『プラトニックは削れない』第十二話

 閉じた冷たい扉に、背中を押し付けられる。
 逆三角形の目が、風間の顔を虚ろに見下ろしていた。
「つ、筒木せんせ──」
「きみはいいなあ」
 恐ろしく間延びした、ため息にも似たささやきを筒木は漏らした。その口先が吊り上がる。
「古代善にこんな助手がいたとは」
 風間は、次の獲物として筒木に捕捉されたのだと理解した。
「や、やめてください」
「なぜ今まで、どのメディアもきみを取りあげなかったのだろう?」
 掴まれた手首を振って抵抗しようとするが、相手の指はびくともしない。腰に仕込んだ特殊警棒を出す隙も与えられなかった。
 先ほどとは比べ物にならないくらいの震えが全身を支配する。
 この男はいけない。これ以上見つめられてはいけない。
 筒木肇は、風間の本質を見抜いてしまう類 たぐいの男だ。
「せっかく古代善に出逢うのを心から楽しみにしていたのに……ぶち壊されたよ、助手くん。きみは初めて私を見た時から、私に怯えていたね。なぜだ? なぜだろう? ずっと考えていた。だがそれ以上に、私はきみの頭部に心奪われた」
 風間の手首を強く握ったまま、操り人形のように筒木は右の人差し指を風間の額に持っていき、鼻梁に沿うように縦に指を流した。
「美しく左右均等なんだ」
 風間は腰が抜けて、その場にへたり込みそうになる。だが相手がそれを許さない。
「……まあ骨格の美醜など付加価値のようなものだが。ええと、そう、なぜきみが怯えるのかをずっと考えていた」
「早く古代先生のところに戻らないと……」
 風間の無意味な抗議の声は、風に吹かれる前の蝋燭の火のように心もとなかった。もちろん筒木は無視した。
「だが古代善の話を聞いているうちにすぐに合点がいったよ。ここにおびき寄せられてもなお、彼は私に怖気付いた様子がまったくない。動じない。心が動かない」
 筒木の言葉の一つ一つが、風間の心の皮を、無慈悲に剥がしていく。
「古代善はおそらく、私の求愛を受け入れたのではなく、拒絶するでもなく、受けて立ってしまったのだろう。それが彼の生来の性格なのだと知った時、私の心がきみと共鳴するのを感じた」
「や、やめ」
「つらいだろうなぁ、一生振り向いてくれない人のもとで死んだように生きるのは」
 全身が、まるで毒が回るごとく痺れた。
 ──見抜かれた……見抜かれた、見抜かれた。
 本質を。
 ひた隠しにしていた感情の深淵を。
 誰にも見せたくない醜い自分を。
 希釈し、削り取っていた感情を。
 風間の剥かれた心から、血が流れ出る。それと同時に彼の心には絶望と救済が訪れた。
「名前は、なんだったかな?」
「か、風間封悟」
「封悟」
 猟奇殺人鬼の声に風間は絡め取られた。女性を虜にする顔が自分だけに向いて、本質を見抜いた瞳がこちらをちろりと舐めている。言葉で誘惑する悪魔の口が開く。
「私もそうなんだ、封悟。二度と手に入れられない最愛の人の感情を探して、日々男殺し続けている」
「ど、どういう……」
「きみと同じ、初恋だよ。私の一連のそれは初恋の追体験だ」
 ──また見抜かれた。
 そうだ。善に寄せる一連の気持ちは、きっと恋だ。だがそれを他人に暴かれるのはなんと不快なことか。心に手を無理やり入れられて、弄られて、撹拌されているような錯覚を覚えて、風間は吐き気がした。
 筒木は風間の両手を離した。だが本人は、心を暴かれたことに対してのパニックと恐怖だけがある。今の風間は筒木に支配されていた。世界で一番恐ろしかった。震える足では逃げることすらできない。
 ──先生……助けて……。
 だが、善は自分を助けてくれても、救ってはくれないことを、風間は誰よりも理解していた。
「ぼ、ぼくはあなたのことが好きではありません……」
「私も、きみ自身のことが恋愛として好きなわけじゃない。言うなれば、同志だ。きみは同志だよ」
 冗談ではない。自分は恋が叶わなかったからといって、人を殺して頭部を奪うことはしないはずなのだ。この神聖な気持ちを、猟奇殺人鬼などと一緒にされてはたまらなかった。
「ぼくはあなたの同志じゃない」
「ではなぜ、叶わない恋のそばに身を置き続ける?」
 風間は呼吸を飲み込む。筒木は決して追撃の手を緩めず、食肉植物がゆっくりと消化液で獲物を溶かすかのごとく、じわじわと風間を追い詰めた。
「相手の頭部を切り落として肉を削ぎ、骨を愛でることと、きみが自分の感情の骨膜を削り取りながら、古代善のそばに身を置き続け、やせ細った骨のような恋心を抱き続けることの、いったい何が違う?」
「それは……」
「けっきょくのところ我々は、すべてを忘れ、諦め、己の感情に引導を渡すことすらもできない、浅ましい同志なんだ」
 風間は憤りすら筒木に削がれて、唇が震えて声も出ない。 
「私はたぶん、そんなきみが好きなんだよ、封悟」
「もうやめてくださいッ!」
「だめだ」
 静かな相手の笑みと一言に、再び風間に麻薬が投じられた。
「私にとって、興味があるのは頭部の中に閉じ込められた思考であり、瞳が溶けて虚ろに窪んだ眼窩であり、唇を失い二度と口を開かなくなった下顎骨だ。骨になった男は何も語らず、私の愛の囁きに対して雄弁に真実のみを告げる。その人間の骨が、私の愛した一人の男と同じ系譜を持つ骨格であるという、永遠の事実が骨に刻み込まれているんだよ」
 そんな風間の耳元に、筒木が囁く。
「しかしきみは、雄弁な頭蓋骨よりも多弁な生身の男のほうが好みというわけだ。──古代先生を守りたいかな?」
「は、い」
「私はきみが欲しい」
 沈黙。
 一度も振り向いてくれない善の元で生きるのは、地獄だ。それなら死んだほうがマシだ。
「先生の代わりに、ぼくを……」
 死んだ後、白骨と化した頭部を愛でてもらえる人間に命を捧げたほうが……。
「ぼ、くの命を──」
 振るえた唇が、言葉を発する直前で動かなくなった。
 善の瞳や、視線、唇に指をやる癖、笑ったときに浮き出るえくぼが思い浮かんだ。
 風間は男である以上に、探偵助手だった。
 たとえ何があっても、自分は古代善の右腕なのだ。
「先生は……」
「うん?」
「古代先生は、必ず、あなたを捕まえると思います」
 やっと口が動くと、毒の回っていた体が動くようになった。風間は扉に手をかけて部屋を飛び出した。
 筒木肇は追ってはこなかった。
 廊下に出て角を曲がろうとすると、風間が付いてきていないことに気づいてとんぼ返りしてきたらしい善が姿を見せた。
「どこへ行っていた?」
 風間は善の姿を見たとたんに、安堵でくらりと視界が揺れた。
「す、すみません、ちょっと立ちくらみが……お手洗いを探していて」
「たしかに顔が青い。大丈夫か?」
 風間の肩に触れようとする善の指先を、風間はとっさによけた。
「だ、大丈夫です。先に車へ戻っていてください」
 相手の顔すらまともに見られず、風間はトイレの個室に駆け込み、鍵を閉めた。
「……あぁ……」
 震える体を抱きしめて、その場にしゃがみこんだ。
 間違っても、善にこんな姿を見られるわけにはいかない。
「早く戻って……帰りの運転、しないと……」
 震えを抑え込んで、ほうほうの体で駐車場へ戻ると、善は険しい顔で車に背を持たれかけさせていた。風間が戻ってきたことに気づき、こちらに寄ろうと数歩を踏み出す。
「今、車を……」
「いや、無理しないほうがいい。帰りの運転はわたしが──」
 きぃんと耳鳴りがして、善の言葉を最後まで聞き取れない。風間の視界がまたぐらぐらと揺れ始めた。
 気づけば風間はその場で膝からくずおれて、善に抱きとめられていた。善の口の形が必死に自分の名を呼んでいるのがわかる。
「封悟……封悟!」
 この感情を、削り殺さなければ。
 暗くなる視界の中、その使命だけが頭を支配していた。

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