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もしも最愛の人を理不尽に奪われた時
あなたは、
その犯人に
何を望みますか?

これは
1人1人違うでしょう。

謝罪を求める者
反省を求める者
死刑を求める者
無期懲役を求める者
自らで裁きたい者
2度と関わりたくないと思う者
自殺する者

この世に実際は答えも倫理も道徳もない。

人の数だけ価値観があるだけで
本質的には、何もない。

さて、そんなこんなで今日は
火あぶりの刑を見てみます。

キリスト教において
火あぶりの刑は最も重い刑罰

でも、なぜ?
ってなる人も多い。

生きながら苦しませて殺すってのなら
生き埋めもあるし
拷問もある

なぜ火であぶり殺すのが最も重いのか?

ここに本質的な事がある。

そう、何においても
なぜ?を考えることに価値ある。

キリスト教とは
死んだら終わりではなく
復活を信じている教えです。

その復活の際には物体は必ず必要となります。
そのため、
キリスト教では亡くなった方に土葬が選択されていました。
魂が再び身体に宿る時に備えてですね。

これは実は古代エジプトの思想でもあります。
古代エジプトも、死者は必ず蘇るとされ
物体を大事に扱っていました
そう、ミイラがそれです。

その古代エジプトから脱出した預言者モーセによってユダヤ教が創造され
そして、その思想はキリスト教へと受け継がれます。

死者は物体さえあれば、復活する。とね

さて、そう信じている人間にとって
火あぶりの刑とは
どういう意味をもつでしょうか?

そう
思想による希望を根こそぎ奪うのです。

死刑であっても必ず復活できる!
と心底信じていれば、希望をもって死ねるのですが
物体が跡形もなく消えてしまえば
終わりを意味する
2度と復活する事はない
生まれ変わる事もない

まさに

一縷の望みも与えない

ただ拷問するのではない
ただ命を奪うのではない

相手にとって
1番のダメージとは何か??

それを与える

それが火あぶりの刑の意味ってやつです。

キリスト教信者にとって
最も重たい刑罰が
火あぶりの刑やったという訳です。

さて、

冒頭で聞いた事です。
あなたは、犯人に何を望むのか?

これは実は深い。
人間の心理が強く影響する瞬間です。

人間によっては
拷問が効果がない事もある
生き埋めが怖くない者もいる
火あぶりの刑も何とも思わない者もいる

むしろ燃えてみたかった
と狂言して焼身自殺する者はいます。

つまり、
何が1番のダメージになるか?
は、人によって全く違う

この恐ろしさです。

拷問すりゃ犯人が反省するなんて
人間はね、、
そんな簡単ではありません。

罪を犯した人間が
裁かれる事を希望する事は往々にしてある。
自分の罪の重さに耐えれず
裁きを受ける事で
救われる人間もいるのです。

そういう人間には
極論
裁かない。という選択が
1番苦しめる事もあるって事です。

残虐なNEW-Sが流れれば
一辺倒に
あんなひどい事する人は許せない!
死刑だ!!

って人もいます。

が、死を望んで罪を犯す者もいるんですよ?

その人間からすると
自分が望んだ事が次々に成功したって事になります。

ということで
人間の心理ってのはほんとに深い

心理学なんかでは
到底理解不能な事を
人間はします。

自分中心的な思考ではなく
相手の立場になって考える

キリスト教信者にとって1番のダメージとは何か??
を考えて刑罰を考えていた歴史。

相手を知ること。
それは、今も昔も
大事な事です









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