「元伊勢」まとめ ご巡幸のはじまり・豊鋤入姫命様の軌跡 神話は今も生きている ことの葉綴り五〇七
フォトギャラリー使用ありがとうございます
こんにちは。今日も猛暑になりましたね。
皆さん、お元気でしょうか? 己巳の日、いかがお過ごしですか?
私は、少し遠出のお仕事なので、朝拝、お仕事、ちょこっと「ことの葉綴り」、お仕事で外出、夜に戻って、また「ことの葉綴り」のひとときならぬ、”ふたとき”ですね(^^)
最近、ようやく「みんなのフォトギャラリー」に、神社と光の写真を何枚かあげてみました。(いつも、やりかたわからなくなってしまう苦笑)。
お写真を使ってくださった方、ありがとうございます。嬉しいです。
皆さまへ、感謝!
これまで約半年間にわたり綴っておりました、伊勢の神宮が創建されるまでの「元伊勢」物語、百七十四回で終わりとなりました。
皆さん、本当にたくさんのnoteの中から、この「ことの葉綴り」に、来てくださり、お読みいただき、誠にありがとうございます。
いつも、みなさんに励まされております。
感謝です。
そして今回は、大好きな豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)さまと、倭姫命(やまとひめのみこと)さまの、尊いご巡幸の物語を、長き旅の軌跡を振り返ろうと思います。
宜しくお願いいたします。
元伊勢 豊鋤入姫命様編
はじまりは、豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)さまの父である第十代崇神(すじん)天皇の御代のことでした。
国内に疫病が大流行し、多くの民が亡くなり、背く人も増えて世の中が不安定になっりました。
崇神天皇は、朝早くから夜遅くまで、政務に励まれたうえ、天神地祇(てんしんちぎ)、天つ神さま、国つ神さまに、謝罪を請い願われたのです。
それまで天照大御神さまは、「同床共殿(どうしょうきょうでん)」として、倭大國魂(やまとのおおくにたま)とともに、宮殿内にお祀りされていました。
崇神天皇さまは、この二神の、あまりにもお強いご神威を恐れられて、宮中とは別のところでお祀りすることを決められました。
故、天照大神を以ちて豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)に託(つ)け、倭の笠縫邑に祭り、仍(よ)ちて磯堅城(しかたき)の神籬(ひもろぎ)を立つ。
『日本書記』崇神天皇 六年
天照大神さまのご神霊を、皇女である豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)さまに“おつけ”になられて、そして初めて宮中よりお出になり、倭の笠縫邑の地にお祀りされたのです。
それから、豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)さまは、天照大御神さまのご神意をうかがう御杖代(みつえしろ)となり、
天照大御神さまが、永久にお鎮まりになられる宮処を求めての、長き、長きご巡幸の旅が始まったのです。
豊鋤入姫命さまのご巡幸地
大和国 笠縫邑(かさぬいむら) 三十三年
【元伊勢の比定地(以下元伊勢)】
現在の奈良県桜井市の大神(おおみわ)神社の檜原(ひばら)神社さん。
丹波国 吉佐宮(よさのみや) 四年
【元伊勢】京都府 籠神社(このじんじゃ) 真名井(まない)神社さん
京都府福知山市 元伊勢内宮 皇大神宮なども。
大和国 伊豆加志本宮(いつかしのもとのみや) 八年
【元伊勢】奈良県桜井市 與喜天満(よきてんま)神社さん
木乃国(紀乃国) 奈久佐濵宮(なぐさのはまのみや) 三年
【元伊勢】和歌山県和歌山市 日前(ひのくま)神宮・国懸(くにかかす)神宮
和歌山県和歌山市 濱宮(はまのみや)さん
吉備国 名方濵宮(なかたのはまのみや) 四年
【元伊勢】岡山県岡山市 伊勢神社さん
そして……。
大和国 御室嶺上宮(みむろのみねのかみのみや) 二年
【元伊勢】奈良県桜井市 大神(おおみわ)神社 高宮神社さんだろうとされています。(大神神社のご神体の「三輪山」の頂上にあるとされています。
現在、こちらの「三輪山」は、入山禁止となっています。
そして再び、大和国へと戻られた、豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)さまは、御室嶺上宮で、初の姪っ子である、倭姫命(やまとひめのみこと)さまに、天照大御神さまの御杖代のお役目を託されたのでした。
―次回へ
#一度は行きたいあの場所
#ふりかえり
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?