見出し画像

命の始まり 伊邪那岐伊邪那美②神様も失敗して成長した ことのは綴り 其の四九


天と地が分かれるとき

こんにちは。雨上がりの陽ざしが美しい週末。
神話の神さまも“失敗”されていた……神さまも神との出会いから成長されていく物語。
神話で、初めてのご夫婦神となられた伊邪那岐・伊邪那美(いざなぎ・いざなみ)神さま。
そこにつながる、一、三、五、七の神さまたち。

この神話のはじめのはじめを、もう少し詳しく語らせてください。

天と地がまだ分かれていない状態
陰陽もわかれず
混沌(まろかれ)として混ざりあった状態でした。

天と地、海も空も雲も
すべてが混ざり合っている。

やがて、天と地が、海と空とが分かれると、
天界の高天原(たかまがはら)の真ん中に
このすべての中心の主宰神である
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)が
立ち現われました。

次に現れたのは森羅万象の万物の誕生・生成
産霊(むすひ)のちからを司る
高御産巣日神(たかみむすひのかみ)さまと、
神産巣日神(かみむすひのかみ)さま。

画像1



神話の中空構造 無為―自然にまかせるー


この三柱の神さまは、万物をつくりだすはじめの神さまで
「造化三神(ぞうかさんしん)」と呼ばれます。

これほど、大事な、いのちの大元の神さまですが、
神話の中で登場するのは、この最初だけなのです。

不思議じゃありませんか?
それほど大物の神さまが
なんでそこだけ?! と。

河合隼雄氏は、これを、「日本神話の中空構造」と
読み解いています。

少し説明しますね。
真ん中に無為の中心の神さまがいて、
その周りに他の二柱の神さまがいる
三神の組み合わせで、バランスを取る。

三という数のある種の安定性。

真ん中にいらっしゃる、
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)さまの
無為の意味を。

ユング心理学を日本に広めた心理学者の河合隼雄氏は、こう語っています。

日本も含めて、自然と共有して生きる人々は、
無為―自然にまかせることーの
意義をよく知っていたのであろう。
(略)
日本の古来からあった世界観、宗教観の体現されたものと
見ることができるであろう。
『神話と日本人の心』より

神話の成り立ちからして、すでに唯一神の世界観とは違うのです。

画像4


別天つ神(ことあまつかみ)

では次に、天と分かれはじめた地に目をむけてみますと
まだ私たちが想像する大地のようにはなっていません。

水に浮かぶ脂のように
国土はゆるゆるで固まらず、
まるでクラゲのようにプカプカ浮いている状態。
その泥の沼のようなところから
葦の芽が萌えいずるように勢いよく立ち現われたのは
宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこじのかみ)

これは、すべてのものに生命を与える神さまです。
宇摩志(うまし)は、素晴らしいという称えるという意味。
阿斯(あし)は、生命力あふれる葦
訶備(かび)は、そう黴、カビです、カビ、と言われています。
比古遅(ひこじ)男性を称えること。

すなわち、混沌の中から霊力の働きにより
葦のような強い生命力を持つ神さま。

葦という植物の、生育の早さ、生命力が強く、
湿地では、泥を集め、魚も寄ってくる。
カビは、人間よりも古い生物で
5億年以上も前に存在していたといわれます。

その次に、天上界が永遠で在ることを保ち守られる
天之常立神(あめのとこたちのかみ)

これまでの5柱の神さまを
「別天つ神」(ことあまつかみ)
と、お呼びします。
独り神で、男女の性がなく
人の目には見えず、
天津神(あまつかみ)の中の
特別な神さまということです。

20200416白山比め神社IMG_6582


これで、一、三、五。


神話との出会いは、深い自分と出会うこと

ここまで、根気強く読まれた方は
お気づきかもしれませんが。
神話のこの冒頭は、

この世界
宇宙の
生物の成り立ち
いのちの誕生

を現しているのです。

目に見えない神さまとは
素粒子、陽子、中性子と
物体にはなっていないもの。

こうした「いのち」の根源について
伝えてくれている。

これは何を意味するのだろう?

世界を創造された、キリスト教などの唯一神さまと
生成発展によって誕生した、日本の神さま。

そして最初に現れた神さまの、無為

英雄神がいきなり登場するのではなく
この宇宙の成り立ち、いのちの誕生からの
神話のはじまり

先ほどの河合隼雄氏は、

伊邪那岐・伊邪那美が
物語の始まりとなるのだろうが、
その前に、言語化は難しいけれど、
言葉にならぬ前の
何かある感覚や状態を
言語化したとき、このようになるではないか


つづけて……。

何か「概念以前」の心のはたらきがある。
それは言語化は難しいが、
さりとて何も考えてないというのではない。
何だか明確にはわかり難いが、
混沌を脱して、
何かある方向に向かおうとする流れがあることは事実である。
それを敢えて言語化すると、このような
神々の連なり、ということになるのではなかろうか。

私たちが生きていく中で、
全てが思考レベル、言語になるわけではありません。
私たちの脳も、使っているのは3%ほどともいわれていますよね。

誰もが、言葉にならない何か……
そうした思いがあるのではないでしょうか。

思考のレベルとは違う
深い場所
潜在意識、無意識と呼ばれるこころ

創造の前には、混沌がある。

混沌から始まるこの神話は、
読む私たちにの、
そうした自分の深い部分にも
つなげてくれるものだと思うのです


長い長い、前書きになってしまいましたが。

この神話の持つ、独自性を
知ってもらいたかったです。

神話に触れることは、
自分自身の深い、無意識のレベルにも
触れることだと思うから。

この混沌とした時代だからこそ
自分自身の深い部分と出会って出会い
人生を創り上げる力になると
思うから。


そして、ようやく次が、七。

神代七代の
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)さま、
伊邪那美命(いざなみみこと)さま
へと、ようやく連なっていきます。

最後まで、読んでくださって、ありがとうございます!
―次回へ

画像3


この記事が参加している募集

おうち時間を工夫で楽しく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?