“大丈夫”以外で答えられた日
大丈夫?って問いかけの返答、難しくない?派閥、くるねです。
大丈夫?って聞かれたとき、なんて答えましょうか?
長らくこの問いかけに対しての適切な回答を見つけ出せなかった。というか、“大丈夫です”って言うしかないと思っていた。
そんなわたしも、ようやく今の職場で“大丈夫です”以外の返答ができた、そんなハナシ。
そもそも大丈夫?って聞かれたときは大丈夫なことが多いのよ(ひねくれててすいません)
休んだ日は大丈夫でないから休んでいて、休み明けは大丈夫になったから仕事に行っているわけなのだ。
文字通りその日は“大丈夫”なのだ。
まあ、それでも仕事をしているうちに体調が悪くなってしまうことを想定して、そのときに大丈夫だろうか?との気づかいだとは思っている。
ただ、ココ最近のわたしの体調不良と、大丈夫?の問いかけは相性が悪い。
大概休むときは、うつっぽいのだ。事故に巻き込まれないかなぁとか消えてしまいたいとか、希死念慮にまみれている。翌日仕事に行けたとしてもスッキリ治るわけでもない。
ただ、その日は仕事に行けるだけなのだ。
うつっぽいのはそうそう好転しないし、消えてしまいたいのは変わらない。
それでもまともに答えていたら、職場の空気にますます耐えられない。大丈夫しかなかったのだ。
でも、やっと言えるようになった。
“大丈夫です”以外の返答を。
体調不良の理由はなんだろう?そこがわかれば、相手にも伝わるかもしれない。
前の職場では、なにが自分にとって負担なのかわからなかったし、探そうともしなかった。
どうせ仕事なんてみんな辛いものだし、そんな泣き言いったってしょうがないと思ってた。
適応障害になって、休んでからは自分の苦手が少しずつわかってきた。また、仕事以外の時間も頭を働かせ疲弊していることもわかった。
そして、今の職場になってから“大丈夫?”と聞かれた今、ようやく追い込まれていることを伝えられた。
もう少し頑張ってみるけど、限界かもしれない。
やっとこれが言えたのだ。
言うまでは葛藤はもちろんあった。仕事を断るようなことをいまして、今後同じようなことが起こったとき、また断るようになったら職場に迷惑をかけてしまうのでは?だったり。悩み始めたらきりがなかった。
でもわたし自身もここで無理して仕事を辞めることになったら、また立ち上がるまでに時間がかかるのは目に見えている。それだけは避けたかった。
もう結構無理があるかもしれない。
そう答えられることでいいことがたくさんあった。
まず、自分の中で逃げ道ができた。
自分の中でもその仕事に応えられなければ、外してもらえばいいと励ましてみるものの、あくまで自分で励ましているに過ぎずに絶対的な安心感にはなかなかならなかった。
この安心感のおかげで、もうすこしがんばれそうだ。本当に無理ならまた相談すればいい。
大丈夫?に答えられるくらい、自分を知っておくといいかもしれない。
では、またね。
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