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二千年前も今も鮎を天照大御神さまへ 元伊勢二六  ことの葉綴り三五二

二月十五日は、深川開運出世稲荷の例祭


こんにちは。雨音が聞こえる月曜日。
お昼からひととき「ことの葉綴り」に向かいます。

成田山新勝寺の東京別院「深川不動尊」さん。
その境内には、「深川開運出世稲荷社」があり、二月十五日は、この例大祭がおこなわれ、この日だけ授与される、開運招福を祈念した「赤札御守」があるのです。
コロナ禍の今年は、こちらの「赤札御守」は、枚数の制限なしで、一日中、授与されているそうです。

さて、今回も、天照大御神さまの御杖代(みつえしろ)となられた倭姫命(やまとひめのみこと)さまが、大神様を伊勢の神宮にお祀りするまでの「元伊勢」の物語を続けます。


※これまでの1~343回までの、神代~の13の神話の物語のまとめはこちらです。お好きな神様の物語をご覧になってください。


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伊賀国「市守宮」から「穴穂宮」へ

倭姫命(やまとひめのみこと)さまの御巡幸
大和国御室嶺上宮(みむろのみねのかみのみや)」
次に、大和国「宇多秋宮(うたのあきのみや)」と、「佐佐波多宮(ささはたのみや)」で四年間、天照大御神さまをお祀りされました。

重要な家臣たち「五大夫(ごたいふ)」と、「大物忌(おほものいみ)」となった童女の大宇祢奈(おおうねな)、弟の大荒命(おおあれのみこと)も旅にご一緒して、倭姫命(やまとひめのみこと)さまにお仕えしました。

そして、宇陀川に沿い東へと向かい、名張川沿いへ。
伊賀国「市守宮(いちもりのみや)」では、二年間、天照大御神さまをお祀りされました。
この名張川の巨岩の「弁天岩」は、倭姫命(やまとひめのみこと)さまが休憩したと言い伝えが今にも残っています。

さて、次に、倭姫命(やまとひめのみこと)さまご一行はどこへと向かわれたでしょう?


六十六年己丑、同じ国の穴穂宮に遷りたまひ、四年を積(へ)て奉る。
その時、伊賀の国造(くにのみやつこ)、篦山(ふぢやま)の戸(へ)、葛(かづら)山の戸(へ)、並びに地口の御田、細鱗魚(あゆ)取る淵、梁作(やなさ)す瀬等(とも)を進(たてまつ)る。
朝(あした)の御気(みけ)、夕(ゆふべ)の御気に供へ進(たてまつ)る。

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朝夕に大神様に御饌(みけ)をお供へ

崇神天皇の御代、六十六年己丑年に、倭姫命(やまとひめのみこと)さまは、同じ伊賀の国の、「穴穂宮(あなほのみや)」へと、お遷りになられて、天照大御神さまを、こちらで四年間お祀りなさいました。

このときに、伊賀の国をまとめる国造は、倭姫命さまご一行がお暮しになる神戸(神さまにお仕えする家)と、天照大御神さまに、朝と夕の御饌(みけ)のお食事のためにと、次のものを献上いたしました。
矢をつくる竹や、また神さまに奉納するお米ともみ殻をふるい分ける器具をつくりだすための葛(くず)という藤(篦ふじ)
さらに、その土地の素晴らしい田んぼと、鮎の獲れる流れが穏やかなで深い川、鮎を取るための「簗(やな)漁」の杭を指してある河岸の場所を差し出したのです。

倭姫命さまは、これらの豊かな収穫物を、天照大御神さまに朝な夕なにと、心をこめて奉りお祀りされました。

この「穴穂宮(あなほのみや)」は、三重県伊賀市の「神戸神社」と推定されています。同じ伊賀市の「市守宮」から北上し木津川の近くになります。

ご祭神は、大日孁貴命(おおひるめむちのみこと)
こちらは、天照大御神さまの別のお名前です。

倭姫命(やまとひめのみこと)さまもご一緒にお祀りされています!

そして、「天石戸」神話で、活躍した天太玉命(あめのふとだまのみこと)、天手力男命(あめのだぢからをのみこと)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、天忍穂耳命(あまのおしほみみのみこと)
経津主神(ふつぬしのかみ)は、『日本書記』に登場される武の神さま。
三穂津姫命(みほつひめのみこと)こちらは、高皇産霊神(たかみむすひののかみの娘で、高天原から稲穂を持って降臨されて、大国主神さまのお妃になられた姫神さまをはじめ他にも十一柱。

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古来の漁法「簗(やな)漁」は今も


と、こちらの「穴穂宮(あなほのみや)」では、田、鮎のいる川、お米のふるい分け、と、お供えする「御饌」(みけ)の「食」が、充実している気がしますね。
また「」は、「年魚」とも書いて、その一年を占うお魚としても大切にされていたそうです。

この木津川は、「簗漁(やなりょう)」が今も盛んだそう。
この簗漁とは、河岸や川の中に杭や石などの足場を組んで、水の流れをせきとめて、そこに誘導されてきたお魚を捕る、古来から伝わる漁法です。

天照大御神さまに、この簗漁(やなりょう)で獲った鮎が、献上されていたのですね。

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二千年前と同じ、鮎の「御饌」が伊勢の神宮に!

神話は今も生きている。

今でも、この古来からの「簗漁」で獲った鮎を干した「干鮎」は、
伊勢の神宮の毎年六月に執り行われる「月次祭(つきなめさい)」に、御饌(みけ)のお供えとして、奉納されているのです!!

二千年以上も昔、倭姫命さまの御巡幸で、四年お祀りされた「穴穂宮」でお供えされたように、今も同じように、天照大御神さまに、鮎を奉納しているなんて、すごくないですか?

また、こちらの「神戸神社」さんは、伊勢の神宮の「式年遷宮」と同じように、二十年に一度の、「遷宮」が行われていて、しかも、そのときには、伊勢の神宮の古材を譲り受けているそうです。

二千年という時を超えて、今も生きている、天照大御神さまへの奉納と遷宮のご縁

倭姫命さまも、きっと喜ばれているでしょうね。
今日もまた、一度はお参りしたいお宮が増えちゃいました(^^)

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―次回へ

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