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ウェブ制作会社に入る

ウェブ制作のフリーランスとして働いてはや17年。
ここに到るまでの仕事の変遷を綴るマガジン、第11回です。

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ボスのサイトが公開され、僕は仕事を広げようと、そのサイトを実績として仕事紹介サイトに登録しました。

そうしたら、大阪の会社から仕事をもらったり、神奈川のスタートアップから協業の話があったりと、少しずつ広がって行ったのでした。

でも、それだけで独立できるという感じでもなく。

そうこうしているうちに、収入の大きな柱だった五反田の音楽ウェブコンテンツの仕事が終わってしまいました。
ま、大したことをしていなかったので、これは妥当な判断でしょう。

さて、次どうしようかなと思っていたら、今度は、よく遊んでいた2丁目界隈の友人から、ウェブ制作部門を立ち上げたばかりの会社があって紹介してあげるという話がありました。

これまた人との繋がりからの仕事の話です。

そして面接を経て、その会社に僕は入れてもらったのでした。

それがまたちょっと変わった会社だったのです。
先に入社していた僕の友人の知人と、僕ともう一人の女の子社員の3人以外は、ある宗教団体に所属している方たちだったのでのでした。

でも、なんの問題もありません。
かえって、みんないい人たちばかりで、快適に仕事をさせてもらっていたのでした。

求人サイトを立ち上げようとしていたのですが、東大の学生に開発してもらっていたプログラムがうまく動いてくれず、それを僕が動くところまで持っていったりと、そこそこ役にたつことができたと思います。

ウェブのプログラム言語は、僕が卒論でやっていたc言語や、新卒で入った会社でやっていたプログラムに比べれば、趣味レベルの感覚でちょちょいとできたのです。その当時はPerlという言語を使っていました。

そこで働いて1年半くらいたったころ、僕はまたも辞めるという選択をすることになるのでした。
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つづく。

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