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「許せない」感情の根源


人を許すことってどうしてこんなに難しいのだろうか。最近すごく嫌いな上司がいる。


感情的で、仕事ができない。仕事ができない上に人に命令したり偉そうにしたり、部下の成果をぶんどって自分が評価されようとしている。


 


そういう人間をみたのは初めてだし、過去にも最悪な上司に何度か遭遇したことはあるが、はっきりいうと6回転職した中でも最低中の最低だ。


 


私は、その上司がすごく許せない。


なぜなら自分が、絶対にこれはやってはいけない、こんなことする人は人間としておかしいと、自分が今まで自分に問いかけてきた呪いをそのまま体現するような人だからだ。


 


私は、昔から自分の尊敬できるかできないかというシンプルな思考だけで人を精査してきた。


 


この人は自分にとって価値のある人


この人は自分にとって価値のない人


そうやって打算的に人を選び人間関係を構築してきた。


 


それは、究極の自分への呪いということも知らずに。


よくよく考えてみると、人に対して価値を求めるということは、無意識の中に自分に対しても同じことを求めるということだ。


完璧でならなければいけない。


失敗してはいけない。


かっこ良くなければいけない。


 


人は、自分の鏡だ。


だから目の前にいる人が自分のかけてきた呪いを実行できないとすごく腹がたつし、怒りの感情でいっぱいになる。


 


自分が作ってきた「正義」を振りかざすことによって


より自分を苦しめる。


 


だから「許せない」。


自分が今まで努力してきたり苦しんで無理をしてきたことを自分自身は一番みているし、その頑張ってきた自分を正当化したいと思っている。


 


だから、頑張らない人や余裕をかましている人をみると自然に腹がたつ。


「かっこつけてるんじゃねえよ」って。


 


 


でも、それは自分のことばかりに視点が向いていて、周りが見えておらず「もっと自分を評価して欲しい」「もっと自分を褒めて欲しい」という気持ちの反動だ。


だから許せない。


 


「こんなに私が頑張っているのに、どうしてわかってくれないの?」と心の中で叫んでも誰も気づいてくれない。


 


「どうして頑張り続けなきゃいけないの、私だって楽になりたいよ」と思っても過去の自分の呪いが自分を縛り続ける。


 


この思考の繰り返しに人は苦しみ、自分の嫌なところをたくさんみなければいけなくなってしまう。


 


だから私は決めた。


もう自分を「許す」ために、人を「許す」ことを。


 


できなくたっていいじゃないか。


完璧じゃなくたって価値はあると。


 


昔から群れることが嫌いだったし、「私は特別な人間である」という自負があった。それなりに苦労もしてきたし、人一倍いろんな人にも触れてきた。


 


でも気づかなかった。そんな自分が一番自分を苦しめていることを。


 


「許せない」という感情を持っている限り


自分は自分を「許せていない」ということを。


 


言葉にできない苦しみを。


 


「自分を幸せにできない人は、人を幸せにできない」という言葉の意味がやっとわかった気がする。


 


だから、自分を許すために、他人を許そうと思う。


 


最近、こうやって文字に起こすことによって見えてきた感情や浄化できる感情が増えた。本当にありがたいことだ。


 


私は人に発信することが好きだ。だからこれを読んでくれた誰かが、一人でも、自分の呪いから楽になれたら嬉しいと思う。


 

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