見出し画像

ボルネオ島先住民の焼畑農耕 ー共に手伝い、共に食し、共に祝う文化

小さなボルネオ島の民芸品店を営んでおりますラヤンラヤンです。新型コロナウイルス感染拡大の影響で2年以上ボルネオ島に行くことができていませんが、たまにこの地に暮らす「ドゥスン」と呼ばれる先住民の村で暮らしています。今回は、村で行われている焼畑農耕について紹介させていただきます。

稲作は村の主要な経済活動

赤道直下に位置する世界で3番目に大きな島、ボルネオ島。この島にはマレーシア領、ブルネイダルサラーム国、インドネシア領(インドネシアではカリマンタン島と呼ばれているそうです)があります。私が暮らしていたのはこの島の最北に位置するマレーシア領の「サバ(Sabah)」というところです。

生物多様性の宝庫、ボルネオ島

サバには、約40の主なエスニックグループと200以上のサブエスニックがいると言われています。私が滞在していた村は「タガハス・ドゥスン(Tagahas Dusun)」と呼ばれる民の暮らす村です。町から離れた山奥にあるこの村では、米や野菜を育て、狩猟を行い自給自足の生活を営んでいます。

「稲作」ーそれは村の方にとって一年の中でもっとも重要な経済活動です。タガハス・ドゥスン人は、昔から山に住み焼畑農耕をしていた民と言われています。集落を形成する前までは、一つの山に5年から8年間住み、毎年焼畑農耕に従事し、開墾する焼畑が家から遠くなってきたら、また新たに家を建てる。焼畑に応じて住まいを移動していました。

伐採~火入れ、冷却

サバでは地域によって焼畑稲作の年間スケジュールは異なりますが、私が暮らしていた村では毎年6月頃から焼畑の準備が始まります。伐採、火入れ、播種を経て早くて1月から、2月に米を収穫をします。

①伐採・クリーニング
モグラッ(mongurak)

6月、村人は焼畑の準備に入ります。今年焼畑を行う土地を定め、まずは伐採と草刈りを行います。写真①は伐採後の草木が枯れた農地です。焼畑の農地をきれいにすることをタガハスの言葉で「モグラッ(mongurak)」といいます。毎年、家族構成に応じて焼畑に従事できる面積のみ開墾しており、広範囲には開墾していません。家庭内における労働力が小さくても、町で働いている家族が稲作の時期には村に手伝いに帰ってくることが多くみられます。

②火入れ
モヌトゥッ(monutud)

伐採後、5日から1週間、またそれ以上の期間農地を乾燥させます。乾燥したら「火入れ」を行います。写真②は焼却の様子を遠くから撮影したものです。まだ実際に現場で火入れの様子は見たことがありません。火入れは現地の言葉で「モヌトゥッ(monutud)」といいます。

土壌や木々に湿気や水分があるので燃え広がらず、20分~30分で消火するそうです。煙は朝まで続いています。

③冷却

焼却後は、農地を1ヶ月~2ヶ月ほど「冷却」させます。雑草が生えてくるまで待つそうです。

播種~収穫

8月頃になると、いよいよ「播種」です。木の棒の先端を尖らせ、焼畑にぐりっぐりっと穴をあけ、そこに種籾を蒔いていきます。焼畑に播種することを現地の言葉でマガソッ(mangasok)といいます。

④棒で穴をあけ、播種
マガソッ(mangasok)

先にぐりっと穴をあける担当。そしてその後ろから、サッサッと穴に種籾を蒔いていく担当。この2つのグループに分かれます。男性が穴をあけ、女性が蒔くことが多いですが、村では男女の役割が決まっているわけではなく、男性も播種をし、女性が穴をあけることもあります。ちなみに私はいつも播種担当です。丘陵を上り下り繰り返しながら重い木の棒で穴をあけていくのは、焼畑歴数年の私にはまだ大変な作業です。

⑤播種
モヌンポス(monumpos)

穴に播種する動作のことを現地の言葉でモヌンポス(monumpos)といいます。お母さんたちは種籾を手のひらいっぱいに掴み、サッ…サッ…とリズミカルに種を穴に入れています。常に腰を曲げた作業。傾斜がある焼畑では上り下りしながら、腰を曲げ斜めに立っている状態なので、私は翌日必ず筋肉痛になります。

播種の日は、家族だけではなく村中から人が集まり大勢で行います。多い時では、50人ほど集まった播種に参加したことがあります。他の家の焼畑の播種を手伝ったら、その家族は自分の播種の日に手伝いにきてくれます。そういう助け合いの文化が今でも続いています。

⑥播種後、共に食事

播種が終わると、参加した皆で食事を楽しみます。お礼に料理やお酒を振舞ったり、参加した人がお弁当に持ち寄ったものを皆で食べます。その賑わいは夜まで続いたり、翌日、数日まで続いていることもあります。一年の一仕事を終えたという感じでしょうか。

⑦収穫
モゴモッ(mongomot)

年が明けるとついに「収穫」です!早い時には1月、また2月には収穫を行っています。この時期は、山が黄金色に輝きとても美しいです。播種もそうですが、収穫も手作業で行います。ドゥスン語で「リンガマン(linggaman)」と呼ばれる刃の付いた器具を握り、穂先だけを刈り取ります。

⑧かごを背負い収穫作業
写真:友人より提供

「サギン(saging)」と呼ばれるラタン製のかごや、「バスン(basung)」と呼ばれるサゴヤシを用いたかご、「ワキッド(wakid)」と呼ばれる竹製のかご、これらのドゥスン人の伝統的なかごを背負い、稲を刈ってはかごに入れていきます。斜面を上り下り…またしても私は筋肉痛です。

焼畑2年目~休閑

⑨タピオカ芋

焼畑で稲作をし、2年目はタピオカ芋やトウモロコシ、唐辛子、ショウガ、落花生などを栽培します。タピオカ芋は村でよく食べられる食物の一つで、お米と一緒に混ぜて炊いたり、醸造酒にしたりしています。

➉休閑

村では、2年目も稲作をしたり野菜を栽培したりしますが、その後は長期休閑し、土地を回復させます。村では約10年は休閑させるそうです。そのため村の景色の所々に焼畑をした跡や再生されつつある森林の景色が見られます。

収穫祭

⑪2021年収穫祭女王
ウンドゥッ ンガダウ(Unduk Ngadau)
Maya 2021 State Unduk Ngadau MAY 31, 2021, Borneo Post

5月になると先住民カダザン・ドゥスンのお祭り「カアマタン(kaamatan)」と呼ばれる収穫祭が行われます。マレーシアの中でもサバ州は毎年5月30日と31日は祝日です。村やコミュニティ、各区ごとに収穫祭のイベントを催し賑わっています。伝統衣装に身を包み、伝統楽器を奏で伝統舞踊に興じます。

サバ州の各地区では「ウンドゥッ ンガダウ(Unduk Ngadau)」と呼ばれる収穫祭女王を決めるイベントが行れます。各地区の代表の中からさらにファイナリストを選び、5月31日にサバ州の収穫祭女王を決めます。写真⑪は、2021年の収穫祭女王です。

5月の今。サバ州では各地で収穫祭のイベントが行われとても賑わっています。収穫の喜びを共にお祝いし、そして、また6月から村では焼畑の準備に入ります。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?