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#11『60年代』

僕は60年代が大好きだ。
それはきっと、ビートルズがいたからだ。
あるいはローリング・ストーンズやザ・フーやボブ・ディランやビーチボーイズがいたからだ。

人類の歴史において60年代は最も特別な時代だと言っても過言ではない。
メソポタミア文明だのインダス文明だの、はたまた明治維新だの、全て大したことはない。
60年代、いわゆるユースカルチャーの萌芽期こそ人類史において最も偉大な革命だった。
エジソンがトースターを発明したことによって我々の生活に朝食という文化が根付いたなんてなんのその。
僕らの生活に若者文化という概念が根付いた方がよっぽど大事件だ。

つまり60年代の文化の担い手がかつての世界大戦を知らないニューエイジだったっていうところが鍵になる。
第二次世界大戦以前と以後で文化の形は大きく変わった。
悲しいことだけど、かつては文化すらも国家に統制されていた。
音楽や映画やアニメーションは軍事的な目的で利用されることもあったし、はたまた、白人の音楽、黒人の音楽という明確な差別さえ存在した。
当然それにそぐわない文化は弾圧されたし、日本においても米英音楽は敵性音楽と呼ばれ国家によって排斥された。

そんな暗黒の時代を経て、遂に自由な時代がやってきた。
いや、若者たちが自由な時代を創り上げたのだ。
そのほとんどは50年代のエルビス・プレスリーの功績だと言える。
黒人の音楽と白人の音楽を融合させて歌うことに対する保守的な大人からの批難、彼のセックスシンボルとしての魅力が国家に弾圧され逮捕されそうになったこと、そしてその圧力を跳ね返すほど若者からの支持があったということ。
今当然のように成立する若者文化がエルビスというひとりの男の壮絶な闘いによって勝ち取られた権利なのだから、感謝してもしきれない。

そして時は60年代、戦争を知らない若い世代は50年代のロックンロールやブルースやR&Bの自由な概念を日常的に享受して育った。
やがて若者の自由なエネルギーがピークに達した瞬間、それがビートルズの登場だった。
50年代のロックンロールに対する新しい回答、それはオマージュであり否定でもあった。
かつてエルビスが、白人の音楽とはこうあるべきという常識を否定したのだとすれば、60年代のバンドはロックンロールとはこうあるべきという常識を否定したのだと思う。

彼らの底尽きることない創作意欲は全く新しい概念を次々に生み出した。
バンド自らが演奏、作詞、作曲、パフォーマンスをすることもそう、アルバムにコンセプトを持たせることもそう、他ジャンルとの融合や、今までロックンロールでは使われなかった楽器やコード進行やアレンジを加えることもそう。
60年代にロックンロールは飛躍的に進化した。
というか、音楽全体の幅が広がった。

また、かつてロックンロールの歌詞はほとんどがラブゾングだったが、ボブ・ディランというフォーク出身のミュージシャンの影響で、より日常的なメッセージ、あるいは政治的なメッセージが取り込まれるようになった。
他にも、ビーチボーイズの音楽性が精神世界のアーティスティックな側面を表現するようになり、ビートルズも対抗するように、中期から後期にかけて芸術性やユーモアが増していく。
ビートルズのサージェントペパーズとビーチボーイズのペットサウンズを筆頭に、60年代の音楽の革新性が語られることも多い。
あるいは、アンディ・ウォーホルの前衛的なアートがベルベットアンダーグラウンドという異端な音楽と融合することで、よりロックンロールは芸術性を高めていった。

彼らの創作意欲は、つまり戦後のカルチャーが自由な枠組みであったことに起因するだろう。
そして何よりも若者のエネルギーが想像以上だったということの証明でもある。
実際後のベトナム戦争に対する反戦運動は、音楽などのユースカルチャーが牽引して強力なムーブメントになっていく。
かつての戦争では疑うことすら許されなかったのに対して、60年代には文化を通して若者の意思が物事を動かす力になった。
それが、暴力ではなく音楽だったというところが今も美談として語り継がれる理由だ。

よく、音楽は世界を変えることができる、みたいなキザなキャッチフレーズで、ロックンロールとラブアンドピースを結びつけたがる人がいる。
それは恐らく、当時の反戦ムーブメントとか、あるいは愛と平和をテーマに開催された伝説的なイベント、ウッドストック・フェスティバルのイメージが色濃く残っているからだろう。

でも正直僕は、音楽が世界を変えることは不可能だと思ってるし、必ずしもラブアンドピースという思想を前提にする必要はないと思う。
10代の頃は、メッセージ性=社会的メッセージみたいな偏見を持ってたし、音楽に政治を持ち込むな論争とかには凄く頭にきてた。
小さい時から60年代の音楽を聴いて育った故に、あの時代のドラマティックな若者の闘争みたいなのに憧れていたんだと思う。
だけど、それはそれで60年代のシンボルとして現在とは折り合いをつけて、広い枠組みで音楽を聴く方が絶対に楽しい。
時代ごとにカウンターの対象は変わるに決まってるし、無理に対象を作って喚いてるだけじゃ、頭の悪い偽パンクバンドみたいで面白くない。
60年代には分かりやすい敵が存在したのは事実、逆にもっと個の内向的な部分が対象になる時代もあるだろうし、必ずしもネガティブなものだけが対象であるべきではないとも思う。
だってロックンロールは自由な枠組みで発展した音楽なんだから、こうであるべきだなんて言うこと自体おかしな話だ。

それに音楽なんて所詮、人の心を変える程度のものなんだから、大袈裟なことは言わない方がいい。
生き方を選ぶ時のBGM程度に考えた方がいい。

ひとつの目標に向かってみんなが力を合わすみたいな時代なんてとっくに終わってるんだから、若者のエネルギーを大人や社会に見せつけてやれ、みたいなカウンターの仕方は正直時代遅れだ。
個人がそれぞれ好きな生き方を選ぶ時代なんだから、どんな音楽があってもいいし、何を聴いたっていいし、洋楽を聴いてるから偉いとか、古い音楽を聴いてるからお洒落とか、新しい音楽を知ってるから最先端とか、そんな枠組みなんてもはや存在しないし、どれをとっても素晴らしいと思う。
だって、音楽なんて所詮、人の心を変える程度のものなんだから。
好きな音楽を聴けばいいだけのこと、そういう意味で現在が1番自由な時代だと思う。
それはビートルズが登場した時からの延長線で、ずっと文化やエンタメの枠が広がっていってることの証明だと思う。

ただ僕は時代と共に削ぎ落とされてしまった概念を惜しんだりもする。
ビートルズが生み出した、アルバムのコンセプトは残念ながらネット時代に薄れてしまった。
2000年代に入ってダウンロードという文化が生まれ、多くの人はアルバム単位ではなく1曲単位で音楽を聴く傾向になった。
かつてはコンセプトアルバムと言って、アルバムの曲を通してお話が展開されるオペラみたいな作品もあったりしたんだけど、今じゃほぼ死語かな。

ほとんど僕のエゴだけど、アルバム単位でアーティストを語れる人と飲む酒は美味い。
ベスト盤やあるいは1曲単位ではなくて、アルバム単位でちゃんと音楽を聴いてる人って好奇心が強い証拠だもん。
アーティストの意図を汲み取ろうとする探究心とか、リリースされたアルバムの流れでバンドの浮き沈みのストーリー性を感じようとする想像力が強いんだと思う。
だから、そういう人って音楽に限らず色んなことに興味を持ってたり、他の分野でも知識があったりするから、単純に話してて面白い。

逆に好奇心よりも優越感だけで音楽を聴いてる奴とか、インディーロックだけ、UKロックだけ、みたいな変な切り分けで音楽を聴いてる奴とはまじで飲みに行きたくない、地獄すぎる。
そういう奴らって共通して、マウントを取ることだけが生きがいになってるから話が噛み合わない。
言葉は通じるけれども話が通じない。
途中から魂が抜けて、相手が次々に出してくる手札をいかに興味あるように装うかの勝負になってくる。
おかげで僕のスマホには、パフォーマンスでメモった、奴らがおすすめする映画や音楽のタイトルがめちゃくちゃ残っている。
興味あるふうに演じた弊害ここにあり。

文化に優劣など無し。
あるいは好きであることが優良。
お前の優越感は、団塊世代の意固地な老害と違いなし。
あまりに不自由。
もはや、60年代の話は無関係。
書き始めの熱量も甲斐なく、取り留めなく終える。

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