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「狭苦しい鼻の先がつかえるような所」に行ってみたおはなし。

私の出身は島根県松江市。少年時代、県庁所在地を覚えたときに、自身の住むまちと同様、県名と県庁所在地名が異なるまちに一種の親近感を覚えたりした。

その中の一つ、「松山」は「松」という漢字まで一緒ときた。そんなまちに情を持たずにいられるはずもない。加えて生粋の野球少年でもあった私。「野球王国」という響きの心地よさも深く心に刻まれている。松山商業の奇跡のバックホームなんて何度見たことか…

というわけで本記事の趣旨を。先日、初めて松山を訪れたのでその際の記録と感想を綴っていければと思います。

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まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている。
その列島のなかの一つの島が四国であり、四国は、讃岐、阿波、土佐、伊予にわかれている。伊予の首邑は松山。
城は、松山城という。城下の人口は士族をふくめて三万。その市街の中央に釜を伏せたような丘があり、丘は赤松でおおわれ、その赤松の樹間がくれに高さ十丈の石垣が天にのび、さらに瀬戸内の天を背景に三層の天守閣がすわっている。古来、この城は四国最大の城とされたが、あたりの風景が優美なために、石垣も櫓も、そのように厳くはみえない。
司馬遼太郎『坂の上の雲 (1)』
文春文庫

余談は続く… 司馬遼太郎の『坂の上の雲』、冒頭部分である。

NHKの特別ドラマがきっかけで、少年時代にこの作品に出会った私。「まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている。」に続いて、

小さなといえば、明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。
テレビドラマ『坂の上の雲』冒頭ナレーション

がくるのがしっくりくる。というのは置いておいて。

ともかく松山城をこれほどまでに美しく描写した文章は他にないのではなかろうか。「釜を伏せたような丘」「赤松の樹間がくれ」「石垣が天にのび」「天守閣がすわっている」などなど。

小難しい表現ではなく、美しい感性で捉えた情景を書き綴ったとも言うべきか。惚れ惚れする…

愛媛美術館から眺める松山城

因みに『坂の上の雲』と同様に松山と観光資源として活用されている漱石の『坊っちゃん』において、松山は以下のように語られる。

一時間あるくと見物する町もないような狭い都に住んで、外に何にも芸がないから、天麩羅事件を日露戦争のように触れちらかすんだろう。憐れな奴等だ。小供の時から、こんなに教育されるから、いやにひねっこびた、植木鉢の楓みたような小人が出来るんだ。(中略)生徒が何を云ったって、やろうと思った事をやめるようなおれではないが、何でこんな狭苦しい鼻の先がつかえるような所へ来たのかと思うと情なくなった。
夏目漱石『坊っちゃん 三』

これもこれで凄く好きなんだよな… どこか気持ちが良い。こんな具合の『坊っちゃん』を観光資源としている松山というまちもまた一興。

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そんなわけで先ずは松山城へ。

乾門より

先程の写真でも分かる通り、標高132mと割と低めの山にそびえたつこのお城。しかしながら麓からは全体像が見えないこともあり、いざ本丸の高さまで登ってみるとその大きさに驚く。

兵庫県 龍野城跡
兵庫県 丹波篠山城跡

先月足を運んだ篠山城と龍野城という二つのお城跡と比べ、現存する部分も多く、規模の面からも「これぞ城郭」というような威圧感を覚えた、という個人的な印象。

それにしても配置が面白い。地形、地質に合わせてといったところか。歪な形に広がる本丸。「これでええんか?」といった感じの二の丸との接続具合。その上で石垣から導線、隠門に至るまでが戦略的に造られている点など。

一見手が加えられてなさそうに見える城山の自然も含めて、見ていて非常に興味深かった。お城の全域にわたって耳にすることが出来る鳥の囀りが心地よい。春だからかな?

手前が小天守、奥が大天守

時間の関係もあって、お城の内部をお目にかかることが出来なかったのが悔やまれる。いずれまた訪れるだろう。その時のお楽しみだ。

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続いて向かったのは愛媛美術館。ここでは企画展「HELLO! えひめの企業アートコレクション ひろがる美のかたち」を鑑賞。

県内の企業や団体、個人によって所蔵されている作品を展示したこの企画展。日本画、西洋画は勿論、古代ギリシャ・ローマのアンフォラから抽象絵画、ポップアート、写真に至るまでバラエティに富んだ作品たちが展示されていた。

代表的なものをいくつか。

三輪田米三《福禄寿》愛媛美術館
下村為山 《海浜図》セキ美術館
加山又造《凝》セキ美術館
横山大観《初夏竹林》セキ美術館
狩野章信《能絵》大和屋本店
夏目漱石《文質彬々》NTT西日本四国支社
藤田嗣治《少女像》大一ガス株式会社
田中坦三《風景 (一本松 我家の庭) 》株式会社サンメディカル
田中坦三《ストーン・マーク》株式会社サンメディカル
大橋翠石《獅子図》伊予銀行
三浦保《夜明けの夢》ミウラート・ヴィレッジ
三輪田俊助《[門多ロク像]》門多漁網株式会社
椿貞雄《少女像》株式会社テレビ愛媛
白岡順《ミラノ、イタリア 1972年12月23日》藤井株式会社

これらの他にも奈良美智やウォーホール、小磯やタピエスなど魅力ある作品が沢山。本企画展を経て、貴重な作品が私の想像以上に様々な所に散らばっているということを身をもって実感。いろいろ鑑賞出来たということで、幸せな気持ちで退館。

美術館の次は博物館。もうan続かない…

坂の上の雲ミュージアム

冒頭でも挙げた『坂の上の雲』をテーマとしたこのミュージアム。人物、時代背景、松山という土地など様々な面から、作品に関する資料を展示している。また安藤忠雄氏が設計した建物の空間もまた注目すべきポイント。

松山市公式観光webサイトより

この画像のスロープなんて特に。

登っていく坂の上の青い天に、もし一朶の白い雲が輝いているとすれば、それのみを見つめて、坂を登ってゆくであろう。
司馬遼太郎『坂の上の雲 (あとがき)』
文春文庫

まさにこの文章を表していると考えてもいいだろう。

本節の本題でもある展示に関して。日露戦争や明治期の日本、松山の様子を中心とした資料・史料など、興味深いもので溢れている。当時の日本という国の活気や勢いであったりを十二分に感ずることが出来た。印象に残ったのは教育関連かな…

昭和43年4月22日から昭和47年8月4日にかけて産経新聞夕刊に掲載された全1296回の記事。壮観。

個人的に音の出るモールス信号機を実際に打てたのが感慨深かったです。

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ミュージアムの次は隣接する萬翠荘へ。

建物自体は様々な意匠が凝らされており、見応えは抜群。内装もTHE 大正ロマンといった具合で、細部へのこだわりを見るのが楽しい。しかしながら展示品はちょびっとだけ寂しかったかな、というのが正直な感想…

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最後は宿泊先のある道後温泉街を散策。

改修工事中であった…

古き良き、且つ現代の若者世代が好きそうなお店も点在するアーケード街。煌びやかながらも一歩通りの外に出ると暗闇。歪。何はともあれ知らない通りを歩くのは愉快だ。

新鮮さ、想像或いは文学的描写とのギャップ、発見。やはり自らの両足で歩くことは大事だと、そんなことを再確認できた。

連日の長距離移動で疲れ果てていことに加え、暗くなっていたこともあり、宝厳寺や湯築城跡には足を運べず。松山城と同じく次の機会においておくくらいの気持ちでいよう。

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松山。素晴らしいまちでした。また逢う日まで。

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