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神を祀る二人の王女 崇神天皇の系譜神話は今も生きている ことの葉綴り。二五七

目に見えぬ“糸”の広がり


こんにちは。曇り空の午後「ことの葉綴り。」に向かいます。
今月、国内を移動することがあるので、昨日、PCR検査を受けてきました。先ほど結果が出て「陰性」とのこと。
とはいえ、現在、第三波が来ていますので、感染予防は常に心掛けます。

さて、神話の物語、今日も、第十代、崇神天皇(すじんんてんのう)の家族の続きです。

前回は、最初のお妃の御子二柱で、伊勢の神宮へとつながる、媛、豊鉏入日比賣(豊鋤入姫命とよすきいりひめのみこと、)さまをご紹介しました。

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二人目の妃には、尾張連(おわりのむらじ)の祖の
意富阿麻比賣(おほあまひめ)を娶り、四柱の御子が生まれます。
お妃のご実家の尾張連(おわりむらじ)は、祖父の第八代孝元天皇(こうげんてんのう)も、この尾張連(おわりふらじ)の祖、意富那毘(おほなび)の妹を娶っていますね。
こうした縁組みから、どの土地とご縁があるかも、その時代のつながりが見えてきますよね。目には見えませんが、いのちといのちの「糸」の結び(産霊)が、つながり広がっていくのですね。


さて、この四柱の御子は……

一、 大入杵命(おほいりきのみこと)
能登臣(のとのおみ)の祖となられます。
能登(石川県)の中能登町に、小田中古墳群(こだなかこふんぐん)があり、そこに、「親王塚古墳(しんのうづかこふん)」があり、「崇神天皇皇子大入杵命墓」がと、されているようです。宮内庁が管理しているよう。


大和から能登へと移り住まれて、能登臣の祖となられたのですね。

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娘が、のちの天皇の皇后に

二、 八坂の入日子命(やさかのいちひこのみこと)
 あまり知られていませんが、この命(みこと)の娘たち弟媛(おとひめ)と、八坂入日賣命(やさかのいりひめ)の物語がのちにでてきます。 姉妹物語です。そして、八尺之入日賣命(やさかのいりひめ)は、第十二代の景行天皇(けいこうてんのう)に嫁ぎ、次の天皇の第十三代、成務天皇をお生みになりますよ。

岐阜県可児市の「八剱八幡神社」(やつるぎはちまんじんじゃ)さんと、「八剱神社(やつるぎじんじゃ)」に、八坂入彦命(やさかのいちひこのみこと)、娘の八坂入日賣命(やさかのいりひめ)、弟媛命(おとたちばなひめのみこと)さまと共にお祀りされているようです。

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神さまを祀る二人の王女

三、 沼名木(ぬなき)の入日賣命(いりひめのみこと)、
また、渟名城入姫命とも書きます。
 母の違う姉の豊鉏入日比賣(豊鋤入姫命とよすきいりひめのみこと)は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)さまをお祀りすることなりました。
それが、伊勢の神宮への創建へと連なるはじまりとなります。

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この渟名城入姫命(沼名木入日賣命ぬなきのいりひめのみこと)も、神さまをお祀りすることになるのですが……。
奈良県天理市の「渟名城入姫神社(ぬなきいりひめじんじゃ)」さんにご祭神としてお祀りされています。
こちらは、「大和神社(おおやまとじんじゃ)」の境内末社です。

さあ、どうなるでしょう? 

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四、 十市(とをち)の入日賣命(いりひめのみこと)
または、十市瓊入姫命とも書きます。
この媛さまのことは、記載がありません。残念!

今日は、二人目の妃、意富阿麻比賣(おほあまひめ)と四柱の御子をご紹介しました。

そして、次の三人目の妻が、皇后となる御眞津比賣命(みまつひめのみこと)です。

系譜は、漢字が多くてほんと、すいません!!(苦笑)

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―次回へ


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