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綴草子〜千夜一夜小噺集〜 第十話 優しさの積雪


#創作大賞2023

 雪の降るある夜のことだった。私は、暖炉のそばで読書を満喫していた。

〝こんこん〟

 窓の方から音がした。見ると、リスがこちらを覗き込んでいる。
 僕は、窓をそっと開けて、その子を招き入れた。

「入れていただき、ありがとうございます」

 リスは、丁寧にお辞儀をした。外はかなり寒かったのだろう。その子は震えていた。

「いや、構わないよ。寒かったろう? 暖炉のそばで暖まると良い」
「感謝します」

 その子は、ぺこりとお辞儀をすると暖炉に駆け寄った。

「温かい……」

 その子は、木の実をそばに置いて、暖炉のそばでじっと震えが止まるのを待っているようだった。
 木の実は、その小さな体で運ぶには大きすぎるような気がした。しかし、先程の様子から、そこまで大変ではないのだろうと判断した。

「君は、一体どうしてここに来たんだい?」

 僕は、その子に問いかけた。
 その子は、「そうだ、思い出した!」といった表情を浮かべ、

「お礼に来たんです」

 と、言った。しかし、僕にはお礼をされる覚えがなかった。
 忘れているのだろうかと思い起こしてみるものの、海馬の奥にもないようだった。

「はて……。思い当たる節がないのだが……」

 その子は、少し悲しそうに顔を伏せて話し始めた。

「本当は、奥様にお礼をしたかったんです」

 あぁ、彼女の方だったか。私は、彼女の笑顔を思い出す。彼女が逝ってしまってからどれくらい経っただろう。

「奥様は、けがをした僕を助けてくれました。本当は、もっと早くお礼に来たかったのですが……。奥様はどちらにいらっしゃいますか?」

 僕は、彼女がもうこの世にいないことを説明した。癌にかかっていたこと、亡くなったのは半年前であること、彼女が最後に笑って逝ったことを。

「そうでしたか……。お悔み申し上げます。僕は、彼女のおかげでこのように元気になりました。なかなか、良い木の実が見つからず、来るのが今になってしまいました」

 その子は、悲しそうに顔を伏せた。

「そうだ、せっかくのご縁だし、君と彼女との思い出を聞かせてくれないかい?」

 僕は、その子に問いかけた。

「そうですね。奥様との出会いは、こちらの素敵な庭園でした」

 その子は、彼女を懐かしそうに思い出しながら話し始めた。

「奥様は、僕がけがをしている時も木の実を運べるよう袋を作ってくださいました。でも、よく考えると、僕には口の中に詰め込む袋があるんです。でも、奥様の優しさが嬉しくって、ずっとその袋を使っていました」

 その子は、本当に嬉しそうにしながら、その袋を私に見せてくれた。綺麗なその袋には、彼女の優しさが詰まっているような気がした。
 僕は、「彼女はこの子の心の中にも生きているんだな」と思った。親近感を抱いた。

「そうか……。彼女らしい話を聞かせてくれてありがとう」
「いえ……。とてもとても優しい方でした。そして、あなたも」
「僕がかい?」

 思わぬ言葉に、僕は少し驚いた。彼女は確かに優しいが、僕は自分では優しいと思ったことなどない。

「はい。突然やって来た僕を入れてくれただけでなく、暖炉で暖まるように案内してくださいました。十分優しいお方です」

 その子は、にっこり笑って僕を見た。なぜだか、どこか彼女に似ているような気がした。

「さて、そろそろ僕はお暇致します。今宵は素敵な時間をありがとうございました。良ければ、奥様にお渡しする予定だった木の実を受け取っていただけませんか?」

 その子は、おずおずと木の実を僕の方へ寄せた。もちろん、断る理由はなかった。

「こちらこそ、ありがとう。しかし、今はまだ雪も降っている。良ければ私の話し相手として、もうしばらく私と一緒にいてくれないかい?」

 その子は、大きく目を見開くと、大粒の涙を零し始めた。僕は、慌ててタオルでその子の涙をそっと拭った。
 彼女を亡くして半年。これも何かの縁だ。いや、寂しがっている僕を見て、連れて来てくれたのかもしれない。
 そうだ、この子と一緒に住むのはどうだろうか? 僕の頭の中でそんな考えが浮かんだ。

「もし君さえ良ければ、僕と一緒に住んでくれないかな? ちょうど、彼女が逝ってしまって寂しかったんだ」
「良いんですか? 僕はただのリスですよ?」
「君だから良いんだよ」

 僕は微笑んだ。その子は、さらに大粒の涙を流しながら、

「ありがとうございます。よろしくお願いします」

と言った。その小さな体は、今度は違う意味で震えていた。

***

 あれから、どれくらいの日数が経っただろう。僕はすっかり年を取り、ベッドから起き上がることすら難しくなっていた。

「ご主人、今日も良い天気ですよ。僕が奥様と出会った日のような優しい日差しです」
「そうか……」
「ご主人……」

 僕たちは気付いていた。もうすぐ別れが来ることを。この子には、二度目の辛い経験になってしまう。
 僕は、この子の今後を案じた。すっかり今の生活に慣れてしまったこの子は、これから先苦労するのではないかと。

「僕は大丈夫です。だから、安心してください」

 その子は、まるで僕のことがわかるかのように、言葉を発した。

「そうか……。今までありがとう。君との日々は本当に楽しいものだった」
「ご主人……。まだまだこれからですよ! だから、もっとお話しましょう? 季節のお話や僕の生きてきた世界のお話、それに……」

 その子は、出会った時のように、小さな体を震わせながら僕に何か話そうとしていた。
 しかし、涙の方が先に出てきてしまうようで、言葉が出てこないらしい。こんなに可愛い子を置いて行くことが、心残りで悔やまれる。
 僕は、その子の涙を指でそっと拭ってやりながら、ゆっくり話しかけた。

「君との時間は、本当にあっという間だった。楽しくて楽しくて、彼女との別れの辛さが薄れる程だった。本当にありがとう」

 僕の言葉に、この子は泣きながら言葉を返す。

「こちらこそっ……。こちらこそです……っ。本当に楽しい時間でした。奥様に恩返しができたみたいで……。それにご主人のお話はとっても楽しくて。本当にありがとうございました……っ!」

 ふと、この子の後ろを見ると、見覚えのあるシルエットがあった。彼女だった。

「あなた。今までお疲れさまでした。もう大丈夫ですよ。一緒に行きましょう」

 彼女は、最後に見た時と同じ笑顔で僕を見た。僕の視線で、この子も彼女に気付いたようだ。

「奥様! お久しぶりです! あの時助けていただいたリスです! あの時はありがとうございました!」
「こちらこそ、この人のそばにいてくれてありがとうね。元気そうで良かったわ」

 彼女は、にっこりと笑みを浮かべながら、この子に話しかける。この子も、お礼が言えて本望だろう。

「リスさん、ごめんなさいね。私は、この人ともう一度一緒に行かなくちゃいけないの。そろそろ、お別れなの」
「はい……。そうですよね。でも、ご主人がもう一度奥様と一緒になれて良かったです」

 この子は、泣きながらもにっこり笑った。
 急に体が軽くなるのを感じた。そろそろ時間が来たらしい。僕は、ゆっくり起き上がった。

「お元気で」

 その子は、大粒の涙を流しながら、にっこりと笑った。

「ありがとう。君もお元気で」

 彼女は、何も言わなかった。にこにこと私たちを見ていた。

「さて、行こうか」
「えぇ」

 僕たちは笑顔のあの子を残し、自分の家を後にした。

「ご主人、奥様。どうか来世ではお元気で」

-次は、第十一話 これは夢のような現実の話-
https://note.com/kuromayu_819/n/nfc0a3a126ac4


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