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元伊勢 斎王はじまりの媛 神話は今も生きている ことの葉綴り。二五六

天神地祇への祈りのこころ


日が沈む前の西日が美しい中、今日も「ことの葉綴り。」に向かいます。
神話の物語、今回は、第十代、崇神天皇(すじんんてんのう)の家族をみていきます。

『日本書紀』によると、こう綴られています。

天皇は十九歳で、立って皇太子となられた。
生まれながらにして善悪正邪をよく識別され、幼少の頃から雄大な計画を好まれた。
壮年に及んでは、御心寛(ひろ)く慎み深く、
天神地祇(てんしんちぎ)を崇敬され、
常に天子の天つ日嗣(あまつひつぎ)の大業を治めようとする
御心をお持ちであった。

さあ、どんな人生を歩まれたのでしょうか?
「天神地祇」(てんしんちぎ)とありますが、
天つ神、国つ神の神々を、とても大切に崇敬されて
天子の天つ日嗣(あまつひつぎ)
神話の神代のからの、高天原を治められた天照大御神(あまてらすおおみかみ)さまから連なる、天つ御子が、皇位を継いで、
国安らかに、民安らかにと、治めていく御心を大切にされた
と、あります。

まだ物語は、かなり先になりますが、
今にも続く、神社の祭祀や、伊勢の神宮の創始も
この崇神天皇の御代におきています
よ!!
まさに、神話は今も生きている!! です。

さて、大和の三輪山の麓の師木の水垣宮で即位された崇神天皇(すじんてんのう)。三人の妻と、十二人の子をもうけます。

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天照大御神さまをお祀りする媛(ひめ)!

はじめに、木國造(きのくにのみやつこ)の荒河刀辯(あらかはとべ)の娘、遠津年魚目目微比賣(とほつあゆめまくはしひめ)を娶ります。そして二人の子が誕生します。
一、 豊木入日子命(とよいりひこのみこと)
 この王(みこ)は、のちに、次の御代で、東国の上つ毛野(かみつけ)下つ毛野(しもつけ)の君の祖先となります。毛野とは、今の群馬県、栃木県あたりの地域をさします。

二、 豊鉏入日賣命(とよすきいりひめのみこと)。
豊鋤入姫とも書きます。この媛(ひめ)は、のちに、父である崇神天皇の命を受けて、宮中でお祀りしていた天照大御神(あまてらすおおみかみ)さまを、はじめて宮中から倭笠縫邑(やまとのかさぬいのむら)に、お遷しになって、お祀りされたのです。

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それが、奈良県桜井市にある三輪大社の
檜原神社(ひばらじんじゃ)さまです。

檜原神社は、山の辺の道にあり、檜原台地は、大和国中を一望できる場所で、夕日が美しいことで有名です。
春分・秋分のころには、神社正面から見える二上山に沈む夕日が見えます。

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「元伊勢」のはじまりの檜原神社

檜原神社には、本殿はありません。
三つ鳥居から神さまを拝む、古代祭祀の姿のまま。
伊勢の神宮の始りの場所なのです。

そして、豊鋤入姫(豊鉏入日賣命とよすきいりひめのみこと)さまは、天照大御神さまのお鎮まりになる場所を求めて、各地を巡られます
次の垂仁天皇の御代に、姪っ子である倭姫命(やまとひめのみこと)に、祭祀を託されます
そして、やがて、天照大御神さまは、伊勢の地をお気に召されて、お鎮まりなられます
それが、伊勢の神宮です!!!

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斎王のはじまり豊鋤入姫(とよすきいりひめのみこと)

豊鋤入姫(とよすきいりひめのみこと)さまと、倭姫命(やまとひめのみこと)さまが、天照大御神(あまてらすおおみかみ)さまとともに、巡りお祀りしたところを「元伊勢」といいます。
豊鋤入姫(豊鉏入日賣命とよすきいりひめのみこと)は、天皇の皇女が、ご先祖神である天照大御神(あまてらすおおみかみ)さまをお祭りする斎王(さいおう)のとなられたのです!!!


ね? ほんとうに神話って今にもつながっているでしょう?
「元伊勢」の聖地も、素晴らしいお宮が沢山です!!
いつか、ご紹介したい!!

で……今回は、十二柱のうち二柱の御子までしか進みませんでした(苦笑)。そしてすっかり日が暮れました(^^)

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―次回へ


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