拝啓、19歳のわたしへ。の巻。
こんばんは。わたしは、15歳くらいから、生きるって何だろう。
人は何処から来て、何処へ行くのか。
お母さんと、お父さんが、セックスして、産まれてきたけど、人は何の為に生きているのか?みたいなことをよく考えて本を読むことが好きでした。
わたしは、18歳の秋に、家族の不幸や、美術のことや、進路のことで、悩んで、18歳の時には、精神科医さんにお世話になってきました。
その時には、もう、自分が、統合失調症になっていて、高校の終わりごろは、不登校でした。
本と、絵を描くことが、友だちでした。
実家の自分の部屋からほぼ出ない生活でした。
高校は、はじめの頃は楽しかったです。
高校の時、美術高校だったので、美術大学受験のための、、、。
早朝デッサン。
放課後デッサン。
課題。
デッサンコンクールなどなど、ありました。
美術の、先生たち。大変お世話になりましたが、非常勤講師の先生たちも、高校の頃は、厳しく感じて。
大人っていい加減だなと思い、オッサンの言うことなんか、信じるか。とかも思う時がありました。
初めて、精神科の閉鎖病院に入院した時から、半年くらいで、主人と知り合っていたので、
あの頃には、自信がない自分で、でも、このまま、精神科の入退院ばかりの生活ではなく、主人のアパートに、ある日、突然ですが、来て。
はじめのうちだけ、居候。
母には、バスに乗って、駅までも行くことが出来ないと母は当時、思っていたそうで、そして、2、3日、彼氏のアパートで過ごしたら、泣いて帰ってくると思っていたそうですが、わたしが、半年経っても、もっと、時が経過しても、泣き声とかで、電話もせずに、実家にも帰らなかったので、心配していたそうですが。
父は、好き勝手にさせておいた方が良いと思っていたそうですが。
結婚の籍を入れた日に、母に短い連絡をして。
父は、三人姉妹で、1番、わたしを可愛がっていたので、その日の夕ご飯の時には、母に、、、。
あんなに小さくて、可愛がっていたわたしが、嫁に行ったのか。と、母の前で、涙したそうです。
わたしは、友人だけではなく、いろいろあって、いろいろな死別も経験したけど、両親は、今でも落ち着いて立ち止まって考えても、毒親ですが、あれこれ、年老いて、病院に行っているから、優しい言葉を使い、苦労が多い両親なので、もう、過去の残酷なことは、わたしが忘れて。
両親と距離をとって、優しくしたいです。
19歳のわたしへ!
あの頃、命をかけて、思い切って、人生を自分から変えれたこと。
スゴいよ。
主人のアパートに住んでから、ほんとうにいろいろあって、苦しみもあったけど、わたしは、なんとか乗り越えてこれた。
これから先にある人生も、いろいろあってでも、きっと、乗り越えられるよ。
明日は明日の風が吹くで、気楽に肩の力を抜いて、今夜はゆっくりお休みね!
あれだけ、苦しみ、自殺未遂を繰り返してきたけど、、、、。
わたしは、今は、自殺は、したくないよ。
わたしの人生を開拓して、より気持ちいい人生を自分で、切り開くよ。
生きるって大変なことが多いけど、なんとか乗り越えてこれたし、なんとかなるよ。
ではでは。
またね。