見出し画像

創造と「ぼくのかんがえたさいきょうのなにか」【熱帯】

なにかを創り出すことが苦手だ。

感性は鋭くないし、想像力の視野も狭い。強いて言うなら、文脈を読む力はあるかもしれないが、どうやってもあまり自信というものが持てない。

そんな調子だから記事のテーマを決めるとき、いつも煮詰まる。詰まって詰まって詰まって、にっちもさっちもいかなくなって「さぁ、やばいぞ」と逃げ出すように散歩へ出かける。

冴えた頭で思考して、さらに考え、熟考を重ねて、どうしようもない課題について悩み始めたあたりで、どうにかこうにか絞り出したように、やっとこさテーマが決まる。

要するに無いのだ。センスが。これっぽっちも、砂粒の一欠片ほども、無い。

これまでの人生に使えそうなものはないか? と振り返ってみるけれど、見つかるのは”センスない説“を強める証拠ばかり。まったくもって心当たりしかない。

「なにをしたいのか?」と問われても、「そちらはどうしたいですか?」という圧倒的受け身な姿勢。ゲームでは、「いのちだいじに」。幼少のころから励んでいたサッカーではデイフェンスだった。敵からボールをとって、とりあえず前線へボールをつなぐ。無理そうだったらコート外へ出す。世のサッカープレーヤーから「なめてんのか?」と罵倒されても仕方のない、過剰なまでの保守的スタイル。

そもそも、人と関わるのが苦手なタイプだった。見放されて、からかわれるのが嫌で、顔色ばかりうかがっていて。自分の意思に価値を感じないから無意識にどこかへおいて。置いたことすら忘れ、意思の存在すら消してしまう。幾年か経って見つけても、その意思に英気は無い。

とはいえこんな僕でも、違和感を感じることはたまにある。さぁどうするか。かなりの頻度で遭遇する、分かれ道だ。

計画A・たくさんの本から拝借した一丁前のペテンを武器に噛みついた場合、おそらくテーマを考えるはめになる。といっても斬新なアイデアなど生まれないもので、ゾンビのようなテンションで流浪の旅にでることになるだろう。そうやって絞り出したアイデアすら「つまらない」といわれたら、どうするべきか……。

計画B・決まっている、日本には古来からこんなことわざがあるじゃないか。「沈黙は金」意見も違和感も、すべて沈黙を貫くのだ。目立たなければ矢面に立つこともない。

基本的にはお察しの通り、計画・Bだ。といっても冒頭のように、どうしても考えなければいけない場合もあるのだけれど。

しかしここまで積み重ねるとなんとなく、思うことがある。

つくりだすセンスが無い者は、考える権利も、意見する権利も無いのかもしれない。

絶対的なこの世の真理に、行き当たってしまった気分である。

――――――

創ろうとするからいけないのだと僕は思った。自分はただ忘れているだけなのであって、創られるべきものはすでにそこにある。―中略—「創造の魔術とは思い出すことなんだ」

森見登美彦さん「熱帯」の一説だ。

なるほど、たしかに。創り出す、生み出す、と思うから苦手なのかもしれない。

無から、なにかを創り出すことは難しい。アイデアを出せる人や、やりたいことが止まらない人みんな、僕には雲の上の存在に見えてしまう。

けれど今までの記憶や経験、感動をちょっとずつ組み合わせて、「ぼくのかんがえたさいきょうのなにか」を創り出すことは、決してできないことではない。

無いものをねだるんじゃなくて、有るものを探し創る。

子どものころはきっとやっていたことだ。いつからか「創る」という言葉に捉われて、思い出し、集め、繋ぎ、編み上げる、創造の本質を忘れていた。

ちゃんと細かく思い出して、おもしろい部分をを説明できれば、しっかりとした考えのもと、意見が返ってくる。否定はトゲが消えて、次の糧になり有る……かもしれない。

忘れていた創造の仕方。もし違和感をもったとさかは借り物で、ペテンすれすれだけど、噛みつくための武器もある。

問題は思い出すこと。散歩には、どっちみち出かけるはめになりそうだ。


この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!
ありがとうございます!とっても嬉しいです!
19
毎日を繊細に。 ライター 本質とストーリーを伝えられる人になりたい。 【お仕事募集してます】ご連絡は下記まで takakouki1030@gmail.com 料理とカメラが趣味です http://www.instagram.com/neko_ha_neru/

こちらでもピックアップされています

#みんなの文藝春秋
#みんなの文藝春秋
  • 63本

「私は頼まれて物を云うことに飽いた。自分で考えていることを、読者や編集者に気兼なしに、自由な心持で云ってみたい」。「文藝春秋」を創刊した理由として、作家・菊池寛はこう言いました。つまり、「文藝春秋」とはクリエイターによるクリエイターのための雑誌だったのです。その精神を引き継ぎ、noteクリエイターによるnoteクリエイターのためのマガジンをここに作りました。「#みんなの文藝春秋」でどしどし記事をお書きください。記事の感想でも、コラムでも、小説でも、「文章」であれば、なんでもあり。編集部がピックアップしてこちらにまとめます!

コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。