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名前は「呪い」で「祈り」で「願い」なのだ。

僕にとって自分の名前は、どこまでもついてくる重荷、いわば「呪い」だ。

目につくたびに意識して、気持ちが疲れててしょうがない。けれど他人の名前を聴き、世代を超えた「祈り」に思いを馳せると、重荷だった名前はまるで嘘のようにふわりと軽くなる。他人の目から自分を見つめることで、いつのまにか自分の名が、応えるべき目標となっていたのだ。

だから。

僕にとって自分の名前は、そう在りたいと自らを奮い立たせる「願い」でもある。

名前は「呪い」で「祈り」で「願い」なのだ。

・・・

駅に着くなり、電車は放流を始めたダムにように人をはきだす。

あふれ出した人々の行動は一律だ。階段を下りて、次なる目的地を探すべく上を見上げる。

新宿駅。世界でも指折りの利用数を誇る駅の人通りは、深夜までやむことがない。利用しているほとんどの人が、天井でふさがっているのに空を見るみたいに顔を上げていて、なんだかおもしろかった。「天井から広告を吊り下げれば効果高そうだな」とぼんやりと思ったけれど、「それはそれで案内板の邪魔になりそうだな」って一人で解決した。

見上げた先には壁があって行き止まりで、思いついた考えはふさがっていて。なんだか、社会の縮図のようだ。ただし現実の場合は、行き先をふさぐのは、完璧に反射のない透き通ったガラス。事前に気が付けないこともしばしばなのだが。

・・・

見上げる、と聞くと思い浮かぶのは自分の名前のだ。

昂希。

はじめて名前の由来を聞いたのは、幼稚園の卒園に向けた発表会のときだったと思う。発表会の内容は王道のもので、参加した親御さんたちのなかには泣いている人もいたような気がする。

特徴的なのは発表会の終盤に、自分の生まれた日付と名前の由来、そしてこんな子どもに成長しました(「子どもに成長する」って言葉ちょっとおもしろいな……)、ということを大声で保護者席に聞こえるように報告する点だ。

そのためには、名前の由来を事前に聞く必要がある。そうして僕は名前の由来を知ったのである。

「だんだんと昇っていくような、昂る希望を持ってほしい」

聞いた当時は特に悩むことはなかったけれど、中学生を過ぎたあたりから「名前負けだ」と思うようになった。見上げた先にはいつだって天井があったから。今もそれは変わらない。

希望を根気よく昇らせていく芯の強さもなければ、テンポよく昇らせていくセンスはなおさらありそうにない。そもそも、看板のように掲げられるほどの希望をまだ見つけられていないし、見つけられる気がしないのだ。まったく持って高い天井である。超えることも触れることすら叶わない。

ずっとそんなことばかり考えているから、だんだんと名前が質量を持ってズシンとのしかかるようになってきた。昂る希望、僕には少し荷が重い。

とはいえ、10年以上たっても鮮やかに思い出せるほど強く心に焼き付いているのもまた事実。いやへばりついて離れないのか。

どちらにせよ、それだけ心のど真ん中に居すわる何かがあったのだろう。

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ここまで名前についてとやかく言っておきながら、実は、他人の名前に込められた意味を聞くのが好きでもある。もちろん、その人が名前についてどう思ってるかに注意しながらだけれど。

友人や知人の名前に込められたエピソードを聞くと、想像でしかないけれど彼らの父と母の顔が、祈りが、ぼんやりと輪郭を帯びてくる。輪郭のピントは奥へ奥へと定まり続け、両親の祖母や祖父、子子孫孫の、時間を超えた遥かな想いが鮮明になる。

積み重なったそれを目の当たりにしたとき。自分が、脈々と紡がれてきた祈りを、名前という言葉にして友人・知人を呼び掛けられる役につけた光栄さに、圧倒されてしまう。


受け継がれてきた祈りのバトン。他人の名前に想像を馳せるとき、自分にもまた、こめられてきたものがあることに気がつく。父と母の、祖母と祖父の、そしてそれ以上の先祖の想いが、僕の名前にも込められている。

けれどやっぱり名前は重くて、分不相応なことには変わりなくて。

だから、僕の名前は僕自身の願いだ。希望が昂っていく、まではいかなくても、控えめで小さくていいから、掲げられる看板を見つける。かっこ悪い目標。だけど自分の名前への、たった一つの答え。

・・・

新宿駅を、今日も人が埋めつくす。電車をでて、地下で案内板を確認した。もう道は覚えたけれど、なんだかついつい上を向いてしまう。もしかしてみんなも、クセで見上げているのかもしれない。そう考えると、ほっこりした気持ちがわいてくる。

地上に出ると、まぶしいほどの日差しが出迎えてくれた。快晴。グラデーションを描く濃い青に、真っ白な太陽が高く昇っていた。

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