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応神天皇さまは八幡大神さま 神話は今も生きている ことの葉綴り六六〇

寅の日、“控えめよし”の月曜日

おはようございます。今年も十日ばかりになりましたね。お正月準備されていますか? 私はまだまだお仕事も今週がピークです(^^)。
令和四年は寅年ですが、十二月二十日(月)も、金運招来にいい寅の日の吉日です。年末ジャンボ宝くじを購入するなら、二十日寅の日か、 二十二日の冬至+大安二十三日の巳の日が良さそうですね。
他の暦は、六曜が「先負せんぶ」で午後が吉。何事も急ぐことなく、平静“控えめがよし”。十二直は、すべてが満たされる「みつ」祭祀、婚礼、お参り、お祝い事、引っ越し、旅行、建築、種まき、新規事業に吉・・・ですが、“控えめがよし”。
二十八宿は、神仏の祭祀、お参り、引っ越し、旅行に吉の「」。
“控えめがよし”が二つ重なってますね。急がず慌てずで過ごしたいですね。

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応神天皇さまと八幡大神さま

前回で、応神おうじん天皇さまの物語は終わりました。
応神《おうじん》天皇さまは、八幡神社のご祭神で、八幡大神さまです。
八幡神社さんは、九州の大分の「宇佐神宮」が総本宮で、京都の「石清水八幡宮」、神奈川の「鶴岡八幡宮」をはじめ、全国に約四万社ご鎮座しています。
源頼朝をはじめ源氏の一族の氏神様として崇敬され、武家の守護神として、勝負運・武運長久・出世運のご利益があるといわれます。
また“八幡さま”として、多くの人に親しまれるお宮です。

ではなぜ、応神おうじん天皇さまが、八幡大神さまと呼ばれるか? 神話の物語には、そこは綴られていません。
なので、今回は、その伝承をご紹介しようと思います。

応神おうじん天皇の御世から、後の世のことです。
応神天皇の御世が、西暦では270年頃とされています。
それから三百年の後の世のことになります。
第二九代、欽明きんめい天皇の御世、三十二年辛卯年(571年・562年説もあり)のことです。

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鍛冶の翁から三歳の童子へ

豊前国ぶぜんのくに宇佐郡(現在の大分県宇佐市)の(宇佐神宮奥宮「大元神社」さんのご鎮座する)「御許山おおもとさん」の菱形池のほとりに、八つの頭を持つ奇異な鍛冶の翁が現れました。
この姿を見たものを命を落としたといいます。
そこで、大神比義おおがのひぎというものが、その様子を見にいきます。そしてその翁にあったそうです。
それから大神比義おおがのひぎは、三年間参籠に籠り穀を絶ち身心を清め精進し、幣帛を捧げて、

なんじ神ならば、我が前にあらわるべし」

もし、あなた様が、神さまであるならば、どうか、私の前にお姿を現してください」と、祈り続けたのです。

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われ、誉田の天皇 八幡の神なり!

すると……その神は、三歳の童の姿となり顕現されて、竹の葉に立ってこう仰いました。

「我は是れ日本の人皇第十六代誉田の天皇広幡八幡麿ほんだのすめらみことひろはたのやはたまろなり。
我が名は、護国霊験威力神通大自在王菩薩ごこくれいげんいりきじんつうだいじざいおうぼさつなり」

われは、第十六代、応神天皇(誉田の天皇)八幡の神なり!
そして、国を護り、霊験神通力の強い菩薩なり。

応神天皇の御世から、三百年の時を超えて、ご神霊の八幡大神さまとして、この世に、宇佐の地にお顕れになられました。
その地に神さまの御殿をつくり、八幡大神さまをお祀りします。
それが「宇佐八幡宮」さまの由来です。


何度かのご遷座のあと、神亀二年(725年)現在の地にお祀りされました。

そして、この八幡大神さまのご神徳の強さは、その後の歴史でも、皆が知ることになるのです。
それはまた次回に!

20211220IMG_0927宇佐神宮

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