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『プラトニックは削れない』第一話

あらすじ(300文字以内)
元探偵助手の風間は、自殺した探偵・古代善の息子である渚と、たった二人で生活をしている。渚は六歳のとき、善の取り逃した殺人鬼・筒木に人質にされた経験から封印した記憶のフラッシュバックに苦しんでおり、警察の捜査依頼を断らざるを得ない状況だった。そんなある日、十三年ぶりに筒木の犯行と見られる白骨遺体が発見される。渚は調査を引き受けるが、風間は事件について決して知られてはならない秘密を抱えていて……?
法人類学者の殺人鬼VS恋慕を骨ごと削り取る探偵助手+隠された愛を紐解く二代目探偵。
それぞれの思惑が交差するボーイズライフ・ミステリ。

2023年6月 1

「真実は発見しうるし、発見されたがっている」
 ウィリアム・メイプルズ(法人類学者)

『法人類学者の捜査記録 骨と語る』(徳間文庫)
(DEAD MEN DO TELL TALES The Strange and Fascinating of a Forensic Anthropologist)
著:ウィリアム・メイプルズ
監修・解説:上野正彦
訳:小菅正夫


 風間封悟かざまふうごはもう何度目かもわからず、出迎えた新顔の刑事たちが毎度似たような反応をするさまを、冷ややかに見つめていた。
 彼らが驚くまでの道筋はこうだ。
 東京は谷中の住宅街から少し歩くと、三角屋根が二つある西洋様式の──正確にはスコティッシュ・バロニア風の──レンガ造りをした豪邸が現れる。応接室から続く出窓の先には十二畳ほどのサンルームが付いていて、季節の花が咲く庭を一望できる。よって邸宅は外観だけなら植物園に見えるかもしれない。
 日本で唯一といわれた諮問探偵・古代善こしろぜんの息子が住む『古代邸』だ。
 古代邸にやってきた客は、まず建物の豪華さに気圧されるか、呆れ返るのが常だ。
 そういうわけで風間は、もらった名刺から顔を上げて、冷ややかに刑事二人の表情を見つめていたのだった。中年のほうは元倉警部補、若手は安田巡査部長と名乗った。
「……それで、ご用件は古代渚との面会でよろしかったですか」
「そうだ。で、あんたは?」
 元倉がぞんざいに聞き返してきた。
「申し遅れました。建物と住人の世話を預かっている風間です」
「ああ、元助手の」
 この単語も、風間は何度聞いたかわからない。そして大抵の場合、言葉は異口同音にこう続く。
「健気にも探偵様の助手から、その息子の世話係に転向ってわけか」
「……今日は六月なのに、汗ばむほどの陽気のようですね」
 風間は元倉の言葉を黙殺して背筋を伸ばした。
「お茶を出す程度のことしかできませんが、どうぞ、ご案内します」
 風間は踵を返して二人を屋敷に招き入れた。安田はぐるりと首を回しつつ、長く広い邸宅の廊下を見渡す。
「二人で住むにしては、ちょっと豪奢すぎやしませんかね」
 続いて小声の会話が風間の背後で交わされた。
「門前払いはされませんでしたけど、引き受けてくれるんですかね?」
「引き受けてもらわなきゃ、困る」
 おそらくこの二人も、事件の捜査責任者から「古代渚に捜査協力を取り付けるまで戻ってこなくていい」と言われているのだろう──風間はそう推測した。
 残念ながらというべきか、渚は十三年のうち一度も邸宅の外へ出ていない。つまるところ、警察に全面協力した試しがないのだ。今回の事件も引き受けられることはないだろう。
 当の風間は、警察からの依頼は断れと都度渚に言い含めている。お茶を出す程度とはそういう意味であって、本当なら安田の言う通り門前払いをしたいくらいだった。
 風間はたどり着いた応接間の両扉をノックした。まろやかで中性的な声が返事をしたので、そのまま扉を押す。
 部屋の出窓から差し込む光に目が慣れると、テーブルのそばにいる華奢な人物が輪郭を浮き上がらせた。毎日姿を見ているはずの風間ですら、思わずたじろいでしまうほどの美貌だ。
 古代渚はフランネルのネクタイをしたスーツ姿で、ジャケットの下から覗く体つきはともすれば女性と見紛うほど細く、小柄だ。およそ日本人離れした白い肌に、顎は細く鼻梁は高く、顔立ちはまるで天使がそのまま青年に成長したかのようだ。だが目だけが思慮深くも鋭く、探偵だった父の名残を物語っている。
「渚、向かって右手が警視庁の元倉警部補、左手が安田巡査部長と言うそうだ」
 二名の警察官が美貌に釘付けになっている間、風間は渚に近づいて名刺をテーブルに置き、形式的な紹介を済ませてしまった。
 渚の表情が動く。薄く唇を引いて微笑むさまは丁寧で暖かく、世話人たる風間とのギャップに驚く者も多い。
「どうぞ、おかけください」
 渚の声は、中学生男子にも三十代女性にも似た、角のない中性的な色をしている。彼が口をひらけばあとは当人同士のみの会話だ。風間は黙ってティーワゴンの前に立ち、ティーポッドの中身を氷入りのグラスに注いだ。
 各々テーブル席につくと、元倉はペースを自分の有利な側に持ち込もうと、テーブルに身を乗り出した。
「回りくどいことは抜きにしてな、」
「では、ご足労いただいたことろ大変恐縮ですが、今までいらした刑事さんと同じことを平に申し上げるしかありません」
 渚は元倉の求めている答えを即座に、かつ単刀直入に述べた。
「私に父の代わりは不可能ですよ」
 会話に耳を傾けつつ、風間は音もなく客側に紅茶のグラスを置いた。
「古代さんは協力を拒み続けてますけど」と、安田。「実際、断る口実でちょっと資料を見て下さった助言から、事件が解決したこともあるって話じゃないですか」
「目に入ってしまったものは、そうですね」
「ぼくらの事件も同じように資料を見てパッと解決してくださらないかなぁ、ってことです」
「あんたの観察眼は父親以上って噂だ。その知恵を絞って、救える遺族を救おうって気はないのか?」
 元倉が部下へ援護射撃を加えてくる。
「あんたいくつだっけ、古代さん」
「満十八、今年で十九です」
「成人してもここにガキみたいに引きこもってるつもりか」
「そう言われましても」
 渚は二人の刑事を前に恐れるどころか、むしろ面白がっているふうに目を細め、鷹揚に指を組んだ。
「私は父のように、現場に出た経験はありませんし。大事なヤマを素人に任せるのは、あなたがたにとっても心底業腹なはず。そうでしょう?」
「こっちだってやれるもんなら、おたくにお願いするなんて酔狂、してやらないんだがね」
「なにぶん上からの命令なものですから」
 元倉の言葉に、安田が笑顔で続いた。
 古代善が警察顧問になれたのは、法務省に勤務している彼の兄の個人的なコネによるものだ。警察が民間人である渚に捜査協力の辞令を下せるのは、その名残だった。
 警察の現場では、専門学者でもない民間人顧問の捜査協力など、求めてはいない。しかしキャリア上層部は、古代善がいた頃の事件解決率を維持するよう現場に圧力をかけてくる。一方、完全に対岸の火事を眺めている形の法務省は「ならば古代善の子がいるだろう。あと、元助手も」と言ってくる。
 現場としてはアピールとして、断られることをわかっていながら古代渚にアプローチを掛けるしかない。いやむしろ、断られることを望んでいる者のほうが多い。さもなければ徒労に対する八つ当たりのはけ口にするかだ。
「現場に出ていないからこそニュートラルにものを推理できるんじゃないですかね」
 安田がとりなすと、渚は視線を声のほうへ向けて苦笑した。
「私があなたを見てわかるのは、そのロレックスが2022年モデルだということくらいですよ」
「え、わかります?」
 安田は浮かれて手首の腕時計をいじった。風間もつられて視線をロレックスに向ける。渚の言葉を信じるなら、一年半前のモデルということらしい。
 元倉は部下をねめつけて、その肩をはたいた。
「おまえ、それ着けてくるなって言っただろうが」
「すみません。お気に入りなもので、つい」
「安田さんは新人ですか? 元倉さんもそうですけど、今までいらした警察のかたの中では見ないお顔ですね」
「はい、現部署に着任から半年──」
 元倉がテーブルの陰で安田の足を蹴りつける音が聞こえた。
「さっさと捜査資料出せ」
「あ、はい」
 安田はスーツからくたびれた手帳を取り出したあと腰を屈ませて、床に置いていた鞄から資料のバインダーを取り出す。そのわきから風間がすかさず、バインダーを取り上げた。
「渚は捜査すると一言も申し上げていませんが」
「あんたとしてはどうなんだ、風間さん」
 元倉が風間に矛先を変えて追撃をかけた。
「あんたも元は古代善の助手だ。経験値はありすぎるほどあるんだから、彼のサポートは十分にできるはずだろう」
 風間は眉根一つ動かさない。
「古代先生が探偵だったからといって、渚にも同じ肩書を押し付ける権利は、ぼくにはありません」
「だけどほら、父親の代わりに迷宮入りした事件も解けるかもしれないじゃないですか。筒木肇つつきはじめのゆく」
 行方とか、と最後まで言う前に、風間は安田の胸ぐらを掴み上げていた。
 その単語だけは聞き逃せない。
 筒木肇。その名前だけは──。
「その名前だけは、渚の前で口に出すな」
 椅子から腰が浮き上がるほどの強い力で、安田を絞め上げる。
 ティーカップがソーサーに落ちる耳障りな音がした。
「風間さん」
 驚きと懇願を含んだ渚の声が、背中に聞こえた。離せと言いたいことは風間にも伝わっている。
「おい、やめろ」
 元倉が風間の手を引き剥がそうとした。だが風間の手は緩まない。
「悪かった」元倉は即座に下手に出た。「手を離してくれ」
 そう言われてやっと手の力が抜けた。解放された安田が、咳き込みながら椅子にどんと腰を落とす。だが相手のことなどかまっていられず、風間は早歩きに戸口へ向かい、扉を開け放った。
「お引き取りください」
 自分ですら氷点下を感じさせる声音に、元倉は引き際を察したようだった。


 風間は広く長い廊下を抜け、入口を通り過ぎ、門の前までしっかりと刑事二人を見送った。間違ってもたむろされることがないようにだ。
 安田とともに車に乗り込んだ元倉が助手席の窓を開け、顔に愛想笑いを貼り付けながら風間を見上げた。
「うちの新人が失礼をやらかしたみたいで、すみませんね。また来ますよ」
「二度とお会いしないかと思うので、一つ忠告を」
 風間は冷たい面持ちで元倉を見下ろした。
「渚があなたがたに協力できないのは、決して警察に意地悪をしているからではありません。あの事件で渚は深い傷を負った……そういう危険に二度と遭遇させたくないだけです」
 風間は決意を込めて深く息を吸い込む。
「あなたがたが今後もそのような危険に渚を誘うのであれば、あの男の名前は二度と出さないでください。どんな形であれ、渚を苦しめるやつがあったらぼくが縊り殺します」
「……警察官の前で言う言葉じゃねえわな」
 元倉は澱を含んだ声でつぶやき、窓に腕を預けた。
「風間さんさ、あんたが古代渚を腐らせてるって自覚を持ってもいいんじゃないかね」
「はい?」
「十三年もの間、保護者がわりのあんたが、あの建物に坊ちゃんを閉じ込めているようなもんだろ。立場が立場なら毒親と言われていてもおかしくねえ。文字通り、どんな人間だって早晩腐り落ちるわな」
 風間は否定の意を込めて背筋を伸ばした。
「ぼくは渚を生かすためにここにいます」
「古代善だって死んだだろ」
 元倉の一言が、今まで鉄壁だった風間の心を強く穿つ。
 記憶は一気に、古代善を喪うきっかけとなった十三年前の忌まわしい事件へ飛んだ。
 『頭部のない死体』事件──2009年の8月から翌2010年の2月にかけて、男性五名が殺害され頭部が持ち去られた連続殺人事件だ。
 犯人は筒木肇という男だった。人間の骨の鑑定を専門に扱う法人類学者であり、妻と息子が一人いる所帯持ちだ。しかしその正体は、ゆがんだ同性愛の果てに己の嗜好を満たす男を殺し続け、頭部を持ち去って保管していた。筒木は巧妙に証拠を残さず、連続殺人だということを警察が長らく気づかなかったくらいだ。
 当時から警察に協力し、探偵としての名を馳せていた古代善は、筒木の六番目のターゲットとして狙われることになった。
 古代邸に侵入した筒木は善と風間の手によって犯行を阻止されたが、当時六歳だった渚を人質に取り、まんまと逃げおおせた。その後十三年もの間、筒木は行方不明のまま影も形も見つかっていない──というのが、公的に記録されている事件概要だった。
 その二ヶ月後に、古代善は自殺していた。
「おおかた、犯人を取り逃がして息子に深い傷を負わせた、失態に対する自責の念ってやつだろうな。なまじプライドが高いやつは、折れる時はすぐ折れる」
 善は遺書を残さなかった。当時遺体に事件性がないかを捜査した警察官たちも理知的な男の急な自死に首を傾げ、各種メディアが理由を巡って喧々諤々だったことを、風間もよく覚えていた。
「俺にだって妻も娘もいるから言わせてもらうが……取り逃がした犯人を野放しにしたまま自殺するなんて、探偵以前に事件を捜査する人間のタマじゃねえ。現に息子は今も、取り逃がした犯罪者の影に怯える生活だろ。探偵なら犯人を捕まえるまで執念深く噛み付くのが使命じゃないのか?」
 元倉は刑事特有の凄みで風間をにらみ上げた。
「古代善は無責任な男。それ警察での評価だ」
「先生のことを悪くおっしゃるのはやめていただけませんか」
「あんたのことを悪く言ってるんだよ、風間さん。みすみす自殺を許し、その評価のまま十三年も放置しているのはあんただ。助手として古代善のそばにいながらいったい何をしていたんだろうな?」
 風間は拳を握りしめる。元倉はわざと憎まれ役を買って出ているのだ。そう自分に言い聞かせる。
「その息子に対して同じ轍は踏みたかないだろ」元倉は窓にかけていた腕を引っ込めた。「腐りきらせる前によく考えろ」
 助手席の窓が閉まった。
 車が滑り出し、古代邸から遠ざる。車体が完全に見えなくなると、風間は握り拳を解いた。爪の痕が手のひらにくっきりと浮かんでいる。
 刑事たちの意図に気づいた風間は顔をしかめた。
 安田が筒木の名前を出したのも、元倉が下手に出て身を引いたのも、風間に罪悪感を刺激させるのも、すべては渚を家から事件現場に引っ張り出すための布石というわけだ。怒りを煽り、助手が自ら探偵を連れ出すのを、彼らは待っているのだろう。


第二話:https://note.com/kumoakari/n/nccfc6d5387d3

第三話:https://note.com/kumoakari/n/nb290f467f37c

第四話:https://note.com/kumoakari/n/ne833f860475f

第五話:https://note.com/kumoakari/n/n3571efef2f89

第六話:https://note.com/kumoakari/n/nc6680c3fb58d

第七話:https://note.com/kumoakari/n/n2b75613597fc

第八話:https://note.com/kumoakari/n/nee6988c76082

第九話:https://note.com/kumoakari/n/n11f0ce60a7b3

第十話:https://note.com/kumoakari/n/nd0f4ec044c77

第十一話:https://note.com/kumoakari/n/ne907e60dcf8b

第十二話:https://note.com/kumoakari/n/n76273804271f

第十三話:https://note.com/kumoakari/n/nd840dc3a831c

第十四話:https://note.com/kumoakari/n/n22101e8aee90

第十五話:https://note.com/kumoakari/n/nf552990738f6

第十六話:https://note.com/kumoakari/n/n79ddc13b2384

第十七話:https://note.com/kumoakari/n/nf055df29b2b9

第十八話:https://note.com/kumoakari/n/n5dae34e765e8

第十九話:https://note.com/kumoakari/n/n1b96f92dfe8b

第二十話:https://note.com/kumoakari/n/n00a360a9f8ae



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