倉野

気負わず書いていきます。日記・エッセイ・小説・考察など。気になったことを、気が向いた時…

倉野

気負わず書いていきます。日記・エッセイ・小説・考察など。気になったことを、気が向いた時に。 ※ お焚き上げシリーズは過去に書いたもの

最近の記事

〈小説〉 秋桜の風

 康子の父が昔から仕えている土師氏は、箆津国を治める有力な豪族である。父はいつも土師氏現当主である倫明のことを、じつに立派な名君であると褒め称えていた。康子は実際に倫明に会ったことはなく、父からそうした話を聞くばかりである。実際倫明がどういった人物なのか知らないが、少なくともこの辺りで倫明のことを悪く言う者はなかった。倫明の父、嘉明もすぐれた人物であったが、倫明はさらに人々に慕われているようだった。 「倫明様の奥方のお輿入れも、もうすぐねえ」  どこか落胆した様子で呟いた母

    • 〈小説〉水底から見上げる

      「あなたって、まじめなのね」  エイコはそう言って背を向けた。彼女はいつも風のようだ。そうやって翻す姿が、特にそんなイメージを私に抱かせる。こうしたところが特に魔性の魅力というやつなのかな、と思う。私にはない、エイコだけが持つ抗いがたい魅力。クラスの男子はみんな、エイコに一目置いている。年齢関係なく、エイコに夢中な者も大勢いる。 「そうかな、それはエイコだからそう思うんじゃない」  背を向けたエイコにそう言葉を投げる。思ったよりきつい響きになってしまった。一瞬焦りのような気

      • 春の雪

        不安に呑まれそうになる時が一番辛い。 不安しか見えなくなって、それ以外の何もかもが完全に閉ざされたように思えてしまう。 私の理想の現実はどこにもなくて、ただ過ぎ去った記憶の中にしか存在しない。 あの色彩豊かな一瞬が、本当に、永遠に夢になる現実。 心が縮み上がる。腕から力が抜けて、指先が震える。 そんな怖い想像なんてしたくないと思うのに、時折思考に入ってくる。 一緒にいる未来。リアルに思い描くならそっちの方がいいのに、どうせ叶わないと思って諦めてるのかな? あなたが選んだ相手

        • いつかの未来

          あなたが与えてくれたものは数えきれなくて、でもたったひとつ、私が一番欲しいものは他の人にあげるのだと言う。 なにもかも与えてくれるのに、それだけはくれないと言う。 だったら私はあなたが要らない。 なにもかもなかったみたいに、最初からなかったみたいに。 でも、そんなのは哀しすぎる。 そう思うから、少し離れてただ愛していたいと肩肘を張る。 あなたがくれた数々のものは、わたしの中で息づいて、愛に育っていく。 わたしは傲慢で鈍感で、あなたになにもあげられなかったのかな? あな

        〈小説〉 秋桜の風

          観測されない量子体

          わたしを構成する粒子が無意識のうちに離れて、あなたのところへ向かっていく。 わたしを中心としていたはずのそれらが、いつのまにかあなたの一部になるように寄り添って。 あなたの気持ちが染み込むように分かってしまうのは、同じようにあなたの一部が、わたしのところに来ているから? 同じように、わたしの気持ちもあなたに染み込んでいるのかな。 言葉にならなくても。 何だったんだろうね。わたしたちは。 不思議で、言い表わせる言葉が見つからない。 あなたと一緒にいた奇跡の日々。 あっ

          観測されない量子体

          愛とはどんなものかしら

          例えようもないほど美しく、限りなく広がっていて、独りきりで、全ての境界が曖昧で気が狂いそうな世界に戻りたかった。 わたしはずっとその世界に魅せられて、そこで生きていくのだと思っていて、でもそこでの居場所を見つけられなくて、現実の居場所を探していた。 求めても求めても、与えられない答え。 その代わりに与えられる哀しみと失望。 憎しみや哀しみや孤独、そんな「負」と言われる感情は、わたしを大海に押し流す。 足の下は底知れず、確かな筈の地面は爪先にさえ触れない。 それなのに。

          愛とはどんなものかしら

          夜のなか

          私はこの絶望的な経験をするためにここに来たのだ。 夜の電車の中で、流れていく光を見ながら思う。 私がわたしに戻るために、ずっと探していた感情の破片。 ここにあった。心の底から愛しいと思えることと、必要とされない現実と。 あなたはわたしを残して去っていく。 なんの約束もなく、なんの後悔もなく、ただ「楽しかった」という言葉だけで。 同じくらい痛みを抱えていたとして、わたしと分かち合う気はないのだとまた絶望して。 それでも素晴らしい時間だった。 全ての喜びと、痛みと

          夜のなか

          二軸の現実

          今すぐ死ねたらいいのに。 一緒にいる間、実はそんなことを思っていた。 なんて、小説だったらかっこいいけど。 本当は何も考えてなかった。 世界は満ち足りて完璧で、何も言うことが思いつかなかった。 終わるなんてことも思いつかなかった。 あなたがいかに傲慢で冷たくて、哀しいほど寂しい人であっても、私はあなたと居られるだけで全てが完成されて安全な世界にいた。 現実的じゃないほど美しく胸を打つ夜景を前に、夢は現実のように過ぎ去って、その時が迫って来る。 でも記憶の中にあれば

          二軸の現実