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“その時”を待つ 倭建命 其の二神話は今も生きている ことの葉綴り五二五

日の本の夜を守る、夕日の祭り「日御碕神社」例祭

こんにちは。立秋の土曜日。トリプル台風、少しコースがずれたようでよかったですね。
明日八月七日(日)夕刻、出雲の「日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)」さんの夕日の祭り「神幸神事(みゆきしんじ)」が執り行われます。
日御碕は、老松に囲まれた美しい社殿に、素戔嗚尊(すさのをのみこと)さまを祀る「神の宮(上の宮)」と、姉神、天照大御神さまを祀る「日沉宮(ひしずみのみや)(下の宮)」がご鎮座されています。
この「日沉宮(ひしずみのみや)(下の宮)」は、近くの経島(ふみしま、日置島)にご鎮座されていたのを、村上天皇の詔(みことのり)で、天暦二年(九四八年)に、現在のご鎮座地へとお遷りになられました。

伊勢の神宮が「日の本の昼を守る」のに対して、こちらは、「日の本の夜を守る」といわれています。
昨年に続き、お神輿と行列は中止だそうですが、ご神事が無事に執り行われますように!
名の通り、島根県内随一、夕日が美しいそうです!
世の中が落ち着いたら、お参りしたいですね~!!!(^^)

さて、今日も倭建命(やまとたけるのみこと)さまの物語に入ります。

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熊曾国への過酷な旅

第十二代、景行天皇の太子(ひつぎのみこ)である小碓命(をうすのみこと)は、天皇(すめらみこと)から、遥か遠く九州で、宮中に背いている勇猛な熊曾建(くまそたける)兄弟を征伐するように命じられます。

わずかな家臣と、伊勢の神宮の斎宮(いつきのみや)で、伯母の倭姫命(やまとひめのみこと)さまから、譲り受けた御装束と、短剣を懐に大事にしまい、大和国→伊勢国から、何か月も歩き続けて本州を進み、船で九州へと渡り、熊曾の領地へと進んでいきました。

このとき、小碓命(をうすのみこと)は、若干十五歳、まだ「ヒサゴバナ」とよばれる髪を額のところで結う、子ども、少年の髪型でした。

山を越え、川を渡り、何か月もただ歩き続けて、ようやく九州の熊曾へと辿りついたのです。

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鉄壁な守りの熊曾の館

領地の中でひときわ大きな館を見つけ、熊曾建(くまそたける)の館だと見当をつけます。
広い敷地に大きな館……小高い山の上から様子を見ていると、その館の周りを、熊曾の勇ましそうな軍勢たちが、三重にも取り囲み守っています。
小碓命(をうすのみこと)のわずかばかりの人数では、まったく相手になりません。

小碓命(をうすのみこと)は、「相手方が大勢で責められませんでした」と、大和国に戻れるわけではありません。
かといって、ただやみくもに攻めても、家臣も自らも命が危ないのです。

どうすればいいんだろう?

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“その時”を待つ

下手に動いても、敵方に見つかり捕まってします。

小碓命(をうすのみこと)は、山の中に隠れながら、熊曾建(くまそたける)方の情報を入手することにしました。

すると、熊曾建(くまそたける)兄弟は、壁を塗りこんだ新しい館をつくっているところで、みな、忙しく働き回っていました。
そして、そろそろ完成も近い、ということが判明します。

小碓命(をうすのみこと)は、家臣たちを集めてこういいます。

今は、動くときではない
だが、私は、熊襲建(くまそたける)を討たなければ、大和へは帰ることは許されておらぬ。
しばし、その時を待つ

それまで、長旅の疲れを取っておいてくれ

小高い山の上から、熊襲建(くまそたける)の大きく頑強な守備の館を眺めながら、小碓命(をうすのみこと)は、“その時”をじっと待っておりました。

この熊曾建(くまそたける)兄弟を討てば、兄の大碓命(おほうすのみこと)を殺めたことを、父も赦してくださるに違いない!
これしか、私には道はないのだ……。

“その時”を待つ。
これは、今を生きる私たちにも、すごく必要なことですよね。
つい「今、すぐ欲しい」「今すぐ、動きたい」「今じゃなきゃダメ」と動いてしまいます。
時を待つには、胆力、精神力、頭脳の明晰さが求められますね。
若干、十五歳の小碓命(をうすのみこと)さま……どうなるでしょうか?

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―次回へ
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