神宮の斎王となった皇女稚足媛(わかたらしひめ)雄略天皇二五 神話は今も生きている ことの葉綴り八一九
巳の日の土曜日
おはようございます。五月も最後の週末!二十八日は、金運に良い「巳の日」の吉日です! 六曜は「先勝」で、午前が吉。急用によく先んじることで幸を勝ち取り、急ぐことが酔いとされる日。十二直は、万物を建て生じる「建」。新たに何か物事をスタートするのによい日。衣服を着始めるのもよし!神仏の祭祀、お参り、婚礼、旅行、引越し、開店開業もいい。二十八宿は「柳」で、こちらは物事をお断りするのにいい日。巳の日なので、弁財天さまへのお参りいかかでしょう? 皆さん、楽しい週末を!
前回、第二十一代、雄略天皇さまの御世に、伊勢の神宮の外宮こと「豊受大神宮」が創建されたことをご紹介しました。
今回も伊勢の神宮にかかわる雄略天皇さまの物語をご紹介していきますね。
雄略天皇さまの物語。
ご即位されるまでの波乱の物語はこちらです。
伊勢の神宮の斎王 皇女、若帯比賣命・稚足媛
雄略天皇さまには、韓媛さまとの間に、白髪命と、若帯比賣命さまがいました。
この媛は、また稚足媛とも、𣑥幡皇女とも呼ばれています。
このお妃の韓媛さまとの物語も、興味深いので読んでみてくださいね。
ここでは、稚足媛さまとお呼びしましょう。
稚足媛さまは、天照大御神さまにお仕えする斎王を受け継ぎ、伊勢の神宮で皇祖神にお仕えされていました。
ちなみに斎王の
初代は、崇神天皇さまの皇女、|豊鋤入姫命<とよすきいりひめのみこと》さま。
次に、天照大御神さまを伊勢にお祀りされた垂仁天皇さまの皇女で倭姫命さま。
景行天皇さまの皇女五百野姫さま
仲哀天皇さまの皇女|伊和志真《いわしま>姫さま。
それ以来、伊勢の斎王が不在だったことを、雄略天皇さまは、気にかけられて、皇女の稚足媛さまに、斎王となり、天照大御神さまをお祀りするようにと命じられました。
稚足媛さまはお身体が弱かったため、廬城部武彦(五百木武彦)が、養育係として伊勢に同行し、斎王にお仕えしました。
伊勢の斎宮で、稚足媛さまは斎王として、天照大御神さまを、ひたむきに誠心誠意でお祀りされていました。
広がる噂
斎王になられて三年ほどたったころのことです。
斎宮で、こんな噂が広まります。
「斎王と武彦はデキている」
武彦さんは、結婚することなく斎王にお仕えしていたことから、深い関係にあるとデマが流れ、それはやがて斎宮から広まっていきます。
スキャンダルが広まるのは、昔も今も同じですね。
この噂に乗じたものがおりました。日頃から、武彦さんを嫌っていたものが、「武彦が、斎王を犯して身籠らせた」と、ひどいデマを広めていったのです。
これは伊勢から、さらに大和の宮中の雄略天皇さまの耳にも入ってしまったのでした……
そして……。
―次回へ
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