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綴草子〜千夜一夜小噺集〜 第七話 自由への招待


#創作大賞2023

 僕は夢を見た。不思議な夢だった。

 彼女たちの頭には芽が出ていた。聞いた話によると、初潮を迎えた証らしい。
 彼女たちの頭には花が咲いていた。聞いた話によると、初体験を迎えた証らしい。
 彼女たちは、気付いている。その植物の存在に。でも、違和感はないのだと言う。気付いたら生えているらしい。
 僕は、彼女たちを眺めている。まだ何も出ていない者。芽の出た者。花が咲いた者。彼女たちは、階段を上るように、段階を経て花を開かせていく。そう、大人になるのだ。

 ある場所で、僕は一人の少女に出会った。まだあどけない顔の彼女は、既に花開いていた。彼女は、まだあどけないのに、無気力な表情を浮かべていた。
 彼女は、焦点の合わない瞳を持ちながら、いつも何処かを眺めていた。籠の鳥のように。いつも彼女は、窓から外を眺めていた。彼女は、何かを眺めていた。
 何かを眺める彼女を、僕は眺めていた。

 僕は、彼女を眺めていた。彼女は、何処かを眺めながら歌っていた。頭に咲いた花は風に揺らめいていた。真っ赤なその花は、色白な首筋とは対照的だった。真っ赤なルージュでも塗ったような赤なのに、唇は薄いピンクだった。
 彼女の口からは聴いたことがないメロディーが紡がれていた。どこか寂しげなのに、明るいメロディーだった。彼女は歌がとても上手だった。

 僕は、彼女について調べてみることにした。隣のバーに入って聞いてみることにした。
 常連の男の話によると、塔はこの街の領主の持ち物だった。
 常連は、顔を赤らめながら少女の名前を教えてくれた。

「あの子はリリと言う隣町の子でな。歌のうまさを絶賛した領主が、親に大金をはたいて買い取ったんだよ。親は、病気で寝たきりの爺さんと婆さんを抱えてて、売るしかなかったんだろうな。あの子はあの子で、領主に喰われちまったんだろうなぁ……あんな真っ赤な花咲かせてんだから」

 常連は、ジョッキをグイッと傾けた。酒と一緒に溜まった感情を呑み込んだようだった。彼女と同じように、遠い目をしていた。

「あの子は、ほんと良い子なんだよ」

 バーのママは、寂しげな目をした。

「彼女を知っているのですか?」
「あの子は、ここでよく歌ってくれてたんだよ」
「あの子は、ここでは人気者でねぇ。あんなに良い子なのに……。いくらお金に困ってたとはいえ、両親も酷なことするもんだ」

 バーのママは、悲しそうに遠い目をした。僕は、その視線の先にいるであろう彼女を見ようとした。彼女は見えなかった。彼女の面影は、闇世の中に溶け込んでいた。

「ねぇリリ。君に僕は見えるかい? この地上から伸ばした手じゃ、君のいる所には届かないね。ねえ、リリ。この伸ばした手は、君を連れ出すことは叶わないね」

 僕は、バーを出て彼女がいる塔を見上げた。彼女はまた空を見上げて歌っていた。

「今あるものだけでも大切にしよう」

 微かに聴こえたリリックには、哀しみが詰まっているようだった。僕は、思わず叫んだ。

「ねえリリ! 君に僕は見えるかい? 僕は、君を連れ出したい! 僕が君を迎えに行くまで待っていてくれるかい?」

 彼女は、小さく頷いた。初めて、ほんの少し微笑んだ気がした。彼女がこちらを見ることはなかった。

 僕は、彼女を手に入れるために、領主の館へ向かった。
 屋敷は、思ったよりこじんまりとしていた。

「領主に会わせてくれ。僕は、リリを手に入れたい」

 門番は、かけらも取り合ってくれなかった。野鼠でも迷い込んだだけのように、軽くあしらわれてしまった。

「頼む! 僕は、どうしても彼女を塔から自由にしてあげたいんだ!」

 門番は、鼻で笑った。

「あの子はな、領主のお手付きなんだよ。だから諦めな」
「だからこそ、彼女を助けたいんだ!」
「小僧、良いことを教えてやるよ。そんなに手に入れたいなら、塔にでもよじ登って、勝手に食っちまえば良い」

 門番は、下品な顔でニヤニヤ笑う。吐き気がした。

「僕は、そんなつもりで彼女を外に出したいんじゃない!」

 僕は激怒した。僕は、彼女を手に入れたいんじゃない。彼女を自由にしたいのだ。ただ、バーで楽しそうに歌う彼女が見たいだけなのに。

「僕は、ただ彼女を自由にしたいだけなんです!」
「やめときな。領主は、基本人を入れないんだよ」
「そうさ。彼女に手をつけるヤツが出ないようにしてるんじゃないか?」
「それなのに夫人ときたら、甲斐甲斐しく世話してるんだから不思議だよなー」

 彼等は、不思議そうに笑う。こんな汚いことしか考えない彼等と話していても、拉致があかない。

「あなた達の話は良いから、領主に会わせてください!」

 僕は懇願した。絶望の縁に立たされている気分だった。だめだ。このままじゃ、彼女はいつまでも自由になれない。

 彼女を自由にしたい。ただそれだけだ。
 彼女を笑顔にしたい。ただそれだけだ。
 彼女に自由に歌ってほしい。ただそれだけだ。

 門番はなかなか取り合ってくれない。彼女が、空の彼方にいるように感じた。彼女は、きっと何処かを見ながら歌っているのだろう。

「もう良い」

 突然、空気が変わった。門番は、慌てて頭を下げた。

「君は、彼女を自由にしたいと言ったね。一先ず話を聞こう。入りたまえ」

 門番は、不思議そうに僕と家のあるじを見る。僕は、深呼吸をして、彼に続いて屋敷に入った。

「さて、話を聞こうか。君はなぜ彼女は自由でないと思うのかね?」
「彼女が塔に閉じ込められているなんて、あまりにもかわいそうです! なぜ彼女を自由にしないのですか⁉︎ 彼女は自由であるべきだ! あの声は、もっと自由であるべきだ!」
「ほう……では、今は自由ではないと? 彼女の元の生活を聞いても、それが言えるかね?」

 彼女の元の生活と聞いて、僕はどきりとした。彼女の元の生活を、僕は知らない。彼女の生活とは一体どういうことなのか?
 僕は、一先ず領主の話を聞いてみることにした。

「どういうことなんです? 彼女はあなたに買われるまでは、自由だったと聞きました。なぜ、今の方が自由なのですか⁉︎」

 僕の言葉にしばらく無言だった領主は、おもむろに口を開いた。

 彼女の家は、没落した貴族だった。なんでも、悪い商人に騙されたらしい。人の良い両親は、根こそぎ財産を奪われたらしい。その奪う中に、彼女も含まれていたそうだ。見かねた領主は、彼女を高額で買い取ることを条件に、商人に大金を払ったとのことだった。
 しかし、商人はずる賢かった。領主が彼女を引き取る直前に、彼女に手を出したのだ。彼女は、よほど恐ろしかったのだろう。それから、人形のように殆ど話さなくなってしまったとのことだった。
 領主は、彼女に嫌な思いをさせまいと、あえて男から離れられるようにあのような生活をさせているのだと言う。

「僕がその話を信じられると思いますか?」
「信じろと言う方が無理だろう。だから、私は何も言わずにいるのだ。彼女のためにも」
「でも、僕は、彼女が悲しそうな顔をしているのを見ました! 彼女はあそこにいることを悲しんでいる!」
「たしかに。私達では、彼女を本当の意味で自由にはしてあげられないだろう。しかし、リリは妻に笑顔を向けてくれるのだよ。いつも妻と編み物をしたりして、妻は自分の子どものように可愛がっている。それが妻が世話をし続ける理由だ。彼女を召使い達に任せない理由でもある。リリは、年老いた私達の唯一の娘だ」
「でも、だとしたら、どうして彼女を助けようとしたのですか⁉︎ あなた方にはそこまでする理由はないでしょう⁉︎」
「彼女の祖父は、私の親友なのだ。私たちは幼馴染みで、学校も何をするも一緒だった。ただ、それだけだ。親友の孫を助けないなんて、人ではないと思わんかね?」

 彼は、悲しそうな顔をした。僕は、浅はかだったのかもしれない。

「君に彼女が救えるかね?」

 彼は、まっすぐ僕を見る。僕に彼女を自由にできないかもしれない。だけれど、僕ができる限りのことをしたい。

「わかりません。でも、僕にできうるすべてのことをします。僕は、彼女と約束したのです。彼女を自由にすると」

 僕は、まっすぐ彼を見つめる。僕は、彼女を自由にするのだ。彼女を笑顔をするのだ。

「そうか……。ならば、良かろう。明日の午後、私達と共に彼女に会うと良い。ただし、彼女が少しでも怯える様子を見せれば、私は君に容赦をしない」
「わかりました」

 僕は領主の屋敷に泊まることとなった。明日、ようやく彼女を自由にできるのだ。彼女を迎えに行けるのだ。
 眠れない夜を押し込むように、僕は布団を被った。慣れないふかふかした感触を、僕はきっと忘れないだろう。

 翌日、寝不足の頭で天井を見た。夢は見なかった。天井に空は見えなかったが、空が描かれていた。絵の天使が歌っていた。
 彼女は、僕を見てどんな顔をするのだろう。昨日の話を聞いて、期待と不安の入り混じった感情に支配される。感情を沈めるように深呼吸をして、ゆっくりベッドから出る。
 僕は、何かを変えようと窓を開けてみた。鳥がさえずる。外は明るい。日の光は温かく僕を照らした。

「起きているかな?」

 ノックと共に、領主の声が聞こえてきた。領主に返事をして、扉を開ける。領主は、既に準備を整えていた。

「朝食はどうするかね? 良ければ、一緒に頂かないかね?」
「はい、頂きます」
「わかった。では、下で待っている。ゆっくりで良いから、用意ができたら下りてきたまえ」

 返事をして、一旦領主を見送る。僕は、もう一度深呼吸をして着替えた。
 僕は、ゆっくりと席についた。テーブルには、予想外にシンプルな朝食が並ぶ。想像していた食事でなくてホッとした。しかし、味はわからなかった。

「よく眠れたかね?」
「わかりませんが、夢は見なかったので、熟睡したのではないでしょうか?」

 淡々と紡がれる言葉達。僕も領主も口数が少なく、静かに朝食の時間は終わりを迎えた。

「では、向かおうか」
「はい」

 領主は、夫人と共に馬車に乗り込んだ。

「君も乗りなさい」
「はい。失礼します」

 馬車の乗り心地は、思ったほど良くはなかった。ただ、あれほど遠く感じた彼女の所に、あっという間に辿り着いた。この塔の中に彼女がいる。それだけで、胸が高鳴った。

「良いな? 決してリリに無理強いをしてはならぬ。リリの気持ちが最優先だ。わかっておるな?」
「はい」

 ガチャリと鍵が重たく開いた。ギギギと重い音を立てて扉を開く。塔の中は、思ったより広く、一階と二階だけロフトのようになっており、二階からは螺旋階段が空に向かって伸びていた。
 もう少しだ。もう少しで、彼女は自由だ。胸が脈打つ。一段一段踏み締めて上る。

 脈打つ鼓動に耳を傾けていると、あっという間に彼女の部屋に辿り着いた。領主がノックをする。

「リリ、私だ。そして、今日は君に客人がいる。男の客人だ。彼は、君に何もしないと言っている。一緒に入っても大丈夫かね? もちろん、無理強いはしない」

 すぐに返事はなく、静かに時間が過ぎた。その間は、永遠のようにも感じた。
 その沈黙は、扉の開きと共に破られた。ゆっくりと開いた扉の向こうに、彼女がいた。彼女は、相変わらず頭に真っ赤な花を咲かせていた。

「リリ、無理はしていないかい?」

 領主は、心配そうに声をかける。彼女は、コクリと頷いた。そして、まっすぐ僕を見つめた。僕もまた、彼女をまっすぐ見つめた。
 どれくらいしただろうか。彼女は、まっすぐ僕を見つめながら、こう言った。

「ありがとう。そして、あなたもこれで自由よ」

 彼女の言葉を聞いた瞬間、僕は白い天井を見ていた。そばで母親が泣いていた。

「良かった! おかえり! よく帰ってきてくれたね……。お母さんがわかるかい? お前は、通り魔に刺されて、生死の境を彷徨ってたんだよ……。あぁ、良かった……。本当に良かった……」

 僕は、彼女の自由にしてあげられたのだろうか? 彼女は、本当に自由になったのだろうか? 窓を見ると、一輪の赤い花が、花瓶に生けられていた。

-次は、第八話 二人だけの千夜一夜物語-
https://note.com/kuromayu_819/n/n43e1babbace6

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