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遊びたいと思わない子どもが増えていることについて

遊びたいと思わない子どもが増えているそうです。

自由な時間を与えられても、やることがない。「ただやりたいから」を理由に何かすることができない。

代わりにどんなふうに考えているのかというと。

「あとで何か言われても面倒だし、先に何してほしいか言ってよ。その通りやるからさ」

こういう姿勢でいるんですね。

周囲の大人から見れば、無気力な感じではあるものの“良い子”ではある。とはいえ、何がしたいのかがはっきりせず、後押しはしにくい。

僕の弟が以前こんな状態でしたし、先日とある高校に講師として呼ばれたときには生徒たちと接していて感じました。

職員室でも先生たちが「ここ数年の子たちはどうしてこんなに無気力なんだろう」とそんな話をしていました。

遊びたいと思わない子どもが増えている。

この話を聞いて、
なんだ、けっこうなことじゃないか。

と思っているとしたら、遊ぶ感覚を失うヤバさを知らないのかもしれません。

遊びで培われる感覚とは、主体性そのものであり、日本が世界と比べても深刻な状態にあるのは、その主体性のなさなのです。

主体性は、稼ぎにも幸福度にも影響する重要な要素です。


<遊びの価値>

遊びの感覚の価値を知るには、
遊びが楽しい理由を知る必要があります。

『きのくに子どもの村の教育』の著者で、「学校法人きのくに子どもの村学園」の学園長である堀 真一郎氏の見解を見てみましょう。

遊びが楽しい理由は次の3つです。

①心身の爽快感
②成長の喜び
③自由

この3つを僕なりの言葉に言い換えると以下のようになります。

この3つに当てはまらないのであれば、それは遊びというより単に快楽を求める消費であると考えています。

それぞれ見ていきます。

①心身の爽快感=すること自体が喜び

「遊びに夢中になると、えもいわれぬ、心地よい疲れを感じる心ゆくまで遊んだあとのこの爽快感こそ、遊びの最も直接的な魅力といっていいかもしれない」

遊びは、することそれ自体が目的であり、それによって何かを得ることが目的ではありません。

もちろん遊びの中での勝ち負けはあるでしょうが、遊びの外に出てしまえば関係はありません。

もし遊んだことについて、「ちゃんと遊んでて偉いね」とほめられたり、「公園で遊んだらお小遣いあげる」と提案されたりすれば、むしろ価値が毀損されてしまうでしょう。

②成長の喜び=研ぎ澄まされることが喜び

「 遊びの中には、適度の難しさがある。あるいは競争がある。たとえ一人遊びであったとしても、昨日はできなかったことが今日はできたという満足感がある。

この満足感が得たくて、子どもは難しいことに挑戦する。 挑戦し、その結果として『力がついた』とか『大きくなった』という実感が味わえる

大人がいう「遊びに行く」との大きな違いはこれでしょう。

「飲みに行く」とか「そういう店に行く」という意味での「遊び」は、快楽的で、たいてい集中力を必要としません。

快楽的な活動には、成長の喜びが伴わない。

遊びの感覚でやれることは、儲かるわけでも、褒められるわけではなくとも、上手くなることが楽しいと思えます。

③自由=他者には止められない

「 遊びはなんといっても自由な活動である。何から自由か。まず、 第一に物理的な制約からの自由がある。

小さな子どもでも、遊びの中ではスーパーマンにでも、お姫様にでもなれる。また小さな石ころ一つがダイヤモンドになり、棒切れ一本が魔法の剣になるのだ。

(中略)第二の自由は、大人の指図や評価からの自由だ。遊びに夢中になっている時、子どもは大人の目を気にしない。遊べと命令されて喜ぶわけでもなければ、点数で評価されることもない

遊びは、他者の評価から自由です。

コーチングっぽい言葉だと、自分の行動において権威が自分である状態と言えます。「want to」とも呼ばれますね。コーチングでは、「want to」な活動が推奨されます。

しかし、僕らは大人になればなるほど「こうすべき」とか、「こうすれば何も言われない」とか、そういう他者を権威とした行動が増えます。こちらは「have to」と呼ばれます。

この辺のことについては、僕がライターとしてサポートしたこちらの記事に詳しいのでぜひ読んでみてください。

<日本人の深刻な主体性のなさ>

先ほど述べた「自分が権威である状態」とは、

他者に罵倒されようが、無視されようが、一度失敗しようが「もういいや」となることなく自主的に行為を続けている状態です。

これはまさしく「主体性が発揮できている状態」と言えるでしょう。

そして、冒頭で述べたように、主体性のなさが日本の深刻な問題とされています。問題としているのは、僕ではなく経済産業省です。

こちらの資料を紹介させてください。

参考元リンク

ビジネスにおいて、クリエイティビティが占める割合の大きくなった現在、企業の発展を阻む最大の敵は「主体性のなさ」。

日本だけ生産性が低いのも、働く人の幸福度が低いのも、主体性が低いことが原因の1つとして有力です。

「未来人材ビジョン」によると、日本人は世界でもっとも交渉せず、主張せず、自ら学ばないというのです。

経産省「未来人材ビジョン」より

このままでは、今学生の僕らが社会人として活躍し始める2030年ごろには、日本の経済力は東南アジアでも最低レベルになるかもしれない。

と経産省も思ったのでしょう。

たくさんの専門家からベンチャーの経営者にまで意見を聞いて、「これからはこういう人材が求められる」と発表したのが「未来人材ビジョン」だったのです。

<好きなことにのめり込む人、国が求む>

では、経産省が最高の知見を統合して出した結論を見てみましょう。

これからの日本にはどんな人材が必要なのか?

経産省「未来人材ビジョン」より


あれあれ、ここに登場する言葉をよくよくみてみると、先ほど「遊びの感覚」について解説する中で出てきた要素ばかりではありませんか(#おまえが誘導したんやろ)。

「常識や前提にとらわれず」「夢中を手放さず」は、はっきりとそうですし、あとの2つも実は遊びの感覚とつながっています。

自分の外の世界への関心は、何かを掘り下げていく過程で芽生えていくものですし、他者との積極的な関わりはまず遊びの中で始まります。


自分と異なる他者と上手くやるのは、それなりに根気のいることです。異質性が高いとなおさら。

だから、根気よく他者と関わるのは、ほとんどの人にとっては誰かに促されても続けられることではありません。

そして、これは僕の観察ですが、遊びの感覚を失っている子ほど積極的な他者との関わり合いを避けています。

なんだ、こじつけが激しいなと思う方のために再び「未来人材ビジョン」に立ち返ると、こんなことも述べています。

経産省「未来人材ビジョン」より

僕の主張は、あながち間違ってはいないのではないでしょうか。

<遊びの感覚の逆にあるもの>

ここで、「遊びの感覚」の対局を考えてみたいと思います。

ふつうに考えれば「仕事」となるわけですが、仕事を「遊びの感覚」でしている人はたくさんいます。

ですから、遊びの感覚の3要素をひっくり返すことで、遊びの逆を考えてみましょう。

おさらいすると、遊びの感覚でやることは
①すること自体が目的で、
②研ぎ澄まされることを喜びとし、
③他者には止められない
のでした。

これをひっくり返すと
①報酬/罰の予見からすることで
②やらないですむ方が嬉しく
③他者にどう評価されるかでする/しないを決める

となります。

日々の選択がこうした理由で取る行動ばかりになると創造性は枯渇し、自己破壊的な言動が増えます。これをアメリカの小説家/映画製作者であるジュリア・キャメロンは「善人の罠」と表現していました。

一般的に考えると、この3つの条件を満たす活動はたしかに仕事なのかもしれません。それなら、自ら交渉せず、主張せず、学ぼうとしないのも頷けます。

自由に使える時間やお金があれば、心身の疲れの回復のために快楽的な活動に時間を使いたくなるかもしれません。

こうして並べてみてみると、どうみても前者(遊びの感覚でやること)の方が後者より楽しそうだし、健康的にもよさそうです。

にも関わらず、遊びたいと思わない子どもや主体性を失った大人が多いのはなぜか?

「こうしていれば大丈夫(稼げる・仲間外れにされない)」という信仰が強力だからではないか、というのが僕の仮説です。

長くなるので大雑把にまとめておくと、以下のようなフローを辿っているのではないかと考えています。

子どものうちに、親など権威となる人から
「あなたのため」と言われつつ、
「こうしていれば大丈夫」と信じることを
熱心に褒めと罰によってすり込まれる。
⬇️
しぶしぶ従って積み重ねてきたものを
失いたくない気持ちから、確実性の高いことをしたくなる。
⬇️
「こうしていれば大丈夫」で予定を埋めたくなる。

<こうしていれば大丈夫という信仰>

どうしてそういう仮説をもつに至ったかといえば、2つ理由があります。

1つ目。書店で平積みにされている本に、「こういう人が成功/失敗する」「これだけやれば大丈夫」みたいなタイトルが多いから。

手に取られると思っているからこういうタイトルにするのでしょうし、「これでおそらく大丈夫」「成功の可能性を高めるだろう教え」みたいなのでは手が伸びないのもわかります。

社会不安が大きいほど、こうした本は売れるんでしょう。

2つ目。400日間、大学生のたまり場に住んでいて、たくさんの学生と対話しての気づきから。わからないことや自分で決めることへの恐れを持っている人が多いのを実感しました。

TikTokや YouTubeショートが流行っているのも、自分で選ばなくていいのがウケているからだと言われています。視聴者はただスライドするだけでいい。

現実に則して考えれば、ある言動がどんな結果を呼ぶかは、確率の違いはあるにせよ、確定してはいません。ランダムと言ってもいい。

一つの原因が一つの結果を起こすわけでもありません。

料理で材料が一つ、あるいは工程が一つ違うとだいぶ味が変わりますが、人間絡みのあれやこれやは料理なんかよりさらに複雑です。

ですが、僕らはすぐ単純な物語で考えたがる。

こういう人は、こんなことになる。
こうしておけば絶対大丈夫。

そういうことにすれば、安心できるからです。不運や失敗は、自分にではなく、“私とは違う悪い人”に起こると思えばぐっすり眠れる。

「こうしておけばいい」に従っていればむずしく考えないですむし、結論が出ないモヤモヤした状態を我慢しないですむというわけ。

ですが、それは信仰であって現実ではなく、いずれしっぺ返しが待っていることの方が多いわけです。

それが普遍の真理だから、新書など一般向けの哲学入門の本を開くとこんなことが書いてあったりするのでしょう。

「ぼく、いい子にしてるんだから大丈夫ですよね?」そういった、 素直ではあるけれども無根拠な中間神話への未練を断ち切り、 柔軟な生き延びの戦略をみずから探し求めるたくましさを備えた思考の様式を。

三谷尚澄『 哲学しててもいいですか?』

<遊びの感覚でする他者貢献>

僕らを飲み込もうとする強力な「こうしていれば大丈夫」信仰。

完全に飲まれれば、僕らは自分の時間を生きることがなくなります。「こうしていれば大丈夫」は、自分ではなく他者が権威となっている行動だからです。無気力になってしまう。

それをやわらげる有力候補が、遊びです。遊びの感覚を育てることが、自主性を養うことであり、主体的に生きることにつながる。

遊びの感覚は、趣味だけで使えるわけではありません。

仕事や社会貢献、家族や友人との関係でも活かせます。100%ではないにせよ、1日のより多くの時間を遊びの感覚で過ごせるようにすることが充実への第一歩だと思います。

さて、遊びの感覚の価値は「する理由が自分の中にあり、報酬や罰によって他者に邪魔することなどできない」ところにあるのでした。

では、遊びの感覚で、つまり
①すること自体が目的で、
②研ぎ澄まされることを喜びとし、
③他者には止められない
ことで他者への貢献としている人のことを考えてみます。(たとえば、僕にとっての対話と執筆がそういうもの)

ある人が遊びの感覚でする活動を
他者の目線から見ると、こうなります。

すること自体が喜びだから、
過剰に見返りを求めない。

上達することが嬉しいから、
頼まれなくても時間をかけ、腕を磨く。

他者の声に惑わされないから、
強い信念を持っているように見える。

当人にとってはただそれだけのことですが、まさにそのことによって他者の信頼を集め、早く上達し、仕事を任されることでさらに強みが磨かれていきます。

また、遊びの感覚でやれることは主体性を発揮できることであり、そこで培われる力は不確実性に対処する知恵(反脆さを生かした戦略)そのものです。(反脆さについては、詳しくは下の記事から)

<最後に。1日10分からでもいい>

ここまで、遊びについてあれこれ書いてきました。

どんな感想を持っていただけたでしょうか?

僕は、社会にもっと遊びの感覚が必要だと思っています。ゆとりのことを遊びと書いたりするくらいですし。

遊ぶように仕事する人が増えたらいいとも思っています。

でも、仕事にしようと思って遊びを始めるなら、「こうしていれば大丈夫」信仰に陥っていないか確認した方がいいとも思います。

役に立たなくていい。
認められなくていい。
誰にも影響できなくていい。

ただやっていて楽しい。面白がれる。だからやる。

そういうささやかな行動を日々の生活で増やしていくことから始めたらいいと思います。

好きに絵を描いてみる。
気に入った形の石ころをひろう。
歌いたいように歌ってみる。
ずっと気になっていた小説を読んでみる。

1日に10分でも、やってみたらいいじゃないですか。

あなたの主観は、あなたにとっては紛れもなく最も大事なことですし、あなたは間違いなく大切で無条件で尊重されるべき存在です。

ではでは。


<お知らせ>

2023年7月、今回お話しした「遊びの感覚」を回復させ、夢中になれることがみつかれば背中を押すコミュニティを富山大学前に作りました。

その名も面白ベース。

この施設についての紹介記事の中で、
・面白がってて稼げるのか?
・リスクに対し脆い安全イズム思考

について、参考文献を紹介しながら詳しく書いてあります。

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