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フリーランスへの道

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フリーランス生活17年。 フリーランスを選ぶまでの道のりを振り返ってみます。
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#エッセイ

働きかたについて考える

働きかたについて考える

ウェブ制作のフリーランスとして働いてはや17年。
ここに到るまでの仕事の変遷を綴るマガジン、第16回です。

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もうどこで終わりにしたらわからない状態なので、本日でこのマガジンも最後にしようと思います。

さて、フリーランスという働きかた。
これから増えて行くのでしょうか。

アメリカでは3人に1人がフリーランスだといいます。
すごいですよね。

日本ではフリーランスというと不安定で、収入も少

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法人化について

法人化について

ウェブ制作のフリーランスとして働いてはや17年。
ここに到るまでの仕事の変遷を綴るマガジン、第15回です

昨日、コミにティビジネス用の法人を仲間と共に作ったお話を書きましたが、その前に自分の会社を作っていたことを忘れてました。

割と早い段階で、個人事業主から法人化したと思います。
多分、個人で申告したのは2回くらいじゃないでしょうか。

とある人から、大企業のイントラのサイト作りのお仕事を紹介

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フリーランス生活始まる

フリーランス生活始まる

ウェブ制作のフリーランスとして働いてはや17年。
ここに到るまでの仕事の変遷を綴るマガジン、第13回です。

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「フリーランスへの道」というマガジンなので、ここで終わりでもいいのですが、まだ続けたいと思います。
フリーランスになったはいいけれど、その後どうなってくの?みたいな話が続きます。

僕がフリーランスを選んだのは、やはり体質的なものがあると思います。

ここまで書いてきて思ったのですが

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ついにフリーランスになる

ついにフリーランスになる

ウェブ制作のフリーランスとして働いてはや17年。
ここに到るまでの仕事の変遷を綴るマガジン、第12回です。

そのウェブ制作会社で働いて1年半ぐらいがたったころ
(どうも僕はこのぐらいのスパンでしか組織では働けないようです)
僕の粗が出始めました。

初めはすごく仲良くなれるのだけれど、馬が合わないとすぐダメになる。
その差が激しいのです。

社長ともかなりうまく行っていたのに、だんだん険悪な仲に

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ウェブ制作会社に入る

ウェブ制作会社に入る

ウェブ制作のフリーランスとして働いてはや17年。
ここに到るまでの仕事の変遷を綴るマガジン、第11回です。

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ボスのサイトが公開され、僕は仕事を広げようと、そのサイトを実績として仕事紹介サイトに登録しました。

そうしたら、大阪の会社から仕事をもらったり、神奈川のスタートアップから協業の話があったりと、少しずつ広がって行ったのでした。

でも、それだけで独立できるという感じでもなく。

そう

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ボスからの電話

ボスからの電話

ウェブ制作のフリーランスとして働いてはや17年。
ここに到るまでの仕事の変遷を綴るマガジン、第10回です。

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ある時、不意に携帯に電話がかかってきました。
なななんと、ボスからだったのです。

自分のホームページを作って欲しいとのことでした。
これまでも、外部の会社にお願いして作ったサイトは存在していました。
半年ほど前にリニューアルしたばかりだったように思います。

それを、よりによって、

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人との繋がり

人との繋がり

ウェブ制作のフリーランスとして働いてはや17年。
ここに到るまでの仕事の変遷を綴るマガジン、第9回です。

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さて、働くにしても何をやろうかなと。
とりあえずアルバイトを始めることにしました。

近所のファミリーマートにまず行って、面接、即採用。
深夜に働けば、お金になるなと思ったのでした。

そしてもう一つが警備の仕事。
これもなかなかお金になります。
基本ただ突っ立っているだけですが。。

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働こうと思った

働こうと思った

ウェブ制作のフリーランスとして働いてはや17年。
ここに到るまでの仕事の変遷を綴るマガジン、第8回です。

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多少のまとまった退職金までいただくという厚遇で、僕は音楽業界を離れました。

久しぶりにシャバ(?)に戻った感覚です。
1ヶ月くらいはぷらぷらしようと、ひょんなことから知り合った2丁目界隈の友人たちと遊び呆けていました。
(僕はのんけですが、まさかこんな世界があるとは、人生勉強の上でも

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自由な世界へ

自由な世界へ

ウェブ制作のフリーランスとして働いてはや17年。
ここに到るまでの仕事の変遷を綴るマガジン、第7回です。

重大なミスをいくつかやってしまった僕は、もうこれはクビだなと思いました。

やはりそこはプロの世界。
その通りになったのでした。
でも、とても寛大な条件を提示してくれたのです。

次の職が見つかるまでしばらく猶予をくれるというではありませんか。

とはいえ、僕は他に何をしようというあてもあり

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僕を支えていたもの

僕を支えていたもの

ウェブ制作のフリーランスとして働いてはや17年。
ここに到るまでの仕事の変遷を綴るマガジン、第5回です。

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初めの半年くらいは、やはり結構きつかったです。
あまりに環境の変化が激しすぎました。

今まで、パソコンの前でパチパチやっているだけであまり人との接点はありませんでした。
でも、付き人の仕事、というか音楽業界の仕事は、もう人と人の接点が全てみたいなところがあります。
みんないろんな思い

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付き人を始める

付き人を始める

ウェブ制作のフリーランスとして働いてはや17年。
ここに到るまでの仕事の変遷を綴るマガジン、第4回です。

僕は求人情報誌を見て、目を見張った。
某大物作曲家の付き人募集とあったのだ。

こんな求人情報誌に載っているものなのだろうか。
東京おそるべし、と思った。

この作曲家の曲は、僕はもう昔から好きで聴いていた。
まさかこの僕が、付き人なぞになれるのだろうか。

ましてや、憧れの音楽業界に片足を

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ブラックに飛び込む

ブラックに飛び込む

ウェブ制作のフリーランスとして働いてはや17年。
ここに到るまでの仕事の変遷を綴るマガジン、第4回です。

新卒で入った会社で渋谷本社に異動になって配属されたのは、ホテルシステムを開発している部署だった。

いよいよ本格的にお客さんと対面して仕事ができる。
僕は燃えた。
今思えば、若いからだろうが、パワーが溢れかえっていた。

かなり必死に働いたと思う。
しかし、無茶なスケジュールでホテルのオープ

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働きたい

働きたい

ウェブ制作のフリーランスとして働いてはや17年。
ここに到るまでの仕事の変遷を綴るマガジン、第3回です。

渋谷にある小さなシステム会社に就職した僕。
どこに住むかを検討することになるのだけれど、それほど悩むことはなかった。
その会社は本社は渋谷だが、出向先として南武線の武蔵中原という駅にある某F社もあり、どちらかで働くのか辞令が出るまでわからない状態だった。
なので、そのどちらにも一本でいける武

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フリーランスへの道

フリーランスへの道

ウェブ制作のフリーランスになってはや、もう17年近くがたつ。
曲がりなりにも家族3人、やっていけているのはありがたいことだ。
(妻も働いて、家計を支えてくれている)

就職氷河期世代の僕が、どういう経緯でフリーランスの道を選んだのか。
しばらくの間、note上にて、これまでの自分の選択を振り返ってみることにする。

前に自分の受けて来た教育を振り返ったものをnoteに書いたが、今度は僕の仕事の変遷

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