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【交換日記9】闘病中の心理職が健康について語ってみた

夜分遅くにこんばんは!ぽんずです🐼

前回のおだし日記に心打たれ、100スキしたい気持ち。

“他者を知って自分を助ける 私はこの体験から、自助グループを連想しました。 自助グループとは、同じ問題を抱える人たちが集まり、交流する中で、問題を分かち合い、理解し、気持ちを整理したり問題を乗り越えるために支え合うことが目的のグループ。 SNSで他者の闘病記に触れるということは、この作用に近いものがあるんじゃないかなと思うのよね。 自助グループみたいに相互的なものではないにしろ、同じように悩み苦しむ相手の存在やその思いを知ることで自分の理解や支えになるというところは近いんじゃないかな。 だから、自分のこの発信も意義のあることになればいいな、なんて、思った次第です。 自分のためにも、誰かのためにも。”

前回のおだし日記より

同じ苦悩を持つ人の存在って大きな力になるものですね。

しかしながら…
実は私、自分と同じ病気の方の闘病記って見たことがないんです。ビビっちゃって。
(代わりに?職場の方が見て有益情報を教えてくださってます笑)
それはそれで在り方として良しとする一方で、その選択をしたために同じ苦悩を抱える方の存在でしか得られない心強さを享受できていないのは確かです。

だから同期の心理職、且つ悔しい思いを抱えながら闘病しているおだしちゃんは私にとって本当に貴重な存在です。

1人でも多くの同志の方に届けたいね、おだしちゃん!

“健康”ってなんだろう

2023年、確定診断を受けた当日に病気平癒で有名な神社へ祈願に行った際、願い札に『健康を取り戻す』って書きました。
最近それをふと思い出して、健康までまだ程遠いなぁ…なんて切なくなってたんです。

そんなとき、タイミング良く“健康”に触れる機会がありまして。
私が目指す“健康”はどんなもんなのかしら~と思ったのでちょいと書いてみます。

健康=病気やケガのないこと??

願い札を書いたとき、私はそう認識していました。
そのときに小学生の頃の『健康観察』があったら、きっと私は『はい、元気のはずだけど病気です!(=健康ではありません!)』って返事をしたでしょう。
(皆さんの学校にもありました?名前を呼ばれたら『はい、元気です!』って返事をする出欠確認の制度。名称は地域によるのかな)

しかし、少子高齢化が進む現代社会、その捉え方だとちょっと苦しい場面が出てきそう…とも思います。

一般的には年を重ねると体の不調が身近になりやすいものですが、果たしてご高齢の方は不健康なのでしょうか?
たとえ病気や体の痛みを抱えていたとしても、エネルギッシュだな~!と感じさせる方もいらっしゃいますよね。私の祖母もいろいろと薬を飲んでいますが、せっせと畑仕事をする姿はとても溌剌としています。
当時の私の認識『健康=病気やケガのないこと』に沿って考えると、そういう方も健康ではないということになりますよねぇ…。

さて、わからなくなってきました笑
原点に立ち返ってWHO(世界保健機関)の定義を見てみましょう。

WHO憲章では以下のように定義している。
「健康とは、肉体的、精神的及び社会的に完全に良好な状態であり、単に疾病又は病弱 の存在しないことではない。」
“Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.”

第一部 健康長寿社会の実現に向けて~健康・予防元年~|厚生労働省

どうやら『健康=病気やケガのないこと』というのは必ずしも正しい認識ではなさそうです。

“健康”というと『体やメンタルに不調がないか』みたいなところに注目しがちですが、“社会的に”という視点も健康を語るうえで外せないポイントなんです。

“社会的に”健康ということ

特に強い不調が続いたとき、ご自身が社会と離れてしまったような感覚をお持ちになったことはありませんか?(私は度々あります、本当にしんどい)
体が不調であれば思うように動けないでしょうし、メンタルが不調であればネガティブに極まった考え方をしがちです。
そうすると社会参加が難しく、断絶されているような、ひとりぼっちになってしまったかのような感覚に陥りやすくなります。

勿論病気やケガのない状態が最も好ましい、というか闘病中の我々が目指している姿です。
ただ、病気やケガのある状態でも“社会的健康”を達成できる可能性があります。

意識を自分の外(社会)へ向ける。
オンラインでもオフラインでも良いので、家族や友人・知人(=自分以外の誰か)とコミュニケーションをとるなど何かしらの社会活動(公私どちらでも)へ参加する。

すなわち、身体的健康が達成されていない私でも、ちょっと社会に意識を向けることで社会的健康を得られる可能性があるし、それに付随して精神的健康も向上できるかもしれないということです。
(この場合、社会的健康と精神的健康のどちらがニワトリでどちらが卵かはわかりませんけどね)

私の目指す“健康”

ズバリ身体的・精神的・社会的に完全な健康!!!
ですが、これは長期的な目標になりそうです。

今闘っている病気はおそらく一生付き合わないといけないものだし、寛解するにしてももうしばらく時間がかかりそうだなぁという感じです。
ということで、病気がある状態でも精神的健康、社会的健康を達成する!を中期目標にします。

…言うは易く行うは難し。
病気と一緒に生きていくって覚悟が必要ですよね。

正直まだ受容しきれていないのでいろいろ思うことはありますが…
一旦、いろんな制限はありつつも今うまくいっているところは維持して、課題を1つずつクリアしていく必要があるんだと思います。生活や仕事の仕方を確立するのが短期目標かな。
自分にもまわりにも無理のないやり方というのはまだまだ模索中だし、一進一退なのが闘病あるあるだと思うのでコントロールしづらいところですが、少なくともできるセルフケアは積極的にやっていきたいです。

一部お伝えすると、前の記事で『副作用で皮膚がよわよわ~』的なことを書いていますが本当にびっくりするくらいよわよわでして。
先月、手だとペンが当たる部分やバッグを背負うために最初にかける部分が痛くなってしまってADLの顕著な低下を感じました。
指の先や関節あたりの皮膚が痛くなると、パンツを履くのもやっとのこと…。生活のちょっとしたことができない!自分の尊厳が保てない!と泣きながら病院に電話して助けてもらいました。
そういう状態になると現状維持は難しいので、その経験を踏まえて今月はペンを使わない、バッグの持ち方を変える、手を洗う度に保湿する、お皿洗いは家族にお願いする、ペットボトルのふたなどちょっと固いものは家族に開けてもらう…などなどサポートしてもらいつつ自分でもできる予防策を試しているところです。

闘病・療養していると、身体的健康から遠い自分が切なく悔しく感じますよね。
正直、こうやって偉そうに文をしたためている私も『もうやだよ~前みたいな“普通”の生活がしたいよ~~』とご近所迷惑にならない程度に泣きわめくことがあります。いやだってめちゃくちゃ辛いもん。こんなん全部投げ出したくなりますって。

目標に向けて治療頑張るぞ!といつも前向きでいられるわけではありませんが(ぶっちゃけ半分はべそかいてる)、自分はどういう生活がしたいんだっけ?この先どう生きていきたいんだっけ?と立ち返り、その実現に近づくために今できることを探してみるというのはとっても意義のある作業だと思います。

病気と共存しなければならないとしても、より良く生きていきたい。
自分らしい人生を歩みたいし、成し遂げたいことも沢山あります。
そのために今できること、やるべきことを着実にこなしていきたいな。

ひゃあ、熱く語ってしまった。
駄文ですが、よろしければ皆さんにとっての“健康”を考えるヒントにしてください。

▼専門的な視点から書いてらっしゃる記事がありました!
堀毛裕子先生「文化と健康・病い・ウェルビーイング」|公益社団法人 日本心理学会

質問返し

Age Factoryさん聴いてくれてありがとう!
おだしちゃんのおすすめハレルヤも拝聴しました^^
サビの部分を聴いたことはあったけどじっくり聴いたのは初めてだったよ~。
オリジナルの渋さも好きだし、Pentatonixさんのあの開けていくような感じ(語彙力なくてごめん)もドキドキした!
こちらこそ、素敵なHalleluiahをありがとう♡

行ってみたい国

スペイン良いな!
確かに晴れてて気持ち良い気候なイメージ^^

英語が喋れない!!!という圧倒的弱点から海外旅行にはあまり積極的ではない人生だったんだけどね、世界遺産は見てみたいなぁって思う!
有名どころしか知らないんだけど、ヴェルサイユ宮殿とかモンサンミッシェルとか見てみたいからフランスに行きたいなぁ。

んんん、旅行したくなってきた!

▶おだしちゃんへの質問
《座右の銘は何ですか??》
私はその時々で変わるんだけど、最近は『七転び八起き』!
小中学生の頃は『5分前行動』だったよ!

ではでは、ぽんずでした🐼

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