【感動を生むのは技術力ではない】エッセイを深めるために必要な自分との対話とは(2014年8月号特集)
※本記事は2014年8月号に掲載した山田ズーニー先生のインタビューを再掲載したものです。
「経験で書く」ことの大切さ
――会社を辞め、38歳から書き始めてプロになられた山田先生が、エッセイを書くときに一番大事にしていることは何ですか。
文章表現インストラクターとして、下は10代から上は90代まで、何千人もの人たちの文章を見てきました。その経験から思うのは、たとえ初めて書く人でも、自分の経験に立脚した文章ほど人を感動させるものはないということです。今の自分を決定づけたターニングポイントになるような経験とか、何年経っても心の中に引っかかり続けていることとか、そういうこと一つを取り上げて書くことが大事だと思います。ただ、素人は「経験を」書いてしまうのに対し、プロは「経験で」書いている。その違いに気づくことが大事だと思います。
――「経験を書く」ことと「経験で書く」ことの違いとは?
経験を書く人は、いつどこへ行って楽しかった、おいしかったとか、人に自慢できるような話を探すんです。でもそれでは書いた側がすっきりするだけで、読者は自慢されているように感じてしまう。
これが経験を書いてしまう素人の陥りがちなことです。「言葉の産婆」として、人が想いを言葉として取り出す作業をサポートし、文章を書く瞬間にも立ちあってきましたが、そんな中で初めて書かかれたものに号泣したり、衝撃を受けたりするのは、それが経験で書かれているときなんです。全人生を振り返り、明日死んでしまうとしたら、これだけは後世の人に伝えたいという一つを書く。それは本で仕入れた言葉ではなく、実体験から血がにじむようにして出てきたことなんです。そして、「伝えたいこと」というのは「伝えにくいこと」のそばにあるものなのです。
――伝えたいことは、伝えにくいことのそばにあるとはどういうことですか。
自分が生きた証として伝えたいこと、宝物のような大事なことは、失敗や心の傷とか、本当は一生言いたくないような経験に培われていることが多いのです。
でも、それを伝えるには何か根拠がいる。
そこで、辛くても経験を賭して表現しようとするのが、伝わるエッセイと伝わらないものとの違いです。自分の経験を持ち出してくるのはあくまで手段なんです。
――その経験と向き合うことは、とても辛い作業でもありますね。
この経験を持ち出したとき、人はなんて思うだろう、恥ずかしい、と引っ込めてしまうと、人の心に響くエッセイは一生書けないと思います。でも、ここは勇気を出すしかない。以前、小さな子供が「お父さんありがとう」と言っただけで、ホール中にいた親たちが涙したことがありました。これは経験を語ったからでもないし、テクニックがあるからでもない。
自身の奥にある根本思想と一致した本当の正直な言葉を出しているから、大勢の人々の心を打ったんです。
――技術力ではなく「根本思想」が人を感動させると?
本当に書きたいことというのは、氷山の底のマグマの部分にある。これが書きたいという根本思想と言葉が一致したときに、非常にささやかでも読者の心を揺さぶるんです。それは、口頭でも文章でも、前後の脈絡がきちんと分からなくても絶対に伝わります。読者は感動するし、泣くし、心にびりびりと響く。それだけは保障できます。逆に言うと、本当に書きたいことがない、外からテーマを持ってきているようなものは、どんなに経緯を分かりやすく説明しても、流暢に語っても、全然伝わらないんです。
――マグマとなる「根本思想」を見つけるにはどうしたらいいでしょう。
書きたいテーマが決まったら、問いをたくさん作るんです。たとえばテーマが「自分」だったら、過去、現在、未来の自分の様子はどうか、関わる人たちや社会はどうかなど、いろんなところからまんべんなく自分をインタビュー攻めにする。書く前段階の考える作業を続けていくと氷山の底がスコーンと想いとして外に出る瞬間がやってきます。
1ミリの勇気を出す
――考える作業をしたあとに、経験を賭して書く。その勇気はどうすれば身につけられますか。
いきなり大きな勇気は出ません。なぜなら、私たちは勇気のレッスンをしてこなかったからです。勇気も筋肉です。過去の一番大きな失敗や傷をすぐに出すのは難しいから、ほんの1ミリの小さな勇気を、日々小さくかわいく、ずっと出し続けるんです。そうすれば、ある日ハードルを一気に飛びこえて、心に届くエッセイが書けるようになります。
――勇気を出すと痛みがともなうこともあるのでは?
それはしかたがありません。でも、ずっと出せなかった想いを言葉にして出せたというだけで、書き手にはえもいわれぬ解放感と満足感がある。そして、多くの読者の中にも、出せなかった罪悪感や澱のようなものが大なり小なりある。一人の表現者が勇気をもって自分を出すことにより、たくさんの同じような想いを持つ人たちがその気持ちに気づき、解放される。そういう文章は、表現が稚拙でも心を打つし、熱い反響がある。解放と解放で爆発的に通じ合うんです。
――「1ミリの勇気を出すレッスン」について具体的に教えてください。
勇気のレッスンは何も書くことだけではありません。日常のさまざまな行動でもできます。たとえば、部長に何か言われた。今頷いておけば波風が立たなくていい。だから考えを言わずに1ミリ引く。
その1ミリが日々重なって何ミリにもなる。大事なのはそういうとき、「今回は部長の意見を聞いてそうさせてもらいますが、僕はこう思います」と言えるかどうか。結果は変わらなくても想いを表現することはできるんです。それが1ミリの勇気を出すということです。そして、その表現手段は手紙でも言葉でも、歌でもダンスでもいい。表現するかしないか、その両極端に振り子が振れるのではなくて、小さくできることが無段階にあるんです。
――日々のさまざまな行動を通して、レッスンはできるのですね。
日常の行動も言葉もどちらも表現です。
自分の腹にある想いは、誰もチャックを開けてまわりの人に見てもらうわけにはいかない。だから、目に見えない想いに形を与えて外に出し、人に通じさせる。
それが表現です。私自身が30年来こだわっているのは、その想いを言葉という誰の目にも見える形にして伝えるということ。その生み出すための表現方法を教え、解放へと導くことが「言葉の産婆」としての役目なんです。少しずつでも自分を出す作業を毎日やっていれば、表現力がついていく。そのためには、決して自分に嘘をつかないことです。
充電しても返り咲けない
――ほかにも大切なことはありますか。
何よりも書き続けることです。私の場合、会社を辞めた2000年から14年間、「ほぼ日刊イトイ新聞」というサイトに1週間に1回のコラムをずっと書き続けています。でも、書き続けることは簡単ではなかった。それまで編集者として会社勤めをしていたのに、フリーになって制約の一切ないところで、山田ズーニーという名前だけで書かなければならない。
最初の1本は何とか書けても、次どうしよう、来週書くことがない、となって怖くなる。書くことを探しまくって、家にいるのが辛いから、外に出ていく。歩きまわっても見つからず、また家に帰って探すしかない。そういう状況で書いていました。
――それでも書き続けられた精神力がすごいですね。
辛くてもとにかく続けて書いていくと、誰でもあるんですが、自分の書いていることがだんだんつまらなくなってくる。
そうしたら案の定、読者からも同じことばかり書いてつまんないぞと、ずけっと言われる。それでまたショックを受けてしまう。要するにスランプです。
――そのスランプをどうやってきり抜けたのですか?
二つ理由があって、あまりにも書くのが辛かったので、2ヵ月ほど充電期間をおこうと思い、編集者さんに相談してみたら、「休んで戻ってきてまた書くというのがうまくいかない現実があります。僕は休まないほうがいいと思います」と言われました。そのころ、ある雑誌で橋本治さんのエッセイを読んだら、「充電して戻ってくるつもりが、その辺にいるおじさんになってしまった人がたくさんいる」と書かれていて、衝撃を受けた。
――そこで、編集者や橋本治さんの言葉をどう受け止められたでしょう。
電池なら元の100%満タンまで充電すればいい。でも作家はそうはいかない。まわりからも、充電したのだからとピーク時以上のものを求められる。でも、ただでさえ変化が激しいネットの世界で、やめるときよりさらに書く筋力が衰えたら、戻ったところで、ピーク時にさえ届かない。だから返り咲けないという橋本氏の考えが腑に落ちたんです。
――そのことに気づいたあと、どうされたのですか。
本来の私の実力ってどこにあるのだろうかと考えました。私自身、筆が乗って読者から一番評価されていた100%のときが実力だと思っていた。でもよく考えてみれば、スランプのときだって自分なんですよね。それが分かってからはもう怖くない、全部自分なのだからと思いました。そして、今よりもっとどん底になるかもしれない、でもそんな姿を見てやれと腹をくくったんです。
下りのエスカレーターを上る
――スランプを抜けることができた、もう一つの理由についても教えてください。
脚本家を目指していた友人からこんな言葉をもらいました。スランプのときは下りのエスカレーターを上っていくような状況だと。上ろうとしてもエスカレーターは下りていくわけですから、書けば書くほど地獄です。でも、やめずに必死に一歩また一歩と踏み出していたら、いつか平地や上りのエレベーターになることがある。そのときにはものすごい筋肉がついていて、飛躍的にいいものが書けるようになっている。
――だからこそ、踏みとどまって書くことができたのですね。
編集者さんに充電すると相談してから1週間の間に、このようにさまざまな気づきがあった。そこで次の週のコラムに、その経験と腹を決めて書くということを書いたんです。そうしたらものすごい反響がありました。サイトのオーナーの糸井重里さんからは「僕はこのコラムが好きです」と励ましの言葉をいただき、読者からもそれを言ってほしかった、勇気が出たと、それまでなかったようなリアクションが来た。まだまだ底辺をくぐるつもりだったのが、そこからすーっと上りのエレベーターになって、面白いものが書けるようになりました。
――諦めず書き続けることが、のちに大きな飛躍へとつながると。
書き続けることと書き続けないことの違いが、ものすごく身に染みた。だから、とにかくやめたらだめだということをみなさんに言いたい。書く筋肉というのは書き続けることでしか鍛えられないから、休んだらその分だけ筋肉は衰える。自分のペースでいいんです。1週間に1回コラムを書くとか、1日1回1ツイートの140文字を書くとかを決めたら、少なくとも半年は続けてほしい。私の感覚では、だいたい5年続けたらそのアーカイブで、ピークのときとどん底のときの両方を見ることができる。そこで初めて、自分に才能があるとかないとかを論じることができるんです。数回文章を書いたくらいで才能がないと諦めるのは、表現に対して失礼だと思いますね。
――書くことから逃げるダメージは、本当に大きいですね。
プロとアマの違いは逃げのパターンを知っているかどうかだと思う。プロにも締め切りや読者の評価があって、書き続けることは怖いし、逃げの気持ちは出てくる。私の場合は、締め切りが近づくと、執筆の緊張から逃れたくて、通販で買い物したり、やたら掃除がしたくなったりする。でも、あれは私の逃げなのだと心にとめておくんです。そうしたら、今逃げているなと気づいて、また戻って書くことができる。自分の状態に自覚を持つことも大切です。
あなたには書く力がある
――最後に、公募ガイドの読者に向けてメッセージをお願いします。
私は38歳で会社を辞めてゼロから文章を書き始めた。そこで今まで感じたことのない孤独を味わいました。でも逃げずに書き続けた。そうしたら、その出口で今まで親にも誰にも分かってもらえなかったのに、読者から深い理解の言葉をもらった。文章を通してだから、何千人、何万人の人々に正確に自分を分かってもらえる。それはものすごい勢いで、理解の花が降るような感動でした。みなさんも志を持つと孤独になり、それが何年続くか分からない。でも今はそれでいいんです。伝え続けていればいつか骨身に染みるような理解が待っている。ものを書く人間の居場所は、自分の腹から生まれた言葉にある。それを信じて文章を書くことを諦めないでほしい。「あなたには書く力がある」そのことだけは読者のみなさんに伝えたいと思います。
山田ズーニー(やまだ・ずーにー)
文章表現インストラクター・作家・慶應大学非常勤講師。全国各地で、表現教室、大学講義、講演などを実施。表現力・考える力・コミュニケーション力の育成に尽力。参加者が想いを言葉で表現する姿は、まるで腹から言葉を生みあげるような感動があることから「言葉の産婆」とも呼ばれる。著書に『伝わる・揺さぶる!文章を書く』『おとなの小論文教室。』等多数。
特集「エッセイを書く欲と力」
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※本記事は「公募ガイド2014年8月号」の記事を再掲載したものです。
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