魂を還るべき処へ導く「ノスタル爺」〜藤子・F・不二雄の描くループ世界その2〜
藤子・F・不二雄の”SF(Sukoshi Fushigi)短編集”の中でも、傑作の呼び声の高い作品「ノスタル爺」が発表されたのは、1974年のことである。
前回に引き続き、「ループもの」と呼ばれるストーリである。
僕はこの作品を読んで、手塚治虫のある短編を思い浮かべた。
「火の鳥(異形編)」である。
手塚治虫のライフワークとして、未完のまま絶筆となった「火の鳥」シリーズの中でも、人気、評価共に高い作品である。
物語の冒頭が因果の始まりを示し、時系列を追っていくうちに、ループ構造が明らかになっていく。
「終わりのないループ構造」は、いわば出口のない迷路である。
第三者視点で時系進行順に描かれた火の鳥。
比較してノスタル爺のそれは、太吉の記憶を断片的に配置している。
太吉とともに記憶の欠片をかき集めることで、より一層読者を”迷い込んだもの”の焦燥や混乱、そしてそこから沸き上がる衝動へと駆り立てる。
この辺りの構成力は見事としかいいようがない。
30年前の故郷への帰還という奇跡を眼前にした太吉は、何かを悟ったようにある決断をする。
ちりばめられた伏線が一気に回収され、最終ページの太吉の暖かいものにつつまれているような表情がとても印象的だ。
太吉は、一体何に癒されたのであろうか?
その答えの手がかりは、火の鳥(異形編)のモデルとなる伝承のなかにあった。
若狭八百比丘尼の伝承である。
太吉にとって、30年間も終戦を知らずに暮らした兵士としての孤独の日々こそが、本当の無間地獄であり
再び本土に生還し、故郷の景色や時間の中で里子を感じることで、ついに彼は郷愁と同化し、その魂は浄化されたに違いない。
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