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【日本にはない景色がそこにはある】あなたが書く小説の可能性を広げる世界文学の世界(2014年5月号特集)


※本記事は2014年5月号に掲載した清水義範先生のインタビューを再掲載したものです。
※文中の数字は注釈となっています。詳細は記事末尾をご覧ください。

真似は勇気ある挑戦

――世界文学を読む意義は?

 小説を書こうとしたとき、日本文学しか見ていないのは断然損ですよね。日本が文学的に劣っているということはないんだけれど、世界文学には圧倒的な広さがあるわけだから、それはサッカーが好きな人がJリーグしか見ないのと一緒です。世界には大変示唆に富んだ名作がいくらでもあり、さらに翻訳されているものはすでに一回出版社のフィルターを通っているわけだから、そんなにくずに出会うこともないし、一段レベルの高いものと接することができるんです。

――日本の近代文学自体が世界文学の影響で生まれていますよね。 

坪内逍遥が『小説神髄』で、❶勧善懲悪なんて書いている場合じゃないんだ、小説は人間の感情を書くものなんだと言ったのだって、世界文学に影響されたものですね。

――写実主義ですね。

 そのあと自然主義が出てきたのも、ゾラなどを読んで、人間の心理をそこまで追求するのかと刺激を受けて、そこから生まれてくる。日本の自然主義は私小説に流れていってしまうという❷変な育ち方はしますが、それでも最初はまじめに西洋の自然主義を日本でやろうとしたのだと思います。

――まさに文学はつながっている?

 文学は先行作品の影響を受けて、おもしろく言えば、パロディーでつながっているとも言えるんですけれども、先行作品に対する敬愛と尊敬、そして、真似してやろう、盗んでやろうという影響の果てに次の文学が生まれるという流れがあるわけですから、狭い日本文学の中だけでそれをやろうというのは損ですよね。どうしてもお手本のレベルが低いものになってしまいます。

――ただ、何をお手本にしているかは分からないほうがいい?

 少し冗談っぽい話になっちゃうけど、世界文学からだとパクってもバレません(笑)。日本の文学で今流行っているものを真似すると、「ああ、あの亜流か」と分かるわけですよ。しかし、ガルシア・マルケスの『百年の孤独』を読んで、日本の❸ある村の百年の歴史を書いたとしても、「勇気ある挑戦」とか、「いい影響を受けて日本独自のものができた」と褒められこそすれ、誰も「真似じゃん」とは言わないわけです。こういう真似は期待されているし、奨励されている。称賛されこそすれ、非難されることはありません。

文学は模倣でつながっている

――当然ですが、小説は全く無からは生まれません。そういう意味では、みんなどこかにつながっている?

 たとえば、デフォーの『ロビンソン・クルーソー』を読んで、スフィフトはそれに反逆し、植民地主義的に世界と接している我々はとても嫌な存在だよという人間嫌いの文学『ガリヴァー旅行記』を書いた。この二つがあったからこそ、ジュール・ヴェルヌの『十五少年漂流記』があった。そして、『十五少年漂流記』があったから、ゴールディングは『蝿の王』を書き、子どもたちだけで無人島に行ったらむちゃくちゃなことになるよという小説が生まれた。そして、その通俗版が『バトル・ロワイアル』です。

――日本文学の中で、世界文学の影響を受けた実例はありますか。 

 夏目漱石の『吾輩は猫である』は、猫が語り手という点はホフマンの『牡猫ムルの人生観』の影響でしょう。
 ただ、全体の構成、つまり、気の向くまま横道ばかりして雑談の寄せ集めのようにして書くというところは、スターンの『トリストラム・シャンディ』の影響と❹言われています。また、『坊っちゃん』の原型はフィールディングの『トム・ジョーンズ』と言われています。

 有島武郎の『或る女』はトルストイの『アンナ・カレーニナ』を意識して書いたでしょうし、『路傍の石』の山本有三、『次郎物語』の下村湖人など❺教養小説を書いた作家は、当然ビルドゥングスロマンを読んでいるはずです。

――北杜夫の『楡家の人びと』はトーマス・マンの『ブッデンブローク家の人びと』のオマージュ?

北杜夫さんはトーマス・マンの大ファンで、学生のときに北杜仁夫(トニオ)というペンネームをつけていたのですが、これはトーマス・マンの初期の代表作『トニオ・クレーゲル』からきています。それぐらい影響を受けているのですから、『楡家の人びと』を書こうとしたときには、当然、『ブッデンブローク家の人びと』のことが頭にあったでしょう。

――エンターテインメント小説ではどうでしょうか。

 江戸川乱歩は海外のミステリーをよく読んでいて、海外のミステリーベスト10を紹介したりして、ミステリーを広めた功労があるんですが、そういうお手本があったから、❻日本で初めてミステリーを書くことができた。
 SFなんかもそうですよ。1960年代に小松左京などいろいろなSF作家が出てきましたが、アイザック・アシモフやハイラインとか、そういうのの日本版をやりたいということで生まれてきたわけですから。

お手本はどこにあるのか

――高橋源一郎さんが『さようならギャングたち』でデビューしたとき、これを読んだ多くの人が「この断章の多さはなんなんだ」とまずその書き方に驚きました。しかし、実は❼カート・ヴォネガットという本家がいました。

 読者としては、そうした日本の小説を読んで新しいなと思っていてもいいのですが、次に書こうという側にしてみれば、お手本の宝庫のような世界文学に目を向けないのはもったいないというか、チャンスを逃していることになると思う。

――いいお手本を探すにはどうしたらいいでしょうか。

 世界文学を読むというときに二つの捉え方があって、自分が書くお手本となる新しいものはないかと探すのであれば、20世紀後半の現代作家がいい。まだ日本では誰も真似していない新手があったり、今風の刺激を受けて自分でも書きたくなったりする作品があると思います。

――古典はどうですか。

 古典を読むのも、特に若い人には有効だと思います。ただ、古典ほどに完成されているものは、教養として読む感じになってしまって。

――先生ご自身も手法を真似することがありますか。

 作家になってからですが、ミラン・クンデラの『存在の耐えられない軽さ』を読んで、「この手法、真似したい。いっぺんやってみよう」と刺激を受けましたし、最近文庫になった『愛と日本語の惑乱』では、主人公が同棲していた女性に捨てられるのですが、この部分はモラヴィアの『軽蔑』が頭の片隅にあって、あんな感じで書こうと思っていました。それから、その男が最後に追い詰められて、ついに言語能力が壊れてデタラメにしゃべりだすんですが、そのわめき言葉の中に、実はナボコフの『ロリータ』の中のセリフが使ってあるんです。

 そういうふうに、好きな外国の小説に一歩でも近づきたいと思って、様式を真似してみたり、パターンを盗んでみたりすると、そこらに似たものがない作品ができるんですよね。しかし、日本のものしか読んでいないと、小説の作法の枠が狭くなると思うんです。

――世界文学が自作に新しい風を吹き込んでくれそうですね。

 世界文学は、すごく内容の濃い大きな湖が向こうにあるという感じで、それを読めばそれだけで目標に一歩近づくというところはありますね。今日本で売れているものをたくさん読むより、外国の古典や新しいもの、話題のもののほうが刺激のもとだらけですよ。そういう気がしますね。

同じ血筋の異形の息子たち

――世界文学と言うと西洋をイメージしてしまいますが、20世紀後半、ラテンアメリカの文学が注目されました。

 あの辺の作家は欧米の文学が幼い頃からの教養で、そこに自国の文化を入れて、新しい文学を作った。ルイス・ホルス・ボルヘスは博学な人で、❽新しい『ドン・キホーテ』を書こうという小説もあるのだけれども、土台として欧米の文学があったんだと思います。

――欧米の影響を受けた小説がラテンアメリカで花咲いて、それがまた閉塞状態にあるヨーロッパに影響を与えたというのがおもしろいですね。今、日本の作家でそういう位置にいるのは?

 村上春樹さんなんかは日本文学の土壌から出てきたというより、世界文学の翻訳者でもあり、世界文学が分かる人でもあり、そのせいで新しい文学の担い手になっているわけだけれども、それはとても世界に通用しやすいもので、世界中に共感を持って読まれるわけですね。

――レイモンド・チャンドラー、フィツジェラルド、レイモンド・カーヴァー。

 村上春樹は外国の作家が好きですね。最近もサリンジャーを訳しました。
川端康成はノーベル文学賞を受賞しましたが、ローカルで日本的な味わいのあるものにくれたと言うか、日本文学のそのいいものだからという感じだったけど、村上さんの場合は、世界文学の影響を受けた村上さんの作品が日本で芽吹いて、それがまた世界に影響を与えるという、まさにラテンアメリカの文学が評価されたのと同じ現象でしょうね。

――血筋は欧米?

ヨーロッパやアメリカ文学の血筋はひいているけど、異形の息子という感じでしょうね。

翻訳の弊害と利点

――書店に行くと、並んでいるのは大半が日本の小説です。世界文学が今一つ読まれないのは?

 人名にしてもなじみがわかないし、区別もしにくい。街の様子が描写してあってもどんな街なのかイメージしにくいし、文化的な背景を知らないと、注釈を読むまでなんのことか分からない。ギャグなんかも、実はこういう意味が裏にあると説明されていたりしますが、説明されても笑えません。世界文学は、ちょっと登りにくい山というかたちでそびえ立っているところがありますね。

――慣れるしかない?

 とっつきにくいけど、そこを努力して読んでいると、すごく豊かなものを読むことができたと思えるはずです。

――原文が凝った言いまわしをしていても、日本語にしたとき、文体の何割かは失われている気がします。

 原文のおもしろさは伝わっているだろうかという不信感はあります。名訳と言われているものでも、原語で読んだときの印象とはイコールではない。
しかし、利点もあります。それは新訳が出るたびに、現代小説としてよみがえることです。❾亀山郁夫さんが『カラマーゾフの兄弟』を訳し、米川正夫さんが訳したのとは違う、現代語をしゃべる主人公が生まれて新作になる。もしかしたら、ドストエフスキーは古典すぎて、今は読みにくいロシア語かもしれない。でも、我々はその現代語訳を読める。それは得です。翻訳の弊害もあるけど、利点もある。

――なるほど、確かにそうですね。

 翻訳されたものを読んで、我々はどれだけ外国の人が分かるように分かるものだろうかという不安はあるところですが、それでも翻訳して伝えたいという作品には伝えるべき何かがあるから出版されているわけで、そうした作品を読めばやっぱり肥やしになりますよ。

❶《小説の主脳は人情なり、世態風俗これに次ぐ。人情とはいかなるものをいふや。曰く、人情とは人間の慾情にて、所謂百八煩悩是れなり。》(坪内逍遥『小説神髄』)
❷ゾラの自然主義には、合理主義、科学万能主義が秘められていますが、日本の自然主義は、むしろルソーの『懺悔録』の影響が強く、人間の真実を描くという方向で進化しました。
❸中上健次は『百年の孤独』より10倍面白いという『千年の愉楽』を書いています。
❹『トリストラム・シャンディ』と『トム・ジョーンズ』の影響があるというのは、『闊歩する漱石』の中で丸谷才一が書いている説。
❺教養小説は教養が身につく小説ではなく、体験を通して内面的に成長していく姿を描いた自己形成小説。ビルドゥングスロマンの訳語。
❻江戸川乱歩は大正12年に処女作「二銭銅貨」を『新青年』に発表。これは日本初の本格探偵小説と言われています。
❼当時の名前は「カート・ヴォネガット・ジュニア」でした。
❽書名は「『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール」。ボルヘスの短編集『伝奇集』に収録されています。
❾2006年に出版された光文社古典文庫版『カラマーゾフの兄弟』は亀山郁夫訳。岩波文庫版は米川正夫訳、新潮文庫版は原卓也訳。

清水義範(しみず・よしのり) 
81 年『昭和御前試合』でデビュー。86 年発表の『蕎麦ときしめん』でパスティーシュ文学の作家として注目を集める。88 年『国語入試問題必勝法』で第9 回吉川英治文学新人賞受賞。『世界文学必勝法』『早わかり世界の文学』『ドン・キホーテの末裔』『学校では教えてくれない日本文学史』、文庫の最新刊『愛と日本語の惑乱』など著書多数。

特集「世界文学はあなたの小説を新しくする」
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※本記事は「公募ガイド2014年5月号」の記事を再掲載したものです。

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