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働きたい

ウェブ制作のフリーランスとして働いてはや17年。
ここに到るまでの仕事の変遷を綴るマガジン、第3回です。

渋谷にある小さなシステム会社に就職した僕。
どこに住むかを検討することになるのだけれど、それほど悩むことはなかった。
その会社は本社は渋谷だが、出向先として南武線の武蔵中原という駅にある某F社もあり、どちらかで働くのか辞令が出るまでわからない状態だった。
なので、そのどちらにも一本でいける武蔵小杉に住むことにした。

23年前の武蔵小杉は今みたいに高層マンションが建っているわけでもなく、のどかな街だった。
借りた部屋は駅から徒歩15分くらいのところにある、家賃5万円ほどの風呂なしアパートだった。
今思えば、これも親からの刷り込みだったのだろう。
家賃に金をかけるものではないという意識が当たり前のようにあって、あまり迷わずに決めた気がする。
銭湯も遠かったなぁ。

まぁ、特に不便とも思わなかったけれど。

最初は武蔵中原で働いた。
まさにサラリーマン生活だ。
僕らのような出向組はスーツではなかったけれど、F社の社員はみんなスーツ。
そんな人たちに混じって、出勤する僕。
学生のころに絶対に嫌だと思っていたような社会人生活を僕は送っていた。

しかも、派遣社員だから頭数だけあってればいいのか、特に仕事がない。
同じ会社の先輩たちは、仕事もしないで、喫煙ルームでタバコをふかしてばかり。

僕は働きたくてしょうがないから、隣の真面目そうな先輩にバグの修正やら細かい仕事を分けてもらっていた。
その先輩は技術力がかなりあり、社内でも一目置かれている人だった。
毎日毎日、カタカタカタカタ、パソコンを叩いては、お昼ご飯を食べ、机に突っ伏して昼寝をして、午後もカタカタやって、夕方に帰るという生活パターンを繰り返していた。

僕はこんな生殺しみたいな生活を一刻も早く脱出し、渋谷の本社でバリバリ働きたかったので、本社に戻りたい戻りたいと事あるごとに言っていた。
しばらくして社長面談があり、隣の先輩が後押ししてくれたこともあり、晴れて渋谷に異動となった。

渋谷では僕の希望通り(?)、なかなかハードな仕事が待ち受けていた。

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