綴草子〜千夜一夜小噺集〜 精霊に魅入られし者
-あらすじ-
誰かの人生を垣間見ることができる物語集『綴草子〜千夜一夜物語集〜』。
ページを開くと誰かの不思議な話が顔を出す。時には、恋の話を。時には、ちょっと感動する小噺を。
これは、現実か夢か、はたまた幻想か。どこかで、聞いたことがあるかもしれないし、ないかもしれない。
さぁ、ページをめくってみてください。誰かの人生を覗き見てみましょう。
-総文字数-
約37305字
#創作大賞2023 #ファンタジー小説部門
-本文-
彼女は今日も、橋の上から桜の木を見ていた。
ある春の日のことだった。一組のカップルが夕暮れ時に下校と称したデートをしていた。
そのカップルは、まだ高校生だった。ブレザーに身を包んだ二人は、仲睦まじく談笑をしながら、歩いていた。
いつもの湖の上にかかる橋を渡りながら、二人は笑顔を浮かべていた。
それは、橋の中盤に差し掛かった頃に突然訪れた。
ざあっという、音と共に桜吹雪が身を包んだ。
「え、何?」
彼女は、目を閉じる。しかし、彼にはその一瞬に名前を呼ばれたことに気付いた。
「僕を呼んでる……」
「え?」
彼は、呼び声の聞こえた方向へ目を向けた。
そこには盛大に、それでいて儚げに咲き誇る桜の木があった。
湖を挟んでいるのにはっきりと見えるその桜は、どこか妖しげにも見えた。
思わず、立ちすくむ二人。
今度は、二人の頭にはっきりを彼を呼ぶ声が響いた。
「翔太……」
二人は、その場から動けなくなった。
「え? 今の何?」
「僕を……呼んでる……」
彼の瞳は、霞がかったように焦点を捉えていなかった。
「翔太……」
呼ばれるままに、桜の元へ向かおうと橋から身を乗り出す彼。
「翔太!」
彼を慌てて止める彼女。
「あれ? 僕は……」
「翔太! 行っちゃダメ!」
「でも、僕を呼んでる……」
「翔太……あと一日……」
「あと一日……?」
「明日……来な……不幸……る前に……」
途切れ途切れに響くその声と共に、桜が舞い上がった。
「翔太!」
「……あれ? 僕は一体……」
「翔太! 行っちゃダメ!」
彼女は彼の瞳を見つめながら、彼を呼び戻そうと声をかける。
彼は、彼女の言葉で正気に戻ったようだった。
「何だったんだろうね?」
「もう、あそこを通って帰るのはやめよう?」
「うん……」
しかし、彼の瞳の焦点が戻っていないことに、彼女は気付いていなかった。
翌日、二人はいつも通りに家を出て、いつも通りに一日を過ごした。
一つ違ったのは、彼女だけ昨日のことを気にしつつも、彼との下校時刻を待っていたことだった。
夕暮れ時になった。二人で、いつもの道を歩く。彼女は昨日のことが気がかりで仕方なかった。
二人は、あえて湖を避けて帰ろうと遠回りをして帰宅しようとしていた。しかし、気付くと何故か橋の上に来てしまっていた。
「翔太……」
聞こえる呼び声。彼女が小さな悲鳴を上げる。
「翔太! 早くここから離れよう!」
彼女が、彼の手を引こうとした。しかし、彼は動かない。
「ごめんね……」
それが、彼を見た最後の笑顔であり、哀しげな顔であった。その目は、とても澄んでいた。
桜吹雪が、彼を包む。
「やだ! 翔太! 翔太! 行っちゃダメ! 翔太!」
彼の姿はそこにはなかった。
気付くと彼は、あの桜の木の根元にいた。
「ごめんね……舞……」
彼は体を動かそうとしたが、動かなかった。
彼は、あの桜の木の根の一部になっていたのだった。
彼は目線だけでも動かそうと試みたが、それも叶わなかった。
「あぁ……僕は完全に木の一部になってしまったのか……。ごめんね、舞。君は僕を忘れられないかもしれない。でも、どうか幸せになっておくれ。僕の分も今を生きるんだ」
届かぬ言葉を、必死に想う。彼女には届かないと気付いていても、想わずにはいられなかった。あまりにも突然だったから。
しかし、不幸であろう二人の間を、奇跡は見逃さなかった。
「翔太……翔太……忘れないよ。みんなが翔太のことを忘れても、私は翔太を忘れないよ。だから、だから、戻ってきてよ……っ!」
「あぁ……舞が泣いている。泣かないで。僕なら大丈夫だから……」
彼は、もう一度想いを伝えようとした。が、奇跡に二度目はなかった。
「あぁ……もう駄目なのか……。舞……舞……。大好きだ。舞……」
彼の思考は、静かに幕を閉じた。
橋の上では、彼女の泣き声だけが、静かに響いていた。
月日が経ったある日のことだった。一人の女子高生が橋を渡っていた。
女子高生の視界に、一人の女性が入ってきた。
彼女が入学してから、下校時には必ずと言って良い程、その女性がいた。
ほぼ毎日、桜の木の方を向いてただ立っていた。最初は、ただの散歩だと思っていた。
しかしある日、彼女はその女性が涙を流していることに気付いた。
「どうかしたんですか?」
その女性は、自分が話しかけられているとは気付かず、ただただ静かに泣いていた。
女性の瞳は、枯れることを知らない泉のようだった。
「あの……どうしたんですか?」
女子高生は、もう一度声をかける。今度は、女性が振り向いた。
女性は泉に水を湛えたまま、言葉を紡いだ。
「あら、ごめんなさい。私のことだったのね」
「いえ。こっちこそ、急に話しかけてごめんなさい」
素直に謝る女子高生に、女性は静かに微笑んだ。
「あの桜の元には、私の大切な人がいるの……」
「そうなんですか?」
「これも何かの縁かしらね……。良かったら、聞いてくれるかしら? 不思議で哀しい、私と彼の話を……」
気付くと、女子高生は瞳を涙で濡らしていた。二人の哀しみを思うと、涙を流さずにはいられなかった。
「ごめんなさいね。こんな話を突然してしまって」
女性は、彼女にハンカチを手渡した。ハンカチは、たちまち彼女の涙で色を変えていく。
「なんだか急に、あなたに話したくなったの。どうしてかしらねぇ……。本当にごめんなさいね」
女性は、哀しげに微笑んだ。
「いえ……いえ……」
涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、彼女は精一杯の返事をした。
あの女性のその後を、彼女は知らない。しかし彼女は、今パソコンに向かっている。
彼女はパソコンで文章を綴っていた。
『彼女は今日も、橋の上から桜の木を見ていた。』
-次は、第二話 ボーダーライン-
第二話『ボーダーライン』
https://note.com/kuromayu_819/n/nebd346362bb2
第三話『酸性雨』
https://note.com/kuromayu_819/n/nc6599defdbf2
第四話『前掛け』
https://note.com/kuromayu_819/n/n53e7fd4543ab
第五話『月と星』
https://note.com/kuromayu_819/n/nf8e513666204
第六話『レモンティー』
https://note.com/kuromayu_819/n/nbfdedf40d0ac
第七話『自由への招待』
https://note.com/kuromayu_819/n/n6f792fecb1bf
第八話『二人だけの千夜一夜物語』
https://note.com/kuromayu_819/n/n43e1babbace6
第九話『コーヒーの苦味』
https://note.com/kuromayu_819/n/neabeba873233
第十話『優しさの積雪』
https://note.com/kuromayu_819/n/n02acb264b071
第十一話『これは夢のような現実の話』
https://note.com/kuromayu_819/n/nfc0a3a126ac4
第十二話『遙かなる約束』
https://note.com/kuromayu_819/n/n33a125461b7b
第十三話『ターニングポイント』
https://note.com/kuromayu_819/n/n826749028f9c
第十四話『海辺の不思議』
https://note.com/kuromayu_819/n/n4272f6445cd3
第十五話『2つの夢』
https://note.com/kuromayu_819/n/n6b92642763b1
第十六話『世界の空』
https://note.com/kuromayu_819/n/n75d2fa52a4be