見出し画像

内省しすぎないで外に出よう!

病院や介護の現場では、多かれ少なかれ

死に向き合うことを経験します。

私の立場ではそう多く無いのですが、時々経験します。

その時に、自分の死についても想像してしまいます。

死んだ後はどうなってしまうのだろうか

自分は何のために生きているのだろうか

このまま生きていけるのだろうか

夜、布団の中で、いつか来てしまう終わりの瞬間を

頭でシミュレーションしてしまい

ものすごい恐怖心が湧いてくることもあります。

自分の世界が崩壊していくあの感覚は

思い出すと今でも恐ろしい。


死という重いテーマではなくても

日常の些細な失敗をきっかけに

何とも言えない苦しい感覚、不安や焦り、恐怖心

が湧き出てくることがあります。


そういうことに対して、私は内省します。

振り返り、内観、リフレクション、色々な呼び方があると思いますが

自分を内省好きと思うほど

大事にしている習慣の一つです。

内省
自分の考えや行動などを深くかえりみること。

ことバンク

仕事場でも、帰ってからも

毎日、毎月、毎年

決まったタイミングで

そして必要とあればいつでも

内省を行なっています。


しかし、内省には

危険な側面もあると感じています。

それは、視点が「自分」にばかり向いて

苦しむ危険性です。


仕事の責任が増えたり、子育てがうまくいっていない時

落ち着きを装うことで精一杯で

心身の不調に苦しんだ時期があります。

内省が好き、得意だと思っていた私は

それでなんとかなると思い

考えたり、紙に書いたり

必死になって内省しました。


考えても、考えても答えが出ない

さらに考える

考えて、考えて、考える

それでも答えは出ない

焦る

なぜなぜ?

どうして?

どうすれば?

思考はぐるぐる回る

問いは深くなったり

広がったりして変化する

それについていけない

そんな自分にもなさけなくなる

答えを出すことは

ますます難しくなってくる

そうして

エネルギーだけが消耗されていく…

あのとき

こんな風に、いくら内省しても

答えも出ないし、有意義な発見もない

エネルギーだけが消耗されて

苦しさが助長される

という時期がありました。


ここから抜け出せたのは

偶然にも、家族の影響で

外に出る


というきっかけが出来たことです。

内省することを中断し

ただ、外に出ただけです。

ノートやパソコン、スマホを閉じ

必要最低限の物を持ち

椅子から立ち上がって身支度を整える

そして靴を履いて、外に出る。

ただ、それだけです。


娘のトマト


外に出ると、自分の頭の中から

本当に外に出たように

パッと世界が切り替わりました。

たった自宅から半径50m範囲を歩きながら

空気の違いを感じたり

雑草を眺めたり

田んぼを眺めたり

遠くの音に耳をすましたり

特別なことをしていないのに

苦しさはどこかに消えて行きました。


外に出ることは、家に引きこもっていない限り

当たり前にしていることなので

その効果を全く実感していませんでした。

しかし、外に出ることを習慣の一つとして

取り組んでみた結果、私には効果があると分かりました。


普通に社会生活を営んでいても

頭の中に引きこもってしまうことがあります。

そのきっかけの一つが、内省しすぎることです。

自分を省みることは、次の一歩を見つける大切な習慣です。

しかし、視点が「自分」にばかり向いてしまうと

良いと思ってしている習慣が

いつの間にか、苦しみを作り出す習慣

に変わってしまいます。


息子のとうもろこし

答えが出ないなら

一度内省することをやめてしまい

外に出て、自然に触れたり感じたりしながら

視点を自分の「外」に向けてみる

スマホやパソコンの中にある仮想の外ではなく

現実の「外」へ

それが、意義のある内省を続けるために必要な

エネルギーを回復する習慣

になると思います。



続きはこちら


あとがき - note継続3ヶ月記念日のバッジが来ました! -

開始当初は、毎日書いていたのですが
頭の中に引きこもってしまうのでやめました。
その代わり、他の方のnoteを読んだり、コメントしたり
タイトルだけ書いてそのままにしたり
紙のノートにアイデアだけ書いて終わりにしたり
「外」に出る習慣を挟みながら、小さく継続しています。


この記事が参加している募集

読んでいただけるだけでも感謝です😊 サポートを頂けたとしたら、有料記事の購入に使わせて頂きます。