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自分を振り回す思考や感情から解放されるために必要だったこと

「お前が生まれてこなければな」

どんな状況で、どんな表情で父がこの一言を放ったかを、もう12年も前のことだけれど、今も鮮明に覚えています。

小学6年生のときにくらったこの一言に、何年も苦しまされました。

でも、だからこそ言葉の力がわかります。

僕は今、10代の学生から70代の経営者まで幅広い方の言語化に寄り添うのが仕事です。19歳の時から初めて、5年目です。

この仕事での僕の役割は何か。

クライアントの方が仕事や家族の中での役割から離れて、1人の人間として自分の人生を語りなおし、未来を思い描けるよう肯定的に耳を傾け質問すること。そして、それを整理し、伝わる言葉に翻訳することだと考えています。


<苦しかった時のこと>

父の一言から、僕は10代の大半を胸が苦しく、すっきりと息を吸えないような時間を過ごしました。

「なんで生きてんの?」「お前がいなければ両親は幸せでいられたかもしれないのに」「将来、どうせお前も愛する人を傷つける大人になる」

そういった言葉が頭をもたげて、過去にも未来にも光を見出せなくなってしまいました。考えるほど苦しくなるのに、考えないでいることはできませんでした。

死のうとしたこともあります。いろんな方法を調べました。

そんな苦しみの中、僕を支えてくれたのはたくさんの本たちと何人かの親切な人たちです。

心療内科にも通いました。

いろんな出来事があって、たくさんの運に恵まれ、時間をかけて僕の心は回復することになります。

<言葉にすること>

僕が回復していく過程で、特に大きな影響があったと思うのが、感情や考えを言葉にして書き残すことでした。

きっかけは、心療内科の先生の助言です。

日記を書いてくるよう言われ、書いているうちに少しずつ自分の感じていることを客観視し、受容できるようになりました。

後にACTという理論を知りましたが、そこで裏付けられている効果を体験していたのだと思います。

その時のことはこちらの記事に詳しく書きました。

かんたんに言えば、ACTは自分を振り回す厄介な感情や思考が湧いたとき、それを天気を眺めるように観察し、苦しむ親友にそうするように接することを訓練するふるまい方のことです。

嫌な感情や思考が湧いてきたとき、それを消し去ったり、無視したりしようとするのではなく、また自分を乗っ取られてしまうのでもなく、それをヒントに自分が大事にしたいものに気づき行動に反映する

それが前より何%かできるようになるだけで、ずいぶん生きやすくなりました。

この時(14歳頃)から今に至るまで、自分の考えを毎日書くようになり、小説に自分を支えられたこともあって、物書きになりたいと思うようにもなりました。

それからさらに4年後、高校3年生の時に、自分の人生を言葉で整理し、半自伝的な小説を書き上げることになります。

このころを境に、自分の今も過去も未来も、両親のことも含め受け入れられるようになり、生きることを肯定できるようになったと思います。

<もう半分の要素>

他のSNSでは言及できなかったことですが、感情や考えを言葉にすることは、回復のための要素の半分でしかありません。

先ほど述べた、自分を振り回す厄介な感情や思考が湧いたとき、それを天気を眺めるように観察し、苦しむ親友にそうするように接する訓練。

これを、始めのうちは1人でやるのが僕には難しかったし、そう感じる人も多いかと思います。

実は、重要なピースがもうひとつあるのではないか。

それが、良き他者の存在です。

良き他者とは、あくまで僕の考えですが、愛を持って接してくれることで自分が何を大事にしたいのか・どこへ向かいたいのかを優しく思い出させてくれる存在です。

僕にとっては心療内科の先生であり、高校時代の同好会の仲間たちでした。

こういう相手の存在を意識できたり、彼らからの反応や質問がないと、思考や感情の沼にハマったときになかなか抜け出すことができません(僕はそうでした)。

自分を無条件に大事に思ってくれる人を1人も想像できない状態だと、自分を大事にすべき理由が何もないように思えてきます。

まさに僕が中学のときがそれで、死にたくなっていました。もしあなたがそんな状況ならとてもお辛いと思います。

だけれど、そんな時でも、よくよく思い返せば、そこに愛があったなと思う誰かの行動が見つかるかもしれません。

弁当屋のおじさんがから揚げをおまけしてくれたり、交通安全のビブスを着たおばちゃんが気さくに話しかけてくれたり、ウーバーイーツのお兄さんが優しい笑顔を向けてくれたり。

そういう瞬間に感じたほっこりした気持ちを味わってみると、少し優しくなれる気がします。

その温かな気持ちを自分に1日にほんの少しの時間、紙に文字を書くときだけでも向けてみてはいかがでしょうか。

<言語化パートナー>

14歳から日記を始め、いつのまにか毎日何千文字か文章を書くのが習慣になって、19歳の時から取材ライターとして仕事を始めました。

相手から話を引き出して、伝わるように翻訳して記事にする仕事です。

それも今年で5年目で、他者の言語化に寄り添うというところは変わりませんが、仕事の幅は広がってきています。

今は、執筆や編集に限らず、対話によって頭の中を整理する手助けでも対価をいただいています。

今後も、たくさんの想いに触れ、言葉にするのを手伝いたい。自分の人生を少しでも愛せる人を増やしたい。そう思っています。


最後に。

僕は、これまで死にたくなるような悩み(貧困、病気、父のこと、死別)をいくつか経験してきました。

自分が嫌いで、自分の未来に絶望しか感じない時もありました。

でも今は、それら苦しみを乗り越えた経験と、2000冊ほどの読書、500本ほどの記事の執筆、基本的に人が好きで寛容だという特性・・

これらが合わさって僕が出会った人に提供できる価値になっているなと感じています。幸運なことです。

だから、14歳の自分に会えるなら、抱きしめて「つらかったよね」と言い、「生きててくれてありがとう」と伝えたいです。




サポートいただいたお金は、僕自身を作家に育てるため(書籍の購入・新しいことを体験する事など)に使わせていただきます。より良い作品を生み出すことでお返しして参ります。