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エッセイ

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冷螺のエッセイ集です。
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記事一覧

[エッセイ]学校中退と神聖かまってちゃん

[エッセイ]学校中退と神聖かまってちゃん

「友達なんていらない死ね」そんなタイトルの曲があることを知ったあの日の衝撃を今でも忘れられない。それは自転車を漕ぐ必要があった頃、つまりはまだ中学生の頃の出来事だった。

耳に流れ込んでくる声や掻き乱れる音。イヤホンをとっても頭にこびりついて鳴り止まない残響。まるで頭をショットガンでぶち抜かれたかの様な感覚が全身に広がる。

「神聖かまってちゃん」彼らがもたらす音楽はテレビで流れる曲と教科書に載っ

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[エッセイ]行かなかった修学旅行の思い出

 中学三年、修学旅行の季節がやってきた。行き先は「京都、奈良」。ラーメンズのコントでも出てきた定番でベターな並びだ。クラス中は騒然としながらも少しずつ一人一人が動いている。目まぐるしいスピードで人々の言葉が飛び交う。早々に班決めを終え、当日の計画を立てるグループもあればまだ班のメンバーが決まらずモジモジしている人もいる。いわゆる陰キャ組、陽キャ組にクラスが二分化されてしまっている状態だった。

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夢であえるよ、妄想代理人。

(※浅い自分語りの文章です)

私の近くには親族を含めないとした場合、主に二種類の人がいる。

「夢でしかあえない人」と「夢ですらあえない人」のニ種類。

または「通りかかってくれる人」と「通りすぎてしまった人」とも言える。まぁ、どうでもいいんだよ。そんなの。どーでもね……。

だって今では大半が後者に分類されるのでそもそも区分する必要性すらない。みんな行ってしまったのだ。遥か彼方に。もう、すれ違

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[エッセイ] 絶望に絶望したから今日に至ったのではない……

[エッセイ] 絶望に絶望したから今日に至ったのではない……

(※本文は壁に話している言葉です。特に意味はありません。あと、エッセイというか独白に近いです)

壁よ。壁。私はどうしてこうなのか。

すっかり絶望に絶望してしまった。

序盤の道程を教えるから教えてくれ。

/

「冷螺さんは個性的だね」と小学生の頃から言われてきた。特に先生からそう言われた。

「冷螺さんは優しい人だね」と小学生の頃から言われてきた。特にクラスメイトからそう言われた。

そして

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日記 中学の頃に書いた作文を読み返す

日記 中学の頃に書いた作文を読み返す

・暇だったのでふと、机の引き出しをあさってみたら汚れた原稿用紙を見つけた。

「言いたかったこと」

そうタイトルがつけられている何枚かの200字詰めの束。

最初は心当たりがなかったけど、赤いペンで書かれた文字を見て思い出した。あぁ・・・これ中学の時に書いたやつだ。

近いようで遠い。遠いようで近い。あの時の夏休み。もう帰ってこない退屈を持て余し、エアコンの効いた部屋で「人類のせいで外に出られな

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日記 早く退屈から救いにきてくれよ、グリッドマン。

日記 早く退屈から救いにきてくれよ、グリッドマン。

(最初に断っておくと全然グリッドマンの話しません。面白くない自分語りばっかしてます)

・「幸せってなんだろう?」

そんな言葉が黒板いっぱいのデカ文字で書かれた授業を小学生の頃、受けた覚えがある。

正直、他と同じつまんない授業だった。でも、こうして時間が経った今でも覚えているということはそれなりに意味があった時間なのかもなとも思う。

確か、その授業では締めくくりとして「幸せと思う瞬間について

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日記 幼稚な舌のまま育ってしまった

日記 幼稚な舌のまま育ってしまった

・私の舌はずっと幼稚な味覚をしている。

例えば「好きな食べ物は?」と聞かれてパッと思いつくの物は「ハンバーグ、エビフライ、カレーライス………。」

と言った具合に伊武雅刀がキレそうなラインナップをしているし、飲み物に至っても今だにオレンジジュースを愛飲している。

そう。私は小学校もしくは下手したら幼稚園時代の頃から好きな物が一環している永久クソガキ舌を持った人間なのだ。

この舌は飽きるという

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[エッセイ]総合順位が三年連続3位だった中学の体育祭の思い出

[エッセイ]総合順位が三年連続3位だった中学の体育祭の思い出

小学生の頃からずっと体育の授業が苦手だった。他の人達は「全部の授業の中で体育が一番好き!」という子が多かったけど私にとっては断トツで一番苦手な科目だった。それは単純に自分が運動音痴であるからという理由が大きいけどそれ以上に授業を進めるにあたって一対一のコミュニケーションが発生するという事の方が嫌だった。

当時から現在に至るまでずっと地続きで私は絶望的にコミュニケーションが苦手だ。その為ぼっちエピ

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[エッセイ]光のオタクと闇のオタク

[エッセイ]光のオタクと闇のオタク

高校生の頃の話だ。私はとにかくコミュニケーション能力が絶望的でそこまで人と話す事を避けて避けてを繰り返し過ごしてきた。

そのため、高校生活で一人も心置きなく話せる友達を作れずただ毎日授業が終わるのを待つだけの退屈な日常を送っていた。飼い殺されているという訳ではないが本当にただ何の意味も見いだせないまま毎日の時間を淡々と浪費していた。

そんな日々の中でずっとある一人の人の事を注目していた。その人

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[エッセイ]イマジナリーフレンドが欲しかった

全ての出来事に置いて危惧ばかりしている。これから想定される起こるであろう事、その全てを悪い方向にしか考えていない。その為人間関係、特にコミュニケーションの面が壊滅的だった。誰と話していても大抵の場合「相手は今『つまらない』と思っているんだ…」という思考が止まず取り巻いて絶えず会話の出口を探している。

そんな考え方のせいで誰かの為に何かをするという事がとても出来やしなかった。行動に移すメリットデメ

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[エッセイ]人生で一番𠮟られた年と先生

私には人生で一番𠮟られた年がある。それは忘れもしない小学5年生の時だ。小学生の内とかならまだしも一生のうちで一番と豪語できる程𠮟られた時はどう考えても何か異常事態があった証拠である。

では、何故そんなに𠮟られたのだろうか?そんなにその時の私は悪ガキだったのかというとそんな事はない。自分で言うのも変だが素行は普通だった。

悪い事をしたりなんて事は一切せずにルールを遵守して目立った事もせずに

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授業の作文で尊敬する人として「大槻ケンヂ」について語った話

授業の作文で尊敬する人として「大槻ケンヂ」について語った話

小学生の頃、国語の課題として尊敬している人を原稿用紙に記してスピーチとして読み上げる授業があった。私はひたすらに書く人に悩んだ。誰がいい?つか、誰もいなくね?当時の私は結構世間を恨んでいたので、胸を張って尊敬してると言える人がいなかった。ただ一人を抜いては。

私が書こうと決めた人物は「大槻ケンヂ」だった。

世間を恨んでいた当時の私にとって筋肉少女帯はヒーローだったし唯一の理解者であるような気が

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