なんだかうれしくなった。窓際の席でドリンクが来るのも待てずに、考察会をスタートさせる。それぞれが思いったことを話し、あ!たしかに!となり、でも、いや、こうじゃないか?、あ!たしかに!これを超高速で繰り返した。文字通り繰り返していて、結論は導けない。それでも、ドーナツ四つが運ばれてくるのに気が付かないほど夢中になってしゃべっていた。

洞洞のドーナツ

アイスコーヒーを飲んで、やっと現実感と冷静さを取り戻す。今度は、私が最後の二口をお皿に残したままにした。二人同じタイミングで最後の大きな一口をほおばって、ああ、おいしかったね、と言って目をきらきらさせた。

 甘い余韻に浸りながら、前々から行くことを決めていた、本屋B&Bに行った。リトルプレスと大手の出版本が一つの棚に混在しているの面白かった。私は表紙にひかれ、パラパラとめくって、これは私の近くに置いておきたい!と思った詩集を一冊買った。たくさんの素敵な本が所狭しと並んでいた。それらを見つめるルリ子ちゃんの横顔も、わくわくと大会を見つめる冒険家みたいだった。本好きには何時間いても時間が足りない最高な場所だろう。誰かに本をプレゼントするときもいいな、と思った。またじっくり行きたい。名残惜しい気持ちを胸に抱きながら本屋を後にすると、日記や月日、の文字を見つけ、そこに向かった。私は最近、日記に興味があったから、その文字を目にした瞬間、考えるよりも先に、足先がそちらを向いていた。店内にはコーヒーの香りがいっぱいに広がっていて、狭いながらもたくさんの人の日記が置いてあった。私はなるべく多くの人に触れたいという気持ちで、日記を手に取っていった。どの日常も輝いていて、まだ日記という文学に触れて間もない私にはどれを購入するかという決断ができなかった。でも、私は日記を読むのも書くのも好きなんだ、という確信は得られた。私が書いている日記というものも、立派な文学のジャンルなのだな、と感じて、自分まで肯定された気分になった。

 空の色はちょっと濃くなっていて、時刻を見ると、もう帰る時間だった。家に着くまで気づかなかったのだけれど、私はそのときひどい靴擦れをしていた。その痛みを感じない程度に足取りは軽く、小走りで下北沢駅に向かい、駅前のアクセサリー屋さんによって私は自分へのお土産にあじさいの髪飾り、お世話になっている先輩へのプレゼント、コスモスのイヤリングを購入した。入念に花言葉を調べ、乙女の純真、これを後輩からプレゼントするなんてかわいいじゃないか、と自画自賛して、それをちゃっかりルリ子ちゃんに話して、えへへ、と笑ってもらい、電車に乗った。電車内はじめじめしていたけど、そんなことが吹き飛ぶくらい夢中になってありとあらゆることを会話を楽しんだ。また行こうね、ばいばい、と手を振ってルリ子ちゃんは電車を降りた。

 時間的、距離的に見れば、女子高生が休日東京に遊びに行った、に過ぎない。でも、これは、大きな旅だったんだ。だって、違う世界に行ったんだから。カバンの中から、旅の証拠のようにきらきら光るあじさいの髪飾りを取りだす。明日、学校につけていくの楽しみだな、とわくわくしながら、電車に揺られていた。

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