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倭姫命さまって?「倭姫命世紀」ことの葉綴り 八九五回

ご先祖に感謝のお盆ですね

おはようございます。お盆の週末、皆さん、どう
お過ごしですか? お墓参りや、ご供養されている方も多いでしょうし、帰省されているかもしれませんね。台風も懸念されるので、お気をつけてお過ごしください。
八月十三日(土)の暦は、六曜は「仏滅」。十二直は「みつ」ですべてが満たされる日。ただし控えめがいいとされます、祭祀、婚礼、お祝い事、旅行、引越し、種まきなど吉。二十八宿は「」で、就職活動、求職、開店開業、設備工事、婚礼、引越しに吉。そして天が母のように慈しむ「母倉日ぼそうにち」です。
ご先祖様たちに手を合わせて、日頃、無事に過ごせていることを感謝したいですね。


『倭姫世紀』……倭姫命やまとひめのみことさまとは?

私がずっと綴っている「元伊勢」。
原点に戻るのですが、いつも出てくる倭姫命やまとひめのみことさまって、どういうかたなのでしょうか。あまり知られていませんよね。
それを今回は、ちょこっとご紹介したいです。

倭姫命やまとひめのみことさまは、第十一代垂仁すいにん天皇さまの、皇女です。

余談ですが、垂仁すいにん天皇さまには、はじめの皇后との悲恋の物語があるのですが……ご興味ある方は、こちらのマガジンを……。




倭姫命やまとひめのみことさまの母は、氷羽州比賣命ひばすひめのみことさまで、には、後の第十二代、景行けいこう天皇さまがいます。

この景行けいこう天皇さまの、皇子に、悲劇の王子、倭建命やまとたけるのみこと(日本武尊)さまがいて、倭姫命やまとひめのみことさまとは、叔母と甥っ子の関係にあたります。

倭建命やまとたけるのみこと(日本武尊)さまが、熊曾討伐では女装をして討伐する神話は有名ですが。この装束は、叔母の倭姫命やまとひめのみことさまの装束を借りていったのです。

で、ただお叔母と甥っ子だけではなく、甥っ子の倭建命やまとたけるのみことさまは、父に「愛されていない」ことに苦悩し、東征を命じられた際、伊勢の神宮にお参りをされて、叔母である倭姫命やまとひめのみことさまに、ご相談をして「父は私に死んでもいいと思っていらっしゃるのだ」と、涙したそうです。


倭姫命さま伝承地より

その悲嘆する様子をご覧になった、倭姫命やまとひめのみことさまは、甥っ子に、三種の神器の一つ天叢雲剣あめのむらくものつるぎと、「御袋」を「何かあったときに開きなさい」とお授けになります。
この「御袋」何が入っていたかというか、伊勢の「火打石」です。

最近、倭姫命さまの伝承地を巡ったときに、地名にもなり「火打石」の伝承地もありました!


叔母の倭姫命やまとひめのみことさまが授けたこの「天叢雲剣あめのむらくものつるぎ」と、「御袋」で、倭建命やまとたけるのみことさまは、焼津で火を放たれたときに、一命をとりとめることになります。それから、草を薙いだ「草薙剣くさなぎのつるぎ」と呼ばれるようになります。

また、倭姫命やまとひめのみことさまが、天照大御神さまをお祀りする聖地を探し求められたご巡幸地「元伊勢」の伝承地の一つに、鈴鹿国「奈具波志忍山宮なぐわしのおしやまのみや」(三重県亀山町)があり、この候補地の「忍山おしやま神社」は、倭建命やまとたけるのみことさまが、寵愛された、弟橘媛命おとたちばなひめのみことさまの生誕地であった伝承地でもあるのです。




弟橘媛命おとたちばなひめのみことは、そこから倭建命やまとたけるのみことさまの東征を共にされて、焼津で火を放たれたときに、命を救われて、やがて海を渡るときに海神の怒りをおさめるために、自ら入水されて、嵐をおさめて、愛する倭建命やまとたけるのみことさまをお守りしたのです。

ちょっと話が長くなりました……「倭姫命世紀」まで辿りつきませんでした(苦笑)
今回は、叔母と甥っ子が、とっても深いつながりがあるんだな~と思ったことを紹介してみました。

また、倭姫命やまとひめのみことさまや、「倭姫命世紀」について、綴っていきます。宜しく御願いいたします。

―次回へ。

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