『プラトニックは削れない』第十八話

「やめろぉッ!」
 叫んだのは風間だった。
「やめろ、やめろ、やめろ……!」
 その場でうずくまり、打ちひしがれては何度も「やめろ」と繰り返す。その姿に渚ばかりではなく、幸崎すらも言葉を失っていた。
 顔をあげた風間は、渚の両肩を掴んで揺さぶった。
「殺したのはぼくだッ! 筒木を殺して死体を隠して、行方不明扱いにした。白骨化した死体を八王子の茂みに埋めたんだ! 罪の意識からそうしたんだ……!」
「警察に出頭したところで、その嘘を通すのは不可能ですよ、風間さん」
「どうして……っ!」
「車です。ガレージの車」
 肩を揺さぶっていた風間の手が止まった。
「筒木肇と目される男の白骨遺体がある現場に、イブキくんの犬歯が落ちていたことから、私たちはイブキくんが死体遺棄の現場に居合わせたと見ています。したがって、あの白骨遺体はイブキくんが行方不明になったとほぼ同時刻──今からごく数日前に埋められたものだろうと結論づけましたね」
 渚は風間の手を持ち、肩から剥がした。
「しかし、あの車は十三年のうちで車検以外に持ち出されず、八王子で白骨遺体が出たという報を聞くまで埃をかぶったままでした。風間さんが数日前、八王子に白骨遺体を埋めたとなると、つじつまが合いません。遺体をずっとどこかに保管していたとして、全身白骨を車以外の移動手段で谷中から八王子まで持っていくには、距離が遠すぎます」
「レンタカーを使って……!」
「であっても、風間さんは遺体が埋められたであろう当日の夜の十時半から、翌日元倉さんたちが邸宅に来るまで、長時間家を離れたタイミングはないんです。白骨遺体遺棄に関しては、あなたには完璧なアリバイがあります」
 風間は呆然とした。考えてみれば、ほとんどざるといってもいいほど、自分の嘘は穴だらけだったのだ。
「風間さんは頭部のない白骨遺体が見つかったことに対して、むしろ相当びっくりしたはずですよ。筒木肇を古代善が殺したことを知っているのに、八王子の死体が、筒木が起こした事件かもしれないと聞かされたからです」
 渚は風間が口走った言葉をもう一度口の中で反芻した。
『ぜったいに』『ありえない』。
「しかも、のちの解剖記録では、白骨が筒木本人だと記されていた。風間さんは、誰かが筒木殺しの犯人をいぶり出そうとしているのだと──一連の白骨が自分自身を爆発させるための時限爆弾だと──気づいたはずです。だからあなたは、何者かが仕掛けたその爆弾を逆に利用しようとした。筒木の白骨死体が出たのであれば、その犯人を名乗り出て、自首することにしたんです」
「なぜそんなことをする必要があるんです?」
 渚は幸崎に首だけ向き直った。
「筒木肇が死んだと警察が知った時、容疑者候補に浮かんだのは、死んだ父と風間さんの二人だったはず。ですが風間さんが逃げて指名手配犯になることで、父の存在を警察の目からそらすことができるんです。そうして警察に捕まった後、虚偽の殺人を自供し、風間さんが筒木殺しの犯人として裁判所で有罪になれば、古代善を永遠に殺人の罪から逃れさせることができます」
「なるほどねえ」と、幸崎。
「風間さんはこの身を捧げて、筒木を殺した古代善の罪も、それを遺族に十三年隠していた罪も、たった一人ですべてを雪ごうとしているんです」
 風間は震える両手で顔を覆った。
「やめろ……違う……ぼくは──」
「風間さん、終わらせましょう」
 風間は絶望に包まれて、涙すら出なかった。
 せめて手元に残った名誉だけはこの手で守りたかったのに、渚はそれを望んではないのだ。
「……あはは」
 髪を書き上げて、幸崎がひくついた笑いをあげる。
「なんてことをしてくれたんだ。十三年も、なんてことをしてくれた」
 荒げた息をどうにか理性で押さえ込んでいるのがわかる。
「僕が殺すべき古代善は、先に死におおせましたか。……それで?」
 幸崎がレシプロソーを握りしめ、渚へ向ける。
「後はあなたがたを殺せばいいわけだ。古代渚、そして風間さんは……僕らに真実を隠蔽しつづけていたようですからね」
 その言葉に風間が我に返った。膝を震わせて立ち上がり、渚の前に立った。
「もう……もう、やめてください」
「幸崎先生」
 渚が風間の背後から自ら前面に出た。
「あなたを捕まえに警察がここへ来つつあります」
「は?」
「諦めたほうが身のためです」
 幸崎は渚の発言をせせら笑う。
「そんなハッタリが通用すると思いますか。警察が追っているのは風間封悟のはずですよ。僕は警察に捕まろうがそうでなかろうが、どのみち父が殺そうとした人間を殺すことには変わりないんです」
「ハッタリではありません」
 渚はあくまで冷静な態度で、言葉を返した。
「昨日の夜中のうちに、風間さんはもう指名手配から外れているんです。代わりにあなたが、死体遺棄の容疑で警察に追われています」
 幸崎がひくりと喉仏を上下させた。
「あなた、まさか──」
「ええ」渚は毅然とした態度で目を細めた。「私がすべての引導を渡します」
 引導を渡す。
 風間はその単語を現場へ向かう車の中でも聞いた。
 渚は事件が始まった時から、すべてを終わらせるつもりでいたのだ。
「八王子の白骨遺体、あれは幸崎先生の仕業ですね?」
 渚はポケットからスマートフォンを取り出した。
「当初からあの遺体にはおかしい点が散見されていました。白骨化してから埋められていた点。遺棄するためではなく誰かに見つけてもらうための時限爆弾として埋められていた点。しかし風間さんが埋めたわけでもなく、白骨が筒木ではないとわかった今、ある一点は明白になりましたね。……幸崎先生は、解剖結果に嘘を書いたんです」
「やはり……白骨遺体は幸崎がでっち上げたものなのか?」
 風間が尋ねた。
「行方不明から十三年も経てば、父親が死んだのではないかと思うのも当然です。であれば、どうやって死んだのか、誰が殺したのか、幸崎先生は当然知りたくなったはず。そのために仕掛けた罠が、一連の白骨遺体です」
 ずっと予感はしていた。もしも遺骨をでっち上げられるとしたら幸崎総一郎しか動機がない。
 それでも風間は、渚が導いた結論に倒錯的な違和感を覚えずにはいられなかった。
 まさか。そんな荒唐無稽なこと。想像はできるが、実現できるとは思えない。
 しかし現に起こってしまったことなのだ。そうでなくてはつじつまが合わない。
 脳がバグを起こしそうになる。
 幸崎が遺体をでっち上げたとして、いったいどうやったのか、どういう手段で証明すればいいのかがわからなかった。
 その疑問の答えを、渚は完璧に見出しているらしい。
「そもそも幸崎先生は法医学医ですから、解剖や鑑定、臨床などで検体の骨をほんの少しずつ奪うことが状況的に可能です。そして筒木肇の骨格を細部まで知り、再現できるとしたら、身内以外にはあり得ないでしょう」
「馬鹿なんですか」
 幸崎は鼻白んだ。
「そんな職業倫理に抵触するようなこと……それ以前に、僕の父の骨格再現なんかできるはずないじゃないですか」
 殺人鬼はこの期に及んで職業倫理を重んじるのだな、と風間は場違いに思った。証拠がない以上、知らないを押し通せば逃げ切れると思っている。自分達を殺し、その証拠を隠滅する時間すらあると言いたげな鷹揚さすらあった。
「あなたは『筒木肇の予備』なんですよね?」
 渚が首をかしげる。
「法人類学者を目指していたし、だから殺人者にもなれる。あなたは父親が殺人鬼であることや、過去すら教えてもらっていた。であれば、なぜ父親の骨格の再現ができないと言い切れるんです? もちろん、完全なる再現は不可能でしょうが、似せるところまではできます。頭蓋骨を用意する必要は、ないわけですし」
「でもさすがに、大腿骨や骨盤、脊椎などは奪ったら誰かに気づかれるんじゃないか」
 風間が割って入る。
「それらのために、新たに人を殺したかどうかまでは、私にはわかりませんけれど」
 身の毛もよだつようなことを、渚はさらっと言ってのけた。瞬間、幸崎の獣のような視線が渚を射抜く。
「そして何より、幸崎先生が筒木の遺体をでっち上げることに誰かが勘付いても、先生ご自身が遺体を解剖すれば、なんの問題もないんです。もちろんこの自作自演行為は法医学医の資格を剥奪され重罪に問われかねませんが、幸崎先生にとってはそんなものよりも、父を殺した人間を知るほうが大事でしょう」
「証拠がない」幸崎は歯をむき出しながら抗議した。「そんな理屈で警察に捕まってたまるか。僕の鑑定にケチはつけさせない。絶対に。そして僕は父の遺族だ。再度の鑑定は絶対に認めない」
「警察の手が及ぶ前に白骨を荼毘に伏して、証拠を隠滅するつもりか」
 風間の指摘に幸崎は肩をすくめ、否定も肯定もしない。だがそんな二人の間に、凛として確固とした声がこう断言した。
「証拠は、イブキくんです」
「は?」
「つまり、犬です」
 渚は取り出して両手に持っていたスマートフォンを二、三操作した。その間にもいきり立った幸崎が喚く。
「犬だと! 犬が何だって言うんだ。遺体の現場に居合わせて犬歯を落とした犬のことを言っているなら、僕はそいつに噛み付かれたとしたら大怪我じゃ済まないんだぞ。だけど僕は無傷だ。それが現場に居合わせてない証拠だ!」
「イブキくんが噛み付いたものが、あなたの体だとは限りませんよ」
「あ……?」
 渚はスマートフォンの画面を印籠のように突きつけた。
「ここに写っている画像は、昨日の夜中に警視庁の安田巡査が私に送ってくれたものです。ちなみに安田さんには、行方不明だったイブキくんが見つかったら真っ先に私に知らせてくれるよう、お願いしていました。私が姿を消しても律儀に約束は守ってくださったようです」
 幸崎が黙って眉根を寄せて画面を凝視したのち、渚はスマートフォンを風間にも見せた。
「これ、なんだかわかりますか?」
 画面の画像は、手のひら大のジッパーに入れられた白い木屑のようなものだった。併せて写っている定規からして、薄さは五ミリあるかないかだろう。細さも、ボールペンのノック部分の半分もない。
「行方不明だったイブキくんは、幸いにも現場からほど近い山中で見つかったそうです。前右足を折られていて、山の中のきのみや虫を食べて飢えをしのいでいたようでしたが、体調の悪さか嘔吐していました。その証拠品は、『吐瀉物か排泄物があったら調べて欲しい』という私の無理難題を聞き届けて、鑑識が最優先でしらみつぶしに現場を捜査し、見つけた吐瀉物を回収し、選り分けた末に見つけたものです」
「なんだ、これ……」
「骨ですよ」
 渚は淡々と答えた。
「調べによると、人間の尾骨の表面が削り取られたものだそうです。現場に犬歯が抜け落ちていることから、イブキくんは、死体を埋めようと犯人が持っていた骨盤に噛み付いたものと私は推理します。犯人が防御姿勢をとったのなら自然そうなるはずです。その時に、強力なシェパードの歯が尾骨を噛み、表面を削った。それをイブキくんは誤って飲み込んでしまった」
「イブキの骨折は、もしかして犯人の抵抗によるもの?」
「おそらくそうでしょう」
 渚の打てば響く答えが風間の耳をつく。
「犯人が、骨盤で前足を思い切り打ちつけたのではないかと思います。そうして骨折したイブキくんは、現場から逃げた……賢明だったと思いますよ」
 遠くでパトカーのサイレンが聞こえたような気がした。風間や幸崎がその音を警戒する中、渚は追撃の手を緩めない。
「私は安田さんに、その小さすぎる骨の欠片が、現場にあった骨盤の尾骨の表面と一致するかどうか、改めて調べてもらうようにお願いしました」
 渚はスマートフォンをしまうと、幸崎へとどめを刺すように強く顎を引いた。
「骨盤に傷はなかったそうですよ」
「っ……!」
「幸崎先生、あなたは遺体を仕込む際に、骨盤を念のため二つ用意していたのではないですか? 骨盤は男女の性差が最も出ますから、失敗はできないでしょう。〝予備〟です、あなたの大好きな」
 幸崎がレシプロソーをぐっと握る音が、こちらにまで聞こえんばかりだった。
「遺体を遺棄した現場はライトを用いたとしても薄暗く、あなたは犬に噛まれた骨盤に目立った外傷を見つけられなかった。けれど念のため、解剖で虚偽申告が疑われないように、予備の骨盤を土に埋めたんです。今回はその周到さが仇になりましたね」
「犬ごときが……っ!」
「あなたが筒木肇を模したまったく別人の骨を用意し、あまつさえそれを使って筒木肇の白骨だと虚偽の申告をした、揺るぎない証拠です」
「──幸崎総一郎ッ!」
 廃教会の遠く、浜辺から複数のスーツがこちらに走ってくるのが見えた。先頭は安田だ。
 幸崎は地面を蹴った。警察と風間たちの反対側に逃げ出そうと足を踏み出す。風間は万が一にも渚に危害が加えられぬよう、渚の腕をとって一歩を引かせようとした。
 その時、幸崎と目が合った。醜悪な笑み。どうして逃げて行く男と目が合うのだろうと思った矢先、幸崎は次の一歩をこちらに向けて踏み込んだ。
 手にレシプロソーがある。包丁を持つように両手で掴んで先端を向けてくる。
 何をしようとしたのか悟った時、風間は叫んでいた。
「渚──!」
 肩を押しのけた。渚が悲鳴を上げて、倒れこむ。
 光る刃がちらついたと同時に、腹に爆弾のような激痛がほとばしった。
「風間さんッ!」
 音が消えた。視界が回転して、自分が仰向けに倒れたのだと知る。
 仰向けになった風間を見下ろす幸崎の顔には、次の獲物を狙う醜悪な笑みが浮かんでいる。まだ終わっていない。まだ渚を殺せていない。そんな顔だ。
 倒れた風間は腹部に視線を下ろし、自分の腹に突き刺さる凶器を見た。そして、レシプロソーを持つ幸崎の手首を執念で掴む。
 だが、満身創痍の力では無意味な抵抗だった。
「やめて!」つんざくような悲鳴がした。
 凹凸を持ったノコギリの刃が、腹部から引き抜かれた。自分の腹の肉が裂かれて血が吹き出るさまを風間は目の当たりにする。
 同時に、薄れていく視界の先で幸崎が警察に取り押さえられた。それでもなお渚に向かって走ろうとする男を、安田が地面に押さえつける。抵抗する幸崎はレシプロソーを振るった。安田は手首のロレックスで刃を防ぐと、幸崎の腕を思い切りひねり上げた。絞め技で握力を失った幸崎の手から凶器が落ちる。安田は殺人鬼の背中に腕を回し、手錠に繋いだ。
「確保ッ!」
 風間がまともに周囲を見られたのはそこまでだった。
「風間さんっ、風間さん……!」
 渚の声がする。血の止まらない腹部を強い力で圧迫する何者かがいる。
 痛いと風間はつぶやこうとして、実際は引きつった呼吸しか出てこない。「いやっ」「やだ」と連呼する声が、いつか聞いた小さな渚の声と重なる。
 白い手に頬が包み込まれて、ぶれつつある輪郭が必死に呼びかけてきた。
「だめ……風間さん、こっち見て、お願い」
 ──小さな渚。
 今すぐ触れて抱きしめたかった。大丈夫だと背中をさすって、いつもそばにいるよと安心させたかった。そばにいてくれてありがとうと言いたかった。
 愛おしい。
 気づくのが遅すぎる。
 いつでも手を伸ばせたはずなのに。今、手を伸ばそうとするのに、届かない。
 ──ぼくはいつもそうだ。
 渚は寂しがり屋なのに、肝心なところでいつも自分は間違えるのだと、風間はうっすらと笑った。
「お願い……やだ……ひとりにしないでっ……」
 風間の伸ばした手は、渚の頬をするりとなでて、落ちた。
 死ぬのだなと思った。
「ご、め……」
 まぶたを開けていられず、ふっと意識が途切れた。

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