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【ご都合主義に見えないか?】語る順番を考えて、「作為の自然」を作り上げる方法(2017年11月号特集)


 現実の世界には「偶然」があるが、小説の中でそれをやると作り物めく。創作でも、創作だからこそ作為によって自然を作り上げなくてはならない。その方法を学ぶ!

どの順に語るかも事前に考えること

 出来事が起きた順に並べればいいだけなら話は簡単。しかし、
「死体がある⇒捜査するとAという男が死体を遺棄したらしい⇒Aを事情聴取すると⇒ケンカして殴り殺したことがわかった」
という順で書くべきところ、
「恋人同士がいて⇒Aはケンカして彼女を殴ってしまい⇒死体を遺棄した⇒死体が発見された」
これでは面白くならない。
 どの順番がいいかという観点があるだけで結果は違ってくる。

その行動は必然か、整合性はつくか

 プロットを考えている時点では、「嫉妬に狂って相手を刺した」と簡単に設定してしまう。
 しかし、現実に照らし合わせて考えると、人はそんなに簡単に人を剌すか、刺せるものだろうかと考えてしまう。作者が考えるのであれば、読者も考える。「(作者にとって) 都合のいい話だ。強引で不自然な展開だ」と。
人物の行動はキャラクターとも関連するから、人物造形、状況設定も合わせて、「これならそうするのも必然だ」を模索しよう。

後だしはだめ。伏線をはる。

 現実の世界では「偶然」はよくあるが、小説の中でそれをやるといかにも作り話めく。そこですべてが必然であるように仕組む。

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』 を例にとると、伏線と回収がたくさん張り巡らされている。
「マーティーはミュージシャン志望⇒パーティーで演奏する」
「落雷のあった日時が記されたビラをもらう⇒未来に帰るエネルギーとして落雷を使う」
「父親はS Fが好き⇒のちにSF作家としてデビューする」
「ひ弱なジョージがビフを倒したことについて、マーティーは「まるで別人のようだった」と言う⇒未来に帰ると、ジョージは本当に別人のようになっている」

 こうした伏線と回収は、1つを変えるとあちこちに影響が出てくる。たとえば、マーティーがロック好きでなければ「ジョニー・B・グッド」はやらないし、バンドマンがチャック・ベリーに電話するシーンもなくなる。
 このような「こっちを直したら今度はここがおかしい」という修正が連鎖的に起きると作品が総崩れになりかねない。だからプロッ卜段階でチェックしておくのだ。

ノーベル文学賞作家・ガルシア=マルケス『物語の作り方』に学ぶ作りこみ

 『物語の作り方』の中では、『百年の孤独』で知られるノーベル文学賞作家、ガルシア=マルケスらが、1つのシナリオについて検討している。ここからプロットをどう揉むかを学ぼう。

 『物語の作り方』の中に、「土曜日の泥棒」というドラマの脚本についてガルシア=マルケスらが中身を検討している箇所がある。
 以下、まずは「土曜日の泥棒」のあらすじを説明したあと、議論の様子を引用する。
 引用したのは、睡眠薬入りワインを取り違える場面を検討している部分。話として自然で、かつ面白くなるよう脚本を揉んでいる。
 小説の場合は、これを基本1人でやらなければならない。「そんなの不自然だよ」と鋭く批判するもう1人の自分を持っていなければならない。

【「土曜日の泥棒」ストーリー】
泥棒のウーゴが土曜日の夜に、主婦アナの家に忍び込む。彼女は金品を差し出し、3数の娘には近づかないでと懇願したが、ウーゴは娘と会ってしまい、手品をしてみせて仲よくなる。
ウーゴはこの家の主が日曜の夜まで帰ってこないことを調べてあり、週末をこの家で過ごすことにして夕食を作らせる。このとき、アナはワインに睡眠薬を入れて出したが、手違いがあって睡眠薬が入ったほうのワインを飲んでしまう。翌朝、アナが目覚めると、ウーゴは3歳の娘と遊んでいて、今まで感じたことのない幸福感を覚える。女友達がジョギングをしようとやってきたが断り、三人で楽しい休日を過ごす。帰ろうとするウーゴをアナは呼び止め、次の週末も主人は商用で出かける予定だと告げる。

ガボ:わたしはグラスの入れ替わるところがどうも気になるんだ。使い古された手だからな。

マルコス:彼がグラスを取り替えるようにしたらどうでしょう。彼女はそのことに気がついたものの、飲まざるを得ないんで、ヒステリーの発作が起こったふりをして、グラスを床にたたきつける。

グロリア:それだと、彼が自分のグラスを彼女に差し出す可能性があるわ。

ビクトリア:彼がプロの泥棒なら、ああいう状況に置かれると、「そちらのグラスで飲ませてもらえるかな」と言いかねないわ。

ガボ:グラスではなく、ボトルに睡眠薬を入れるというのはどうだろう。彼女はふだん飲みつけていて抵抗力があるから、彼が眠り込んでも、自分は大丈夫だと思っているんだ。

レイナルド:僕は、彼がわざとグラスを取り替えるという風にした方がいいと思ったけどな。

ソコーロ:彼女がトレイを持って登場すると、彼がそばに行って礼儀正しく「わたしが運びます」と言うの。彼女はトレイを渡してしまう。彼が後ろを向いた時に、グラスの位謳が入れ替わってしまうの。あるいは、そのせいで彼女はどちらのグラスに睡眠薬が入っているのかわからなくなる。わたしたちも、薬が効いてどちらかが床に倒れるまで、誰が睡眠薬入りのワインを飲んだかわからないの。

ガボ:視聴者にもどちらのグラスが安全かはわからない、そこのところが大切なんだ。彼が一口飲む。彼女も用心しながらちびちび飲む。睡眠薬はまだ効いていない。二人の会話は弾んでいる。どうしてニ人ともあくびひとつしないのだろう? うん、このアイデアがいちばんいいようだ。何よりも創造的だよ。(「ガボ」はマルケスの愛称)

『物語の作り方』より抜粋

小説作法Q&A

Q:こういうとき、人は普通こうする、の「普通」とは?

A:「常識的に考えれば」の「常識」がわかるには、ある程度の人生経験と想像力を要す。たとえば、〈勤務中に酒を飲んだ〉は普通はないことだが、〈ランチビールを飲んだ〉や〈依存症だった〉などの条件がつけば不自然ではない。しかし、〈ビールに毒が入っていた〉となると、納得できる説明、設定なしではうそっぽくなる。小説を書く人は変な人であるほうが発想も豊かでいいが、一面では極めて常識人である必要がある。

特集「長編小説一年計画」
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※本記事は「公募ガイド2017年11月号」の記事を再掲載したものです。

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