『プラトニックは削れない』第十話

 すぐに捜査資料を見たいということになり、風間の運転する車で古代邸に戻った。
 古代邸にはすでに刑事が待ち伏せしていて、一連の殺人事件に対する推理を今すぐにでも聞かせてほしいというふうだ。
 渚をハウスキーパーに任せ、善と風間はすぐに捜査資料を応接間にあるテーブルの上に広げた。担当刑事は手帳を開きながら、事件の概要を述べていく。
「被害者は現在のところ五名。最初に発見された被害は二十日前で、現場は荒川区の汐入(しおいり)沿いの隅田川です。水面に浮かんでいた遺体は、頭部が何者かによって解体され、持ち去られていました。それから十四日前に杉並区桜上水(さくらじょうすい)の神田川、直近ですと二日前に東村山(ひがしむらやま)にて同様の頭部欠損遺体が発見され、同一犯による連続殺人の線が色濃くなりました」
 善は一見、刑事の事件などまったく耳に入っていない仕草で、風間が事件別に置いた資料を顎に手を当てつつ眺めている。
「三件の連続殺人事件として捜査本部の組み換えがなされたあと、過去に起きた別の事件が二件、同じ犯人による犯行ではないかと見直されました。一件は三ヶ月前、2009年11月に埼玉の嵐山町(らんざんまち)で。もう一つは2009年の8月、東京都板橋区の廃屋で同様の手口の事件が発見されています」
 ここで初めて、資料に落ちていた善の視線が刑事へ向いた。
「つまり最初の事件は去年の8月からか。死因は共通している?」
「いえ。刺された失血によるショック死、溺死、絞死など、五名の死因に共通点はありません」
「生きたままギロチンのように処したのではなく、殺したのち頭部を解体して持ち去ったということか」
「生きて苦痛を与えることに、こだわってはいないということでしょうか」
 風間が控えめに申し出ると、善は「さあね」と抑揚のない声で答える。
「今の時点でそれを断言するのは早計かもな。刺されるのも溺れ死ぬのも、被害者の性質や犯人の殺しかたによっては、恐怖だし苦痛だ。──それで、封悟が言っていたわたしへの挑戦状というのは?」
「これです」
 刑事がスーツの内ポケットから、手のひら大のビニールを取り出した。中にはコピー用紙を切り取ったか何かした紙切れが入っていて、タイプされた文字でこう書かれている。

『古代善 この衝動を止められるのは おまえしかいない』

「この紙切れは、二日前に見つかった第五の被害者の現場に落ちていたものです」
「つまり……この犯人は最初こそ去年の夏に殺しを行い、間をおいて11月に再度の犯行をした。だがそれらの捜査の過程で警察の手が自分に及ばないことを確信し、二十日前から二日前にかけて立て続けに殺害した挙句……」
 善はテーブルに置かれた声明文をつまみ上げた。
「五件目の事件で、わたしを名指しすることにした」
「あるいは、このような凄惨な殺人が起きたとあれば初めから古代さんが捜査に参加することを踏んでいたのに、アテが外れたせいで五件もの凶行に走ったのかも知れません」
 善は決してテレビなどの出演はせず淡々と依頼をこなすタイプだが、それでも事件解決時には新聞の一面や週刊誌の速報で取り沙汰されることはあり、彼が捜査一課の管轄である凶悪殺人を専門に警察へ協力する諮問探偵であることは、一般人にも広く周知されている。殺人鬼が最初の犯行から善を振り向かせることが目的だった可能性も、なきにしもあらずだ。
「封悟、どう思う? 最初に抱いた印象は?」
 真っ先に助手の意見を伺う善に、風間は緊張から唾を飲んだ。
「被害者が男性で、頭部が持ち去られていることから、殺人犯は男性の頭部に偏執しているものと思います。殺すだけでも大変なのに頭部を持ち去るなど正気の沙汰ではないですし、肉体的労力としても恐ろしく大掛かりです」
「それでも頭部は持ち去っていく。犯人にとっては効率よりもこだわりこそが大事だ、ということだな」
「しかし、それ以外に被害者同士の共通点はなく……いえ、そんなレベルではなくほとんど無差別です。なので、捜査の足がかりになるものが少ないという印象です」
 刑事が手を上げて補足した。
「警察としても、被害者五人を結ぶものが何も出てこないせいで捜査が難航している状況です。犯人は、男性の頭部が手に入れば誰のものでいい、という一種のコレクターなのかもしれません」
 善は喉を鳴らして笑った。
「和製ボーン・コレクター? はたしてそうだろうか」
 そこには純粋に助手や刑事の言葉を面白がっている含みだけがあって、相手を見下すような冷たさはなかったが、風間は叱られたみたいに肩をびくりと震わせた。
「もしも犯人が『男性の頭部』という条件以外になんら興味がないのだとしたら、わたしに挑戦状を叩きつける道理もないけれどな。なぜなら、犯行が目立たなければ目立たないほど人をより多く殺しやすく、〝コレクション〟も手に入りやすいからだ」
 善はコレクションと言う際、人差し指と中指をくいと曲げて、ダブルクォーテーションマークを作ってみせた。
「では、犯人はコレクターではなく、劇場型でしょうか? 事件を通じて自己顕示欲や有能さを満足させるような?」
「それなら最初からわたしに挑戦状を叩きつけているだろう。直近三件の犯罪の間隔が短くなっている点からも、もしかしたら偏執に我慢が利かなくなっているのかもしれない。断定はできないが」
「犯人は、頭部以外にも何か目的があるのでしょうか……?」
「犯人の目的が一つとは限らないし、コレクションを得るという目的以上に、我々に事件を認知させることで得られるメリットのほうが犯人にとってプライオリティが高い、ということもあり得る」
 善はテーブルの上に手をついて風間を見据えた。本質を見抜こうとする視線。
「では封悟、ここからは探偵の領域だ。これまで聞いた概要の印象による先入観は一旦捨てて、捜査資料に載っている情報のみから、ニュートラルに事件の共通点を探し出してみようか。──ではきみから」
 風間は思考をフル回転させる。
「被害者は男性です」
「被害者には頭部がない」
「頭部は犯人によって持ち去られています。つまり遺体はすべて犯罪死体です」
「頭部が欠損している以外にも、遺体にはなんらかの損傷が与えられている。肉を刺す。溺れさせる。白骨化させる。二件目の嵐山の遺体はタヌキと鳥に肉が食われているな」
「被害はすべて関東圏内です。関東に在住しているか、あるいは殺人が関東圏でなければならなかったか──」
「気をつけろ。先入観は不要、述べるのは事実だけだ」
「すみません」
「それ以外は?」
 風間はどうにか共通点を探そうと、資料の中の写真や検視記録などを目を皿のようにして見つめた。善がそう告げる時は、風間に何かを気づかせたい時だ。
「どうだ?」
「すみません。現時点では出てきません」
「そうか。もう一つの共通点についての答え合わせは、後にしようか」
 善は講義する教授のように、人差し指を立てた。
「では、最大の疑問。犯人はなぜ頭部を持ち去るか……その動機は?」
 風間は被害者たちの生前の写真を見下ろした。
 被害者たちの歳は下が十七歳から上は五十二歳まで。既婚未婚問わず。顔立ちに極端な美醜の差はない。彼らは似ているといえば似ているし、どの顔も十人のうち五人には魅力的に見えるかもしれない。
 そもそも犯人は、頭部を持ち去った後、顔の造形を気にするだろうか? 一件目、板橋区の廃屋で見つかった遺体は発見時に白骨化すらしていた。犯人の手元に頭蓋骨が残っていたとしても、保存状態によっては胴体と同じように白骨化しているかもしれない。
 白骨化──。
 恐る恐る、想いを寄せている恩師の顔を見る。
 風間の頭に一つの考えが浮かび上がり、冷や汗で襟元が苦しくなった。
「どうした?」
「い、いえ、なんというか、仮説ですらない妄想が……」
「言ってみてくれ」
 急激に自分の体温が下がった気がした。
「し、しかし、ただの妄想で」
「封悟」
 善の目が訴える。言え、と。
 そうだ、今すぐ自分の暗い考えを、先生に否定してもらわねば。
「た、例えば犯人が男性にしろ女性にしろ、己の性癖を歪ませるような、何か大きなトラウマが過去に起こり……そのトラウマを誘引するような男性の頭部を集めている、というのは……?」
 この言葉に、善はあまりピンときていないようだった。沈黙で先を促してくる。
「頭部を持ち去るとしたら、犯人に必要なのはおそらく頭蓋骨です。犯人の偏執は顔の美醜ではなく、トラウマを誘引する男と同じ骨格を持った頭蓋なのでは……新聞などで古代先生の顔を見た犯人が、過去の男と似ていると言う理由であなたを次のターゲットに定めたのでは……」
 そうなると、善当てに向けたメッセージの意味が、百八十度変わる。
『古代善 この衝動を止められるのは おまえしかいない』
 衝動とはつまり、劇場型の殺人犯に見受けられるような、己の犯行を知らしめるための挑発ではなく──。
「ラブコール、か?」
 善はようやく、助手の言わんとすることに気がついた。だが風間が犯人の思考回路に恐怖を抱くいっぽう、偏愛を注がれてている当事者の善は、恐れるどころかむしろ歓迎、いや、好戦的ですらある。
「なるほど……なるほどな。封悟も探偵らしくなってきたな」
「とんでもないです。先生の足元には到底及びません」
「謙遜を美学にするのは感心しないが、さておききみのおかげで、わたしが見つけた共通点に説得力が生まれたよ」
 風間は首を傾げた。さきほど善が答え合わせを保留した共通点のことだろうか。すると善は、広げてある全ての捜査資料を、同じ項目にめくった。
 司法解剖の鑑定書だ。
「遺体は大きく分けて、犯罪死体、変死体、非犯罪死体に分かれる。犯罪が絡んでいると明らかな『犯罪死体』の場合は、そのまま警察による『実況見分』を経たのち、ほぼ例外なく司法解剖に回されることになる。通常、司法解剖は法医学者によって行われるが……」
 善が人差し指で、司法解剖を行った『鑑定人』欄をとん、と叩いた。
「あっ……」
 その名前に注目した風間と担当刑事が同時に声を上げた。

『鑑定人:東部大学医学部法医学科法人類学研究室 室長 筒木肇』

 風間は他四件の鑑定報告書に飛びついた。
「司法解剖を行った人間が、同じ……!」
「事件の概要や死因そのものに目がいってしまうと、自然とそれらの調査を行なった人間についてはおろそかになるようだな」
「節穴でした」
 目の前に共通点があったというのに、今の今まで気づけなかった。風間は悔しさから唇を噛み締める。
「法人類学は法科学の歴史上、遺体、特にその中で骨の特徴から身元特定を行うことに特化したとも言える分野だ。考古学などとニアミスしているが、同時に法医学の分野も内包している。日本では医師免許を持った法医学者だけが鑑定人になれるだろうが……」
「筒木先生は医師免許もお持ちで、法医学者としても資格があるんです。むしろ経歴としてはそちらが先だったと記憶しています」と、刑事。「警察としても信頼たりうる鑑定人として、板橋区の廃屋にあった白骨化遺体の鑑定をお願いしました」
「骨……」
「そう、骨だよ、封悟。犯人が男の頭部、その骨格を偏執しているとして……」
「まさか、ありえませんよ!」
 刑事が善を遮って叫んだ。
「筒木先生は犯人を追求する側です。若くしてその実力を買われて警察の信頼も厚いし、妻に子供もいます。そんな人が、人を殺して頭部を持ち去るなんてこと、我々警察の前で──」
「『するはずがない』と? むしろ警察側にいたほうが、捜査の動向も見やすく証拠も隠滅しやすいと思うのは、わたしだけか?」
 善の鋭い眼光と追求に、刑事はぐっと喉を詰まらせた。
「家族がいようといまいと関係ない。むしろ家族という形態が本人を社会性に縛り付け、偏執を肥大化させることも大いにありうる。常にそばにいても、他人の感情などそうそうわかるまい」
 風間は、自分に向けられたわけでもない善の言葉の刃を、甘んじて受けるしかなかった。
 常にそばにいても、真に人の感情などわからない。
 そうだ。古代善は助手の風間がどんな思いでいるかなど、微塵も気づくそぶりがないのだ。拾ってもらい、助手をしてからもう三年。探偵の頭脳が風間の性的指向を推理することがあっても、それを本人に向けないよう助手が努力しているなど気づきようがないのと同じだ。
 風間はこの筒木肇という男が妻子に黙って猟奇殺人に手を染めていても、まったく驚かない自信がある。
 そして後から周囲の人間が「そんなことをするとは思えない」と述懐したときには、もうすべてが手遅れになっているのだ。
「しかし、とてもじゃないけど信じられません……」
「いや、何もこの男が犯人だと断定しているわけじゃないよ」
 打ちひしがれる刑事に、善は纏っていた厳しい姿勢を即座に解いて、刑事に苦い笑みを向けた。
「連続殺人となったからには、同じ人間に鑑定をしてもらったほうが都合もよかったんだろうし、偶然の確率もありえないことではない。ただ、共通点から当たったほうが事件捜査の足がかりになるという話だ」
 善は即座に引き締まった表情に戻り、風間へ顔を向けた。
「封悟、この法人類学研究室とやらにアポを取ってくれ」
「お会いになられるのですか? 筒木肇に?」
「骨の専門家らしいからな。鑑定した遺体について、もっとくわしく話を聞いてみよう」
 筒木肇。その単語を見るだけで、風間の背筋に嫌な悪寒が走った。
「……わかりました」

#創作大賞2024 #ミステリー小説部門

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?