康子の父が昔から仕えている土師氏は、箆津国を治める有力な豪族である。父はいつも土師氏現当主である倫明のことを、じつに立派な名君であると褒め称えていた。康子は実…
「あなたって、まじめなのね」 エイコはそう言って背を向けた。彼女はいつも風のようだ。そうやって翻す姿が、特にそんなイメージを私に抱かせる。こうしたところが特に…
不安に呑まれそうになる時が一番辛い。 不安しか見えなくなって、それ以外の何もかもが完全に閉ざされたように思えてしまう。 私の理想の現実はどこにもなくて、ただ過ぎ去…
あなたが与えてくれたものは数えきれなくて、でもたったひとつ、私が一番欲しいものは他の人にあげるのだと言う。 なにもかも与えてくれるのに、それだけはくれないと言う…
わたしを構成する粒子が無意識のうちに離れて、あなたのところへ向かっていく。 わたしを中心としていたはずのそれらが、いつのまにかあなたの一部になるように寄り添って…
例えようもないほど美しく、限りなく広がっていて、独りきりで、全ての境界が曖昧で気が狂いそうな世界に戻りたかった。 わたしはずっとその世界に魅せられて、そこで生き…
私はこの絶望的な経験をするためにここに来たのだ。 夜の電車の中で、流れていく光を見ながら思う。 私がわたしに戻るために、ずっと探していた感情の破片。 ここにあっ…
今すぐ死ねたらいいのに。 一緒にいる間、実はそんなことを思っていた。 なんて、小説だったらかっこいいけど。 本当は何も考えてなかった。 世界は満ち足りて完璧で、何…
倉野
2020年9月12日 11:10
康子の父が昔から仕えている土師氏は、箆津国を治める有力な豪族である。父はいつも土師氏現当主である倫明のことを、じつに立派な名君であると褒め称えていた。康子は実際に倫明に会ったことはなく、父からそうした話を聞くばかりである。実際倫明がどういった人物なのか知らないが、少なくともこの辺りで倫明のことを悪く言う者はなかった。倫明の父、嘉明もすぐれた人物であったが、倫明はさらに人々に慕われているようだった
2020年9月10日 21:52
「あなたって、まじめなのね」 エイコはそう言って背を向けた。彼女はいつも風のようだ。そうやって翻す姿が、特にそんなイメージを私に抱かせる。こうしたところが特に魔性の魅力というやつなのかな、と思う。私にはない、エイコだけが持つ抗いがたい魅力。クラスの男子はみんな、エイコに一目置いている。年齢関係なく、エイコに夢中な者も大勢いる。「そうかな、それはエイコだからそう思うんじゃない」 背を向けたエ
2020年9月8日 23:31
不安に呑まれそうになる時が一番辛い。不安しか見えなくなって、それ以外の何もかもが完全に閉ざされたように思えてしまう。私の理想の現実はどこにもなくて、ただ過ぎ去った記憶の中にしか存在しない。あの色彩豊かな一瞬が、本当に、永遠に夢になる現実。心が縮み上がる。腕から力が抜けて、指先が震える。そんな怖い想像なんてしたくないと思うのに、時折思考に入ってくる。一緒にいる未来。リアルに思い描くならそ
2020年9月7日 21:42
あなたが与えてくれたものは数えきれなくて、でもたったひとつ、私が一番欲しいものは他の人にあげるのだと言う。なにもかも与えてくれるのに、それだけはくれないと言う。だったら私はあなたが要らない。なにもかもなかったみたいに、最初からなかったみたいに。でも、そんなのは哀しすぎる。そう思うから、少し離れてただ愛していたいと肩肘を張る。あなたがくれた数々のものは、わたしの中で息づいて、愛に育っ
2020年9月6日 19:09
わたしを構成する粒子が無意識のうちに離れて、あなたのところへ向かっていく。わたしを中心としていたはずのそれらが、いつのまにかあなたの一部になるように寄り添って。あなたの気持ちが染み込むように分かってしまうのは、同じようにあなたの一部が、わたしのところに来ているから?同じように、わたしの気持ちもあなたに染み込んでいるのかな。言葉にならなくても。何だったんだろうね。わたしたちは。不
2020年9月6日 00:22
例えようもないほど美しく、限りなく広がっていて、独りきりで、全ての境界が曖昧で気が狂いそうな世界に戻りたかった。わたしはずっとその世界に魅せられて、そこで生きていくのだと思っていて、でもそこでの居場所を見つけられなくて、現実の居場所を探していた。求めても求めても、与えられない答え。その代わりに与えられる哀しみと失望。憎しみや哀しみや孤独、そんな「負」と言われる感情は、わたしを大海に押
2020年9月5日 14:44
私はこの絶望的な経験をするためにここに来たのだ。夜の電車の中で、流れていく光を見ながら思う。私がわたしに戻るために、ずっと探していた感情の破片。ここにあった。心の底から愛しいと思えることと、必要とされない現実と。あなたはわたしを残して去っていく。なんの約束もなく、なんの後悔もなく、ただ「楽しかった」という言葉だけで。同じくらい痛みを抱えていたとして、わたしと分かち合う気はな
2020年9月5日 00:20
今すぐ死ねたらいいのに。一緒にいる間、実はそんなことを思っていた。なんて、小説だったらかっこいいけど。本当は何も考えてなかった。世界は満ち足りて完璧で、何も言うことが思いつかなかった。終わるなんてことも思いつかなかった。あなたがいかに傲慢で冷たくて、哀しいほど寂しい人であっても、私はあなたと居られるだけで全てが完成されて安全な世界にいた。現実的じゃないほど美しく胸を打つ夜景