ドーピングは禁止するべきか? 問いかける法哲学への議論応答②
ドーピングは禁止するべきか? 問いかける法哲学への議論応答①の続きとなります。
まずはこの記事を読んでいただきありがとうございます。
では前回の続きです。
結論
誤解をされないように、先に私の私見の結論を書いておきます、私はアンチドーピングです。国家が主体的に禁止にしていって問題ないと思います。
ただし、その根拠については、少なくとも本の中の著者の論理とは異なります。以下はその内容です。
前回、著者はドーピングの禁止について、国家が主体となって働きかけることは、中立性原理における、文化を保存しより良い選択肢を確保するための下地作りのような行為であり、卓越主義には当たらない。
よって禁止にすることは問題がないという結論に至り、
またその延長線上として、仮に逆にドーピングを前提としたスポーツ競技が興ったとしても、少なくともそれを規制をすることは問題がある。
※ドーピング禁止の文化を保存する行為と、ドーピングを奨励する文化を規制しないことは共存しうる。
という論理を展開されました。
この論理は本当に正しいのでしょうか?
私は少し違う考えを持っています。
国家がドーピング禁止に主体的になるのに、文化の保存という根拠をもとに行うというのは、本質的な実態ではなく、かつそのように正当化されることそのものに危険が伴う、と思っております。
国家によるドーピング禁止は中立性原理には反する
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