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出発の花祭り

「どうしても出発するのですか」「そうだ。これは決めたこと。これは僕がが12歳のときから、疑問に思い続けていたことへの解決方法だとわかったからだ」

 29歳のシッダールタは、王族の身分でありながらそれを捨て、出家をするという。だがそれを全く納得できないのは妻のヤショーダラー。
「何が不満なの? 私の何がダメだったのですか? 私を捨てていくなんてひどい!」目に涙を溜め、悲しそうな表情で訴える妻。だが彼は妻の両手をしっかりと握る。
「だから何度も言ったように君が悪いのではない。13年前に君と出会って結婚し、過ごした日々は本当に楽しかった。だがそれでも今回ばかりは行かなければならない」

「そ、そんな!」ヤショーダラーの目から涙があふれ出る。だがシッダールタは妻の手を外し、視線を遠くに置きながら語りだす。
「悪いのはこの世の中だ。この前見たあんな綺麗な恰好をした僧は庶民のことを本当に何とも思っていない。痩せ衰えた老人や、死を前にした病人が街中にあふれているというのに......」

「生きた者はやがて老いて行き、そして病に倒れて死に至ること。それは誰もが通る道では」だが妻の訴えに対して、首を横に振って否定するシッダールタ。

「お前と別れるのは僕だって辛い。父とも別れるのはな」「ではなぜ?」「何度も言っている通り、それとは違うレベルのことを僕はやらねばならぬと確信した。これらの根本は『苦』である。だから僕は苦からの解放を考える。人々が苦しみから救われる道を見つけるまでは戻ってこないだろう」こう言ってシッダールタは、奥に引っ込んでしまった。

「お義父さまからも行ってください。今から出家なんて。ちょうどラーフラが生まれたというのに」納得できないヤショーダラーは、父王の部屋に行き、息子の暴挙を止めてもらえないか訴える。だが父王は既にあきらめの境地にいた。
「無理だろう。あいつの母マーヤーは、生んで7日後に亡くなってしまった。その直前に奇妙なことを言っておったんじゃ」「奇妙なこととは?」

「シッダールタが生まれた直後のことだ。右脇から生まれ出て7歩あゆみ、右手を上に、左手を下に向けて、『天上天下唯我独尊』と言ったとな」
「てんじょうてんげゆいがどくそん......」ヤショーダラーはこの不思議な言葉を唱えるとそのまま黙り込んだ。

「まさか生まれた赤子がいきなりそんな言うとは思えん。マーヤーが死の直前にいたのだから、すでに気が動転していたのだろう。
 だとしても彼は普通の王子とは違う気がしている。これはワシの直感だが、あいつはいずれ歴史に名を残すほどの偉大なことをするような気がするのじゃ」
「は、はあ......」
「つまりそういう男だ。彼の気の済むようにさせるしかない。お前は今まで十分あいつを支えてくれた。父として感謝以外の何物でもない。ヤショーダラーも辛いと思うが耐えてくれ。たとえワシが止めて言うことを聞くとは思えないからな」
 ヤショーダラーはうなだれて、乳母が抱いていた生まれたばかりのラーフラを大切そうに抱きかかえそのまま退室する。

 そしてその日の深夜、シッダールタは出家のためにひとりで王宮を出た。王子として身につけていた装飾品はすべて置いていったという。そしてのちに悟りを開き、仏陀(釈迦)として仏教を開くことになる。

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「は、夢であったか!」気が付けばいつもの寝室の情景が見える。
「皇子、如何なされました。少し汗をかかれておられますが」皇子と呼ばれし男は、額から鼻にかけて一筋の汗が流れ落ちた。そばに控えていた家臣のひとりが心配そうに近づいてくる。

「あ、いや大丈夫。心配ない。実は高貴な方の夢を見たのでな」
 目が覚めたのは、後に聖徳太子と言われた厩戸皇子(うまやどのみこ)であった。
 厩戸は起き上り着替えると、昨夜見た夢の意味を探る。
 仏陀となる前の王子シッダールタが出発するシーンを、なぜ見たのか考えるようになった。

「実は3日前にも似た夢を見た。あのときはちょうど生まれるときであったが......」結局厩戸は、自分では結論を導き出せない。やむなく自ら建立に関わったある寺院にむかった。そしてそこを護る僧にこの話をした。

「なるほど、皇子。では灌仏会をされるのは如何でしょうか?」
「かんぶつえ? それはなんだ」聞きなれない言葉に厩戸は首を傾げた。

「はい、仏陀の生誕を祝福する行事でございます。大陸ではすでに行われておりますが、まだわが国では行われておりません」
「なるほど、そういうことか。今やすべての権限を握られておる蘇我馬子殿と私の力で仏教否定派の物部一族に勝利したのも御仏の力」

「左様でございます。こうして大臣の馬子様や皇子のご尽力により、我が国も随分仏教の寺院が建ち始めてきました」

「うんなるほど。そういうお告げの夢かもしれん」厩戸は立ち上がる。
「よしわかった。灌仏会を早速やってみよう。えっと、いつ行うのが正しいのか」

「生誕の日は、4月8日と伝わってございます」僧は座ったまま表情ひとつ変えることなく答える。
「そうか、さてどこでやろう。間もなく斑鳩に立派な寺院(法隆寺)ができるが、そこまで待つのもどうかと思う。それにあまり私主導でいろいろやると『この大臣の与り知らぬところで』と、馬子殿が拗ねられるかもしれん。そうなるとなにかと厄介だからな」

 厩戸は腕を組み目をつぶってしばらく考える。そして自らの考えがまとまった。
「よし、ここは馬子殿の顔を立てる意味でも、彼が関わっている飛鳥の法興寺(飛鳥寺:後の元興寺)が良いな。4月8日ならまだ時間がある。悪いがさっそく準備をしてくれないか」
「承知しました」僧は静かに頭を下げるとさっそく立ち上がり、厩戸に一礼すると準備のため部屋を離れた。


 こうして推古天皇の時代、西暦606年に聖徳太子により初めて灌仏会(後に花祭り呼ばれる儀式)を行ったとされる。また記録上では、聖徳太子の拠点・斑鳩の法隆寺での聖霊会(しょうりょうえ)で、仏舎利と聖徳太子像を載せた輿を移動させた行事だという。


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シリーズ 日々掌編短編小説 443/1000

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