見出し画像

長崎のめがね

「ジェーンやっぱり、ああいうところに行くと気が重たいな」江藤は市電の車窓から町の様子を眺めつつも小さくつぶやいた。
「エドワード確かにそうだけど、あそこは一度は見ておくべきところ。もうひとつの教会はもっと気楽よ」

 エドワードこと、江藤は恋人の英国人ジェーンと長崎に来ていた。子供のころから日本に来ているジェーンは、日本語が達者で敬虔なクリスチャン。その彼女が一度行きたかったのが、教会が多くある長崎だという。
 そして長崎に来たのは一昨日の午後。昨日は江藤の希望で、ハウステンボスで夜まで遊んだ。そのあと長崎市内のホテルに移動して一泊。

 今日はジェーンの希望に従い、長崎市内にある有名なふたつの教会を訪問することにしていた。「さっきの教会は戦後に建てられたそうだけど、結構大きかったなあ」「ああ浦上天主堂ね。元々のは残念ながら原爆で大破」
 道路の上を走る市電、ときおりそこから走る衝撃と音。普通の鉄道に乗っても、線路の継ぎ目を意味するこの衝撃と音を感じるのに、なぜかゆっくり走る市電の方が、モーター音より大きく感じるから不思議だ。
 
「よりによって、原爆投下の当日に長崎に行くか。平和公園では式典をやっていたけど、遠くから見てるだけでもすごく気持ちが複雑だったよ」
「あらそう。大切なことだけど、いつまでも重い気持ち引っ張らないでよ。今日はムーミンの日でもあるのよ。もちろん、あのことは忘れてはいけないけどね」江藤と違いジェーンは気持ちの切り替えがうまい、楽しそうに車窓からの眺めを見る。
 江藤はスマホを手にいまいる位置を確認する。「お、そろそろだ。降りるよ」と言って席を立つ。

 電車が止まりふたりが降りたのは、「めがね橋」という名前の駅。道路の真ん中にある。市電はふたりが降りるのを見届けるように、そのまま動き出した。「さて、この先にあるのが眼鏡橋」
 「でも単なる橋でしょ。エドワードそんなの見て楽しいの?私は出来るだけ早く大浦天主堂を見たいんだけど」とちょっと不満そう。「だってガイドブックを見たらほら」と江藤は手に持っていたガイドブックをジェーンに見せようとするが、ジェーンは両手でそれを拒否。「それはいい、解ってる。ここから近いんでしょ。先に行くわよ。Let's Go!」

 ジェーンは、そういうと急に足を速めて先に歩く。「おい、ちょっと!」江藤はその後を追いかける。市電が走っている大通りから一本行くと川が流れている。ジェーンが川の前に来ると、歴史を感じる石でできた古い橋が目の前に架かっていた。「あ、これかしら」
 とつぶやくと、橋の前から少し川沿いに移動して、橋全体が見える所に向かった。ここで遅れて到着する江藤が追いついた。しかしジェーンの表情が渋い。「エドワード、これメガネじゃない」「は?どういうこと」
 江藤は、ジェーンが指差す方を見る。確かに石で出来た古い橋だが、反対方向までアーチが広がっていて、めがねのようにふたつの丸ではなく大きなひとつの丸にしか見えない。

「あれ? ガイドブックと違うな。これじゃあ、メガネというよりルーペだよ」「片目だけってこと、これそんなに大きな川じゃないから仕方ないのかもね」ジェーンは先ほどと違い、多少期待していたようだ。だがイメージが違うからとちょっとテンション下がり気味。「あ、違うこれ袋橋だ。眼鏡橋は隣だよ」と、江藤はスマホで位置を確認。

「なんだ、そういうことか、あ、下に降りられるよ」橋のたもとには階段があり、川のすぐ目の前に降りられる。ふたりはそのまま橋の下の道に降りて見た。すぐ目の前に川が流れている。この川の底は浅そうだが、柵もなく悪ふざけしたらすぐにでも落ちそうだ。

「上から見るのと下から見上げるのとでは見た目が違うなあ」「エドワード先に進もう」「え、せまいよそこ」江藤が止める間もなく、ジェーンはすでに橋をくぐろうとしていた。通れないことはないようだが、明らかに狭い。ジェーンは慎重に橋をくぐる、江藤も後に続く。

「あ!」「大丈夫か無理するな」
「うん、ちょっと滑ったけど平気」
 滑りやすい場所を、慎重にゆっくりと進むふたり。どうにか橋をくぐり終えて広いところに出る。するよようやくめがね橋の姿がはっきり見えた。

「エドワード! これは確かにめがねよ。Glasses!」
「アーチ状の橋の真ん中に橋げたがあり、水面と合わせてふたつの丸に見える。それでめがねか。しかしこんなのよく考えたなあ」江藤は、スマホをめがね橋に向けて一枚撮影した。そのままめがね橋に向かって川下の道を歩くふたり。あの橋をくぐってしばらく行くと面白いものがあると江藤は言う。「何?面白い物って」「行ってみればわかる」
 途中で飛び石があった。せっかくなので、ここで石を越えながら対岸に渡ってみる。川の真ん中まで来るとちょうど正面にめがね橋を見渡せた。

 袋橋同様に迫力あるめがね橋のすぐ目の前まで来たふたり、こちらは観光でも有名なので、橋の色合いも含めて袋橋より綺麗な感じ。全体的に黒っぽい石の橋で、継ぎ目がわかる様に白く塗られているから、よりインパクトがある。このままめがね橋を先ほどの袋橋同様に慎重にくぐった。
 いつしか先頭を歩くのは江藤。彼は壁の石を慎重に見ながら歩いてる。やっていることの意味が解らないのはジェーン「エドワード。さっきから何しているの」「ごめん、今忙しい。ちょっと待ってて」
 質問に一向に答えない江藤にジェーンは少しずつ不快な気持ちになる。ついに大声を張り上げた。「エドワード!さっきから何!!」
「あ、これだ見つけた!」直後に江藤の大きな声。
 江藤が指さす方を見ると、そこにはハート形をした石があった。
「え、なにハート?」
「そう、ネットの情報だけど、このハートストーンがあるからここに来たかったんだ」と江藤は口を緩める。ちょうど風が吹きジェーンの金髪が揺れた。その直後、ジェーンは江藤の腕にしがみつき顔を埋める。
「素敵。エドワードありがとう!」と顔を上げて耳元でささやく。江藤はジェーンの金髪を2度ほど撫でると、彼女の腰に手を置く。そしてふたりは黙ってしばらくハートストーンを眺めた。

ーーー
 
「ああ、腹減った。お昼は中華街でちゃんぽんだな」沈黙を破ったのは江藤。「うん、確かに。でもその後は大浦天主堂に行くわよ」
「わかってるよ。あとはグラバー園に行って、出島でディナーを食べて最後に、山の上から世界に認められた長崎の夜景を見るってとこだな」
「なんか休みで旅行に来たのに忙しいわね」
「今ゆっくりしたじゃないか。さ、もたもたしてたら時間が無くなるよ」そう言って、ジェーンの手をつないだまま歩き始める江藤であった。



※こちらの企画、現在募集しています(10/10まで)

こちらは38日目です。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
シリーズ 日々掌編短編小説 205

#小説 #掌編 #短編 #短編小説 #掌編小説 #ショートショート #100日間連続投稿マラソン #長崎   #眼鏡橋 #原爆 #エドワードとジェーン #ハートストーン #旅 #旅行

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?